皆さま、いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます。
昨日、相模女子大学グリーンホールでのコンサートに昼夜参加させていただいて、とりわけ夜の部の”♪教えて!! きよし君 ♪ 質問コーナー”で思うところ、感じ入るところがあり、コンサートのご報告とは逸脱しそうですし、さらにとても個人的な思いになりますが、ブログをお読みくださっている皆さまには、この思いをお伝えしたいと考えて、コンサートのご報告はあらためて別に書かせていただくことにして、先にこの記事を書き出しています。
 
先月27日の堺市民会館でのコンサートに参加したことをこのブログにも書かせていただきましたが、そこには書ききれず、折をみてあらためて書いてみたいと思っていたことがありました。
夜の部の”♪教えて!! きよし君 ♪ 質問コーナー”で、きよしさんの子ども時代についての質問が読まれたかたがいらっしゃいました。
2階席にいらしたそのかたに、”僕はひとりっこですが、○○さんはご兄弟はいらっしゃるのですか?”
ときよしさんがお聞きになると、そのかたは弟さんが3年前に亡くなったので、今はひとりっこであることをお答えになりました。
弟さんは40代前半で亡くなられて今年3回忌ということでした。
きよしさんは、質問にお答えになったあと、そのかたに、
「今日はありがとうございました。どうか弟さんの分まで生きてくださいね」
とお声をかけられ、その言葉が胸にじんとしみたのです。
 
わたし、皆さんが強行軍とご心配されるかなあと思って書かなかったのですが(うぬぼれ?)、コンサートの翌日の午前中には仕事の用事があって、さらに東京行きの新幹線の最終便には堺からですとかなりギリギリになるので、行きは新幹線を利用しましたが、夜は難波から遅めの深夜バスで早朝に東京に着く予定にしていたので、出待ちできそうな時間の余裕があったのです。
それで夜の部の終演後、お顔見知りのかたたちにご挨拶をしてから会館横の出待ちの列の後ろについて、もしあまり時間がかかるようなら残念だけど失礼させていただく心積もりで、きよしさんを待っていたのです。
 
そのとき、たまたま近くに夜の部で質問を読まれたかたがいらして、周りのかたたちとお話ししているのが自然と聞こえてきたのでした。
その方の弟さんはとくにご病気をされたわけでもなく、朝、起きてこないので様子を見に行ったら帰らぬ人になってしまっていたそうなのです。
ご両親はとてもショックを受け、今もさびしい思いを抱いているのだとおっしゃっていました。
そしてそのかたは、
”ふたりとも高齢でとても気落ちしているので、わたしがしっかりしなくっちゃって思ってるんですよ”
とおっしゃっていたのです。
ご自身もたったひとりの弟さんを亡くされて悲しく辛い思いを抱かれているはずなのに、自分のことよりもそんなふうにご両親を思われている、そのかたの優しさが会話から伝わってきて、わたしは泣きそうになっていました。
そして、わたしは、たまたま聞こえてきたそのかたのお話を聞きながら、そのかたが帰宅されたときの様子を想像したのでした。
そう、夜遅いので報告はもしかしたら翌朝だったかもしれませんね。
「おとうさん、おかあさん、おはよう。
ねえこれ見て!
氷川きよし君の色紙もらったの。
わたし、昨日、氷川きよし君のコンサートに行くって言ってたでしょう?
質問コーナーっていうのがあって、わたしの質問が読まれたんだけど、ご兄弟は?って聞かれて、○○が亡くなって今年3回忌だってことも言ったのね。
そうしたら、きよし君が最後にお礼を言ってくれて、”弟さんの分まで生きてくださいね”って言ってくれたんだよ」
勝手ながら、そんな想像がどんどんふくらんだのです。
ご両親はその方の持ち帰ったきよしさんの色紙をご覧になり、さらに”弟さんの分まで生きてくださいね”というきよしさんの言葉に、どれほど心が明るくなることでしょう。
質問用紙にはそんな諸々が書かれているわけではないはずなのに、きよしさんの真心がこもった色紙は、必要とする方のもとへ届いているのだなあと感じ入ったのでした。
 
そのことを書きたいと思いながら書けないままでいたところ、昨日、相模女子大学グリーンホール 夜の部の質問コーナーで、堺市民会館でのことを思い出さずにはいられない出来事があり、ああ、この世の中には神様(と言われることに抵抗があるかたは”大いなる力”とかあるいは”天の力”、"宇宙の力”というような、人智を超えた存在やはたらきに置き換えていただければと思います)が、いらっしゃるのだなあと感じ入ったのです。
きよしさんは、お客さまを前にするとその持っている力のすべてをギリギリまで出し尽くそうとし、体力を温存しておこうなどという計算が(良い意味で)できないかたですし、生身の人間ですから気を付けていても体調が変わることもあるでしょう。
夜の部になって歌以外の部分ではトーンダウンしているように見え、きよしさんにも葛藤があったのではないかと思うのですが、そんななかで迎えたトークコーナーでのことでした。
質問の内容はのちのコンサートのご報告のほうで書かせていただきますが、
1人めのかたは、お友だちの遺影をお持ちになっていました。
昨年3月8日にそのお友だちは病気で亡くなられたのですが、コンサート当日はそのお友だちのお誕生日で、お元気なら79歳になられていたということでした。
病状が悪化して個室に移ってからも、きよしさんの「最後と決めた女だから」の大きなポスターを貼って、最後までがんばっておられたそうです。
 
2月10日がそのお友だちのお誕生日だったので、昼の部にはその娘さんをお誘いして一緒にコンサートをご覧になられたということでした。
娘さんは初めてきよしさんのコンサートにいらしたそうで、亡くなられたお母さまがこよなく愛していた”氷川きよし”とその"氷川きよし”が作り出す世界を体験されて、
”母はこういう世界に身をおいていたのですね”とおっしゃって感動されていたことをお話ししてくださいました。
奥床しいその方が、そこまで話されて、
”話が湿っぽくなってしまって、ごめんなさい”
とおっしゃると、
大きくうなづきながらじっと聞き入っていたきよしさんは、
”とんでもない”と言わんばかりにかぶりをふられたのです。
そして、そのお友だちのお名前もお聞きになり、
「○○さん、僕を応援してくださって、ありがとうございました。
応援してくださったこと、僕、忘れません。
これからもずっと感謝して、そして心で祈っています。
○○さんも、今日はありがとうございます」
そうおっしゃって、質問の話題に移ったのです(この内容はあとの記事に書きますね)。
 
そしてお二人目の質問が読まれました。
2階席のかたでした。質問は”きよし君のようにうまく歌えるようになるにはどうしたらよいでしょうか?”というものでしたが、そのかたが高校1年生生だったので、年若いファンの参加に場内からも大歓迎の拍手が起こったのです。
きよしさんもすっかりうれしくなって、
「勉強がんばってる? えっ じゃあ。恋愛で忙しいの?」
なんて気さくに話しかけられたので、
”そ、そんなこと...。 部活で忙しいです”
と高校生らしく生真面目に答えられたのです。
それできよしさんがご自身の部活の思い出をお話しされていたのですが、
「えっ? あれ、泣いてる。泣いてるよ、どうしたの?」
と、そのかたが泣いているのに気づかれて、そうおっしゃったのでした。
その方は16歳。おばあちゃんと一緒にコンサートに来るはずだったそうで、昨日は2度めの参加。
先日の中野サンプラザでのコンサートにおばあちゃんの付き添いで参加して、すっかりきよしさんに”はまってしまった”ということで、
西寄さんの、”何が良かったですか?”という質問に”全部良かったです”と答えてくださったのです。
そして、
”ほんとうは隣に祖母が座るはずだったんです。
でも歩けなくなって来れなくなってしまって、今日はわたしだけ来たので、今日、帰ったらこのことを(祖母に)話せると思ったら、うれしくなって(涙)...。”
とおっしゃって、また涙されていたのでした。
そんな年若く心優しいファンのかたを前に、きよしさんはとてもとても感激されて、
「そうなんだ。いい子だね、僕好きだよ。大好き! ほんとうにいい子だね」
とおっしゃられたのです。
するとそのかたも、すっかり心を開かれて、ふだんお話しするような言葉で、
”バーバが60歳のときに○○(そのかたの名前)が生まれたから、バーバは76歳です。初孫です。中野には行かれたのに...”
と。
きよしさんは、
「おばあちゃん、元気でねって、きよしが言ってたよーって。
またコンサートに来られるようにって、氷川きよしが言ってたって。
いつも一緒だからねって。
大丈夫だよって。
言っといてね。
毎日祈ってるから」
その方のおばあちゃんを心の限り、そして言葉の限りを尽くしてきよしさんは励まされたのでした。
 
 
たくさんの質問が寄せられたなかで、抽選で選ばれた2つの質問。
偶然といえば偶然だけど、やっぱり偶然は必然なのでしょうか。
わたし、そう思っています。
お一人目の方が、お話ししているなかで、”今日は何かのめぐり合わせだと思います”とおっしゃっていたかと思いますが、ほんとうにそう思わずにはいられませんでした。
お母さまを亡くされてさびしい思いをされておられる娘さんも、あとで夜の部でのことをお聞きになってどんなに喜ばれることかと想像しますし、歩行が難しくなって闘病されていらっしゃるおばあちゃまも、お孫さんが持ち帰った色紙ときよしさんの言葉に、大きな勇気とパワーを得られ、周囲のご家族の心まで明るくしてくださることでしょう。
 
15周年を迎えたということはデビューしてまる14年。
14年の間には様々なことがありますから、客席には質問を読まれたおふたりに共通する体験をされたり、思いを抱かれたかたもおられたかと思うのですが、そのかたたちの心にも、きよしさんの感動と感謝の思いが届いたことでしょうね。
そしてこのコーナーでの出来事で、誰よりも感動されていたのは、他ならぬきよしさんだったのではないかとわたしは思うのです。
 
ここでおこがましいことをあえて承知で書かせていただくなら、
それこそが”氷川きよし”の15周年の真実(まこと)であり、
このめぐり合わせもまた、”氷川きよし”のために起こったことであり、15周年への贈り物のひとつであると感じられてならなかったのです。
そして、
”きよし、これでいいんだ、これまでどおりでいいんだ。
これからの道のりも、何も恐れることも心配することもない。
これまで貫いてきた”氷川きよしの真実(まこと)”が、ちゃんとこんなに多くの人たちの心に深く深く届いていたのだから。
これから歩む道は、誰も歩いたことのない道。
でも、氷川きよしなら、あなたなら、確信と自信を持ってずっとずっとどこまでも突き進んでいかれる”
そんな言葉がどこからともなくわたしの心にうかんできたのでした。
 
 
この記事の最初に書かせていただいた堺での出来事や、先日のきよしさんの”15周年メモリアル”にご参加してくださったかたのなかに、その出来事を選ばれた理由が、”亡くなられたお母さまと一緒に最後に行った公演だから”という投稿が複数あったことも思い出されました。
また震災後、、最初に東北地方で開催された仙台サンプラザホールでのコンサートで、家が津波で流されてしまい、仮設住宅からいらしたと開演前におっしゃっていたおばあちゃまが、きよしさんがお見舞いの言葉をおっしゃると、客席は暗くて、きよしさんから見える場所ではないのですが、立ち上がって、ていねいにきよしさんに向かって一礼された姿も思い出されたのです。
そして、客席の皆の声を聞きながら、
「怖かったでしょう?」
と優しくおたずねになったことも思い出されて...。
 
”氷川きよし”の存在が、どれほど多くの方を勇気付け、ファンの心を照らし、そのファンの周りの人たちをも明るく照らしてくださっているのかを思って、わたしは、そのあとはきよしさんの歌唱を聴くたびに涙がこぼれてきてしかたありませんでした。
この世の中に、これほど強く確かなつながりがあるということに感動せずにはいられなかったのです。
 
さらにわたし、ブログを読んでくださっている皆さんのことも思っていました。
そして、現実の世界では、お会いしたことがないのでどんな風貌の方か存じ上げず、連絡先もわからず、おたがいに何かあってもどこのどなたかすぐに連絡を取ることはかなわないけれども、でも心の深いところで、それこそ次元を超えて、”氷川きよし”の作ってくださった縁に結ばれてつながっているのだということをあらためて思っていました。
 
 
きよしさんはラストトークで、
「今日はおひとりおひとりのお心を感じさせていただいた時間でした」
とおっしゃり、ふれあいコーナーでの感動を言葉にされたのです。
そして、
「素晴らしい皆さん。
今日、僕はあらためて皆さんの人生のひとコマひとコマに参加させていただいているのだと思わせていただきました。
氷川きよしは生きる希望や夢を皆さんにお伝えしていきたいですし、何年経っても、人の心の痛みがわかる人間になっていきたいです。
そのためにも大きく大きく、そして何ごとにも負けない強い心で強い人間に成長して、20周年をめざしてがんばっていきたいと思います」
と言葉を結ばれ、
「一剣」を唄ってくださいました。
その歌声は、持てる力を余すことなく出し切ろうとするかのような歌唱に思えてならなかったのです。
 
 
 
※皆さま、この記事ではかなり個人的な思いを中心に書かせていただきました。
コンサートのご報告はこのあと、あらためてさせていただきますね。