こんな夢を見た。
 
先日見た夢のことをブログに書きたいと思っていたら、そんな言葉が頭にうかびました。
この言葉は、黒澤明監督の「夢」という映画のなかで、黒澤監督が実際に見た夢をもとに作られた8話からなるオムニバス映画の、それぞれの夢の冒頭に出てくる言葉であり、また、夏目漱石の「夢十夜」の各挿話の書き出しでもありますね。
 
皆さま、なかなかブログの更新ができずにごめんなさい。
ずっと仕事がんばっています。
今日も終日仕事ですが、明日は茨城県立県民文化センターでのコンサートに昼夜、そして18日も、仕事を終えての駆け込み入場になりそうですが、「NHK歌謡コンサート」の観覧に参加できることになりました。
少しお時間いただくかもしれませんが、楽しいご報告をと思っています。
ところで6日はそこここで”春の嵐”という言葉が飛び交っていましたね。
わたし、激しい雨、風に遭いながらも、きよしさんの「春嵐」を耳奥に響かせてやり過ごしておりました。
そして、先日から書きたいと思っていたお返事については、この記事の最後に書かせていただくことにしました。
いろいろ考えて、このようなかたちにさせていただきます。
 
 
さて、 わたしが書いてみたいと思った夢に登場したのは、もちろんきよしさんです。
 
以下は夢のお話です。
きよしさんは何かのステージで、用意していた小道具のスイッチが入っていなかったためにうまく作動せず、唄っている途中で一生懸命スイッチを入れようとされたのですが、小道具は変な音をたててぐるぐると足元で回転しながら失速したのです。
生放送だったらしく先輩方が急遽ステージに登場してくださり、カメラがそちらに切り替わって...。
きよしさんは舞台の端っこに寄って、しょぼんとしているように見えたのですが、そこにさっと近づいてきた人がいて、その人が、きよしさんの肩をポンと軽く叩いて、”こんなこともあるさ、気にするな”というように、きよしさんのお顔をのぞき込みながら唇の片端を上げて笑いかけると、きよしさんは、ホッとしたように小さくうなずいて微笑まれました。
その一部始終を見つめていたわたしは、ああ、きよしさんには、あんなに信頼できるかたがいらっしゃるんだなあと安堵したのです。
わたし、今の長良プロの神林社長のお顔をはっきり存じ上げているわけではないのですが、なぜだか(そこは夢ですから)、そのかたが神林社長だとわかりました。
 
夢はそこまででした。
 
このくだりは、先日のコンサートで「大利根ながれ月」を唄われたときに、端折っていた着物の裾を下ろすタイミングを逸して、律儀に間奏で裾を下ろされていたきよしさんの姿がベースにあったのかもしれませんが、きよしさんと神林社長の姿がとても心に残ったのです。
 
それにしても、なぜ、夢のあのワンシーンがそんなに心に残るのかしら?
と思いながら、数日後に仕事で錦糸町に行った際、四ツ目通りを歩きながら進行方向に見えるスカイツリーを眺めていたら、
”もう、バトンを渡しているんだよ”
と、長良会長に言われたような気が突然して、わたしはハッとしたのでした。
 
 
長良会長と、直接お話しする機会はありませんでしたが、実は間接的にはお話しさせていただいたと思っていいいかしら? ということがかつてあったのです。

ライターの仕事をしているので、さぞかしいろいろな情報が?
と思っておられるかたもいらっしゃるようですが、仮に同業であっても、それぞれの会社の内情はわかりませんよね。それはどの職種でも同じと思います。
ですので、これはこれまでで唯一? きよしさんのことで、今の仕事をしていることがきっかけになっての出来事と言えるかもしれません。
 
10年ほど前のことになると思います。
親友の編集者のかつての同僚が本を出版し、わたしがその本の書評を書かせていただいたことで、出版をお祝いするための内輪の会に呼んでいただきました。
著者の行きつけの沖縄料理のお店で、出版した本が沖縄をテーマにしたものなので沖縄からいらしたかたに、歌や三線の演奏も聞かせていただくなど楽しいものでしたが、著者がかつて働いていた新聞社のかたが主に集まっての会でしたので、わたしには初めてお目にかかるかたがほとんどだったのです。
そこでたまたま隣のテーブルにすわっていて背中合わせになったかたと、どちらともなく話しかけて意気投合したのですが、話の流れから、そのかたは、ある大御所のかたの”口パク疑惑”の記事を書かれた記者とわかり、衝撃のその記事を読んだ記憶があったわたしは、その記事を書く舞台裏や記事が掲載されるまでのことをうかがって、その緻密さ&大胆さにますます感心したのでした。
そして、会の後半はほとんどその記者のかたとの話で盛り上がっていたので、わたしは話のなかで、きよしさんの大ファンであることをお話ししていたらしく、それから1カ月もしないうちに、その記者のかたから電話があったのです。
”あらためて飲みにいきましょう”と、名刺を交換していたのですが、それにしても早いお誘いだなあなんて思って電話に出たら、
「今度、あなたの大好きな氷川きよし君の事務所の長良社長(当時)に取材することになったから、氷川君のこと、いろいろ聞かせてもらえないかな。
取材の日程はまだ決まってないけど、多分近々になりそうなので、できれば早いほうが...」
電話でそう言われて、とてもドキドキしながら、不遜にも、”きよしさんじゃなくて長良社長か~”なんて思ったりもして(当時はプロデューサーのなんたるかをよく知らなかったものですから。申し訳ございません!)。
どこにでも出向いてくれるというので、電話をいただいた3日後くらいに都内のホテルで待ち合わせて、夕食をいただきながらとなったのですが、そのときの記者のかたの言葉が忘れられません。
「今日は、何でも好きなものを頼んでください。○○さんは情報提供者ですから」
えっ、わたしが情報提供者ですって?
あとにも先にも"情報提供者”なる者になったのはこのときだけですが、その言葉にますますドキドキしたのでした。
きよしさんのアルバムやDVD、記事のコピーやFC会報を紙袋に詰め込んで持参して、3時間ほどお話ししたかと思います。
その後、取材日、掲載誌の発売日が決まると、そのたび連絡をくださって、わたしの何倍も忙しいかたなのに、友人であることに少しも甘えず、筋を通した対応にも驚かされたのですが、掲載誌が発売になって1カ月後くらいに今度は”情報提供者”というよりも友人として会うことになりました。
長良会長の貴重なお話はほぼそのときの雑誌に掲載されているので何かの形で皆さまもお読みになっているかと思います。
具体的に掲載誌名をお知らせできずにごめんなさい。
 
そのときの記者の友人の話のなかで、わたしが印象に残っているのは、芸能事務所というと、どんぶり勘定のところが多いけれど、長良プロは経済基盤やシステムが驚くほどきちんとしていると言っていたこと。
いろいろな事務所を知っているその友人が、芸能事務所でそこまできちんとしているところは珍しいのだと力説していたので、きよしさんかわいさに、7周年記念コンサートまで、常に事務所を疑いのまなざしで見つめていたわたしでしたから(このことは以前もこのブログに書きましたね・笑)、そのことを聞いて、とても安堵したのでした。
 
また、過密にも思えるコンサートスケジュールについて、母にも、"鉄は熱いうちに打てということなんだよ”なんて言われていたのですが、そのことについても、
デビューしたときに、全国の興行のかたたちにほんとうに尽力していただいてお世話になり、その恩返しでもあるのではないかということも聞いたのです。
そして長良会長(当時は社長)が"氷川きよし”という歌手を世に送り出し、日本全国の関連のかたたちの後押しを得て、「箱根八里の半次郎」を大ヒットさせた手腕を生々しく感じることができ、 音楽プロデューサーの何たるかを初めて知ったのでした。
ちなみにそのときに、すでに長良プロにいらした神林社長(当時はまだ社長ではなかったかもしれませんが)のことも、たまたまどんなかたなのか、そのかたから少しうかがっておりました。
具体的な内容はここには書きませんが、父親の会社に入って、新しいことをしようとすれば軋轢があって当たり前でしょうから、その評判を聞いて頼もしく感じたのです。

ただの夢でしょと笑われそうですが、
見た夢のことを考えていて、浮かんだ、
”もう、バトンを渡しているんだよ”
という言葉が心に深く響いたのです。



――この記事の結びに。
先日、投票大会の記事にコメントくださった皆さま、ありがとうございました。
内緒投稿もいただいて、個別のお返事をうまく書きわけられずにいました。
ごめんなさい。
いつも励ましてくださる皆さまのお心に、これからもブログを書き続けることで、お返しさせていただけたらと心から思いました。
勝手で申し訳ありませんが、このことを皆さまへのお礼のお返事とさせていただきます。
個別にお返事できずにごめんなさい。
 
 
【追記 2014.3.18】
仕事やその他のことでいっぱいいっぱいになったり、書きたいことを書きたいように書くことに、(自分で勝手にのことですが)プレッシャーを感じることもあります。
そして、そのような思いのままブログを書いてみると、そんな自分の心が明け透けになっていて、その記事のアップを見合わせているままのものもあります。
わたし、そんなときには、もうブログを続けられないかもしれないと気弱になるのです。
 
でも、大切な大切な、きよしさんのことを書かせていただいているブログなので、フェイドアウトしたり、なし崩しにいつの間にか更新がなくなるというようなことだけは絶対に避けたいと、ブログを始めたときから思っています。
ですので以前にも書かせていただきましたが、最初は来訪者100万人までを区切りに考えていました。
そして今回は15周年記念コンサートまでを区切りと、自分のなかで心に決めていたのです。
 
これから何があっても、きよしさんの応援はもちろんのこと、きよしさんがくださった感動を何かのかたちで発信することは、きよしさんが唄ってくださり、わたしの命ある限り絶えることはないと心に決めています。
 
今回、言葉足らずな点もあり、驚かせてしまい、ほんとうにごめんなさい。
皆さまに、励ましたり、庇っていただいて、こんなにまで心がつながっているのに、このつながりを絶ちたくない。
このまま区切りなど考えずに書いていこうという思いにさせていただいたのです。