3月2日にNHK BSプレミアムで放送された「昭和の歌人たち 作詞家・西條八十」を見ていて、いろいろと思うことがありました。
きよしさんは「誰か故郷を想わざる」、「サーカスの唄」、「王将」をフルコーラス唄ってくださいましたが、途中にトークコーナーもあって、なかでも「サーカスの唄」には、きよしさんご自身もコンサートツアーで全国を回っていらっしゃるので、歌の主人公の気持ちが身にしみて、“他人(ひと)ごととは思えない”のだとおっしゃっていましたが、わたしはさらにその歌唱にすっかり魅せられたのでした。
とりわけ、3コーラスめの、
「♪月も冴えます 心も冴える 」
のくだりで、心臓がドッキーン!
われを忘れてしまいました。
感動のあまり、そのままテーブルに突っ伏して泣いていたいような気持ちになっていたのです。
 
フルコーラスで唄うときのきよしさんの曲想のつけ方は本能的で、その曲が”こんなふうに唄ってほしい”と望む、その曲の魂を抱きとめるかのような歌唱だとわたしは感じるのです。
もちろんフルコーラスに限ったことではありませんし、本能的といってもその前にその曲を唄い込んで、考えて考え抜いて曲想を構築したうえでのことと感じてもいます。
 
きよしさんの歌唱で初めて聴くことになった曲や、きよしさんの歌唱で聴かせていただいて、初めてその曲の素晴らしさがわかったということ、これまでに何度もあるのです。
名曲を唄い継ぐということは、その曲の魂や輝きを今に甦らせること。それは誰にでもできるというものではないのだなあと、きよしさんの素晴らしい歌唱を聴くにつけ、感じています。
 
そして、最近、目にした言葉のなかで心に残ったものがありました。
それは、ある戯曲の名作をリメイクして生まれた新たな名作を賞賛したもので、
「”目指す”のではなく、対象に同化すること。それこそが才能ある者に限っては革命に繋がる」
というもの。
ある劇評を読んでいて目にしたのですが、きよしさんがその時代を代表するヒット曲や、知られざる名曲をカバーされるときのスタンスや歌唱と相通じるものがあるように思えたのです。
 
ところでその番組のなかで西條八十が、いわゆる流行歌を書くことになったエピソードが紹介されていました。
関東大震災に遭遇して上野の山に避難していたときのこと。
少年の吹いたハーモニカの奏でるメロディーに、命からがら避難し、意気消沈していた人々の心が和む様子を目の当たりにして、流行歌の持つ力というものを感じて、流行歌の詩を書きたいと思ったということでした。
 
そのエピソードに心ひかれて、もう少し調べてみたのです。
地震発生時、八十は近所で散髪をしていましたが、あわてて外に飛び出し、自宅に戻って家屋の状態を確認したそうです。
半壊状態ながら火事の心配もなく母親が無事であることを確認すると、自宅のある大久保近くの柏木から、お産で体調を崩して入院中の奥様の安否を気遣って池袋の産院に向かったそうです。
奥様が池袋駅の構内に寝たまま避難して無事であることを確認すると、八十はその足で兄夫婦が住む月島に向かおうとしたのです。
銀座から向こう月島、晴海は湾に沈み、江ノ島も、伊豆の大島すら海中に没したらしいという噂が流れていて兄夫婦の安否が気になっていたのですが、倒壊した家屋や家財道具を大八車に載せるなどして避難する人たちの激しい動きに巻き込まれ、いつのまにか上野の山の方へと押し流されてしまったということでした。
 
上野の山から移動できずに一夜を明かすことになった八十のことについて、八十の娘さんの西條嫩子さんがのちに以下のように書かれていました。
地獄のように遠く近く燃えさかる火災を眼下にみながら、恐怖にふるえる避難民の中からとつぜん一少年の吹くハーモニカの音が響いた。
それは思いがけぬ美しい音であった。激しい地震と火災に怯え、疲れた人々の心に、それは慰撫の天使の喇叭 (ラッパ)のように鳴りひびき、しみ渡った。この時の得もいわれぬ深い感銘が父をして、唄う歌、大衆への歌、レコードへ向かう機縁となったようである。
 
このような出来事から、その後、八十がたくさんの名作を書き、こうして今も唄い継がれていることを思うと、感動でじんときてしまいます。
 
ところで、そのとき少年が吹いた曲は何だったのかしら?
このエピソードを聞いたときに思ったのですが、「船頭小唄」(野口雨情・作詩・中山晋平・作曲)だったそうです。
ここで、今年になって、これもまたきよしさんのおかげで身近に感じるようになった野口雨情の名前が出てきましたね。
(ちょっぴり予告?ですが、近々に書かせていただく「うずしお通信」にも、野口雨情が登場します!)
さて、ここまで書いてきて、きよしさんの”歌詩”への思い、こだわりについて、これまでに感じてきていたことを書いてみたかったのですが、そこまで書きあげる時間が今日はなくなってきてしまいました。
この続きは今夜、書かせていただきますね。
そして明日は大宮ソニックシティでのコンサート・夜の部に参加させていただきます。
 
結びに、とりわけ”歌詩”にということではないのですが、一昨年の「ハロウィン パーティー コンサート」の最終で、コンサートの撮影をしてくださっているカメラマンのかたに、司会の西寄ひがしさんがお声をかけてお話をうかがったことがありました。
そのときのブログの記事を少しまとめたものを以下に載せておきますね。
11月21日に発売が決定した「演歌名曲コレクション17~最後と決めた女だから~」のAタイプ初回完全限定スペシャル盤の特典に「哀傷歌」のPVが付くのですが、その話題になった時に、この日、ステージ前方で撮影をされていたカメラマンの方に西寄さんが声をかけてくださって、貴重な撮影秘話をうかがうことができました。
撮影をされていたのは平石義弘さん。これまでにも数々のきよしさんのPV撮影をされてきたムービーのカメラマンの方です。
その平石さんがとりわけ印象に残っていることとして、きよしさんはPV撮影の時に、部分的にやり直したいところができても、必ずフルコーラスですべてを撮り直すことを挙げられました。
「きよしさんは3番だけやり直しとか、そういうことは絶対にされませんよね。そういうところがすごいといつも思います」
予定になかったやりとりだけに、とっさの質問にまずそのことが浮かんだたようでした。
その平石さんのお話を受けて、
「やっぱり臨場感を出したいと思っていますから、僕は必ずフルコーラス唄います。
今回、『哀傷歌』を撮影していた時も、唄っていくうちに3番で涙が出てきたんです。
できるだけその臨場感を感じていただきたいと思って、カット割をせず、ワンシーンで作っていただくようにお願いしました。
やっぱりメッキではなくて金でいたいと思いますから」
きよしさんは、そうおっしゃったのでした。
この内容を受けて、きよしさんの”歌詩”への驚くほどの誠実さ、苦闘などについて次の記事で書いてみたいと思っています。
この記事の後半でそこまで書いてみる心づもりで書き出してみたのですが、まとめきれずにごめんなさい。
そして、番組を見て、西條八十のエピソードについて書いてみたいと思っていたのでに、あっという間に1か月。
 
自分でびっくり&愕然としてしまいます。
わたし、自分のなかにわいてきた感動をわかりやすくお伝えできるようになるまで、わたし、ほんとうに時間がかかってしまうのです。
ごめんなさい。
 
できれば、明日のコンサートの前には書き上げたい思いですが、もしかしたらコンサートのご報告のほうが先になるかもしれません。
 
また元気にお逢いできますように!
 
それでは、皆さま、ごきげんよう、さようなら。
 
※美輪明宏さんの真似です!