いよいよ「しぐれの港」の発売が明日2月13日となりました。
23枚目の勝負曲が15周年への大きな1歩になりますように。
皆さま、心をひとつにして応援しましょうね!
私は銀座の山野楽器さんで1日早くCDを受け取ってくる予定です。
そして19時から新橋のSL広場で行われる発売記念イベントにも仕事の繰り合わせができて、参加できることになりました。
「しぐれの港」がSL広場にどんなふうに響き渡るのか、想像しただけでわくわくしてくるのです。
ところで大切な勝負曲の発売を前に、私の個人的な思いですが、書いてみたいことがありました。
以前、きよしさんが美空ひばりさんについてお話しされた時に、
「ひばりさんの歌を聴いていて、歌はその人のすべてが表れる。歌は人生そのものだと思いました」
とおっしゃっていましたが、私もまた、13年間、きよしさんの歌を聴かせていただいてきて、心底、”歌は人なり”と思うようになったのです。
もちろん、きよしさんに、そうなのだと教えていただきました。
もちろん、きよしさんに、そうなのだと教えていただきました。
ブログに書く機会がないままでしたが、私がはまっていて毎週欠かさず見ているテレビ番組があります。
それはNHKの「ファミリーヒストリー」で、毎回、俳優さんや芸人さんのルーツを探っていくのですが、見ていて、よくぞここまで調べたなあという驚きと感動でいっぱいになるのです。
とりわけ先日、落語家の柳家花緑さんの回が放送され、その中で花緑さんの祖父である、故柳家小さん師匠の言葉が心に突き刺さり、感動したのです。
小さん師匠は、
「芸は人なり」と生前おっしゃっていて、その談話の映像が番組でも流れました。
「芸は人なり。これはもう人間性。人物。
だからやっぱり心が汚れていると、出てくるものが、みんな汚くなっちゃう。
ずるいやつは、ずるい噺になる。
生意気なやつは 生意気な噺になる。
卑しいやつは 卑しい 芯のない噺になってくる。
だから全部、噺の上に出てくるんだから、
清廉潔白でなくちゃならない。」
私は、”芸”や”噺”を、自然に”歌”に置き換えて聞き、
そして、きよしさんのことを思ってじんときてしまったのです。
私はきよしさんに出会った当初、きよしさんがどのような方なのかほとんど興味がありませんでした。
その歌声に魅せられていたので、それ以上の何かを期待していなかったのですが、歌を聴くほどに、きよしさんの心を感じ、次第に氷川きよしその人にも惹かれるようになったのでした。
もちろん今では、きよしさんのどこか一部分を切り離して語ることなどできません。
きよしさんが歌そのものであり、歌もまたきよしさんそのものと受け止めています。
私はきよしさんに出会った当初、きよしさんがどのような方なのかほとんど興味がありませんでした。
その歌声に魅せられていたので、それ以上の何かを期待していなかったのですが、歌を聴くほどに、きよしさんの心を感じ、次第に氷川きよしその人にも惹かれるようになったのでした。
もちろん今では、きよしさんのどこか一部分を切り離して語ることなどできません。
きよしさんが歌そのものであり、歌もまたきよしさんそのものと受け止めています。
そしてもうひとつ、印象に残ったのは、
「守 破 離 (シュハリ)」のお話です。
こちらも芸について小さん師匠が語られていたことでした。
「初めは師匠に教わったとおりの芸を忠実にやればいい。これが守ること。”守(シュ)”。
それができて今度は師匠の型を破らなくちゃいけない。
また方々へ行って稽古をつけてもらい、
いろんな人の技量を取り入れて、それでしゃべっていく。
これが破ること。”破(ハ)”だ。
今度は誰のマネでもない、自分のものをこしらえなくちゃいけない。
これは離れていく。人から離れるから”離(リ)”。
”これは誰もマネのできない俺のもんだ”
なんてまでなるのには容易なことじゃない」
落語家で初めて人間国宝になられた、小さん師匠はそのようにお話しされていました。
この番組を見たのが1月30日でしたので、デビュー記念日の2月2日に開催されたコンサートの昼の部で、衣装を”破”いてしまったきよしさんを見ていて、
その出来事が、なぜだか"守(シュ)”から"破(ハ)”へ、ステップアップの予兆に思えてならなかったのです。
いただいたもの、身に着けたものを守りながら、新たな境地へと進む。
”破”は前人未到の境地に至る道のりの一過程なのでしょう。
そして確固たる守るものができてこそ初めて殻を破ることができるのかもしれませんね。
そんなことを思ったのです。