東日本大震災から2年。
2年前の3月11日を思い出します。
まさに今日のようにおだやかな日で、私は築地にある新聞社の中で仕事をしていました。
3時には次の仕事があるのでその日は失礼する予定でした。
週末の金曜日で、そのままいつものように変わらず明日が来ることを少しも疑ってはいなかったのです。
ところが突然ぐらぐらと揺れ出して、なかなか揺れが収まらず、何が起こったのだろうと、平和ぼけしていた私はぼうっと考えながら机の下にもぐったのでした。
 
その後、ビルから全員非難をすることになったのですが、外には近隣のビルの方たちもすべて非難していて、千人を超える人たちがなすすべもなく、そして同じ日本の地で何が起こっているのかも知らずに空を仰いでいたのです。
 
だんだんに被害が知らされて、津波、原発。いったいどうなってしまうのだろう?
翌日開催予定の日本農業賞のイベントも中止になりました。
テレビに見入って...。
あとになって、皆が同じ思いを抱いてあの時を過ごしていたことを知りましたが、
無力な自分、そして明日が見えない日々を思い出します。
テレビを見ていたら、難を逃れた女性が”助かって良かったのかどうか...”
とおっしゃっていて。
その言葉が今でも忘れられません。
あの方に、その後笑顔は戻っていらっしゃるでしょうか?
どうか、その後、笑う日も、そして生きていて良かったと思われる日もあってほしいと今でも願っています。
 
この2年、私自身、くじけそうになったり、また価値観が揺らぎ、道を見失いそうになることもなかったわけではありません。
でもそこには、いつでも氷川きよしさんの歌声と笑顔があり、私の心と行く手を照らしてくださったのです。
こうして振り返ると、支えになっていた言葉があることに気づきます。
ひとつはきよしさんがコンサートのアンコール、「寒紅梅」を唄われる前に流れてきたきよしさんのナレーションでした。
その時、記憶をもとに書きとめたものなので、細部が正確でないことをお許しいただきながら、ここに記させていただきますね。
 
”つらい時。
悲しい時。
苦しい時。
誰が励ましてくれましたか?
誰が本気であなたを愛して包み込んでくれましたか?
そばにいる人ですか?
それとも遠くにいる人ですか?

前を向いて一緒に生きていきましょう!
今、氷川きよしには歌う力をくれる皆さんがいます。
心から届けたい。
命の底から伝えたい。
そんな歌が、今ここにあります”
 
あらためてきよしさんの愛のこもった言葉が心に響いてきます。
 
そしてもうひとつは、井上ひさしさんが書かれた朗読劇「少年口伝隊一九四五」の中の台詞でした。
広島で被爆によって肉親を失った3人の中学生が、まだ輪転機を回すことができず新聞を発行できない中国新聞社に雇われてその日の食事を得るためにニュースを“口伝て”するのです。
励まし合い、支え合ってがんばって生きて行こうとするのですが、3人のうち1人が9月の台風で亡くなり、もう1人は原爆症で亡くなります。
肉親を喪い、その上、ふたりの仲間を亡くした少年が、
ことあるごとに相談し、寄宿させてもらっていた広島文理大学(現広島大学)の老教師に、
「もうええが、もうたくさんじゃ」
と絶望する思いをぶつけるシーンがあります。
その時、老教師が言うのです。
「狂ってはいけん。
広島の子どものなりたかったものになりんさいや。
こいから先は、のうなった子どものかわりに生きるんじゃ。
今となりゃーそれしか方途がなあが。
そんじゃけぇ、狂ってはいけん。
おまいにゃー、やらにゃーいけんことがげえに山ほどあるよってな」


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
今日、生かされていることの意味、ありがたさにあらためて感謝したいと思います。