皆さま、いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます。
お友だちのOさんの書が新宿のヒルトンプラザに展示されているので2日に見に行ってきました。
きよしさんの「櫻」を題材に、その歌の世界にインスパイアされて書かれたとうかがっていて、いただいたご案内状に「櫻花夢幻」という作品の題名を書き添えてくださっていました。
会場に到着すると、きよしさんにお会いする時のようなドキドキ感がしてきたのでした。
 
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書に向き合うと、すっとその世界に惹きこまれて、
私には、なぜかきよしさんの歌声よりも先に、きよしさんが「櫻」をワンコーラス歌った後に巻き起こる拍手に静かに深々と会釈され、そして再びスッと顔を上げられる姿が浮かんだのでした。
歌っておられなくてもその凛とした折り目正しい所作は、「櫻」という歌の一部になっていると私には思えるのです。
きよしさんの「櫻」の歌唱は素晴らしいですが、私にはこれまでの歌以上に余白をあえて作っていらっしゃるようにも感じていました。
きよしさん自身が今現在での完成形を描かずに聴き手に多くを委ねて歌っておられ、また今年の”櫻”、来年の”櫻”と、生涯をかけてその世界を深化(あえてこの字を使いますね)させていくおつもり、あるいは無意識にそれを選びとっていらっしゃるのではと勝手に想像していたのです。
そして「櫻」は前奏も間奏も含めて、”氷川きよし”による壮大なオペラのようだとも、「櫻」がリリースされてから半年余り聴かせていただいてきて感じていたのです。
Oさんの素晴らしい書に刺激を受けて、そんなあれこれを書の前で思い返していたのでした。
 
さてOさんに、ブログに作品の写真を掲載させていただくお許しを得ました。
その際、メッセージをくださったので書き添えさせていただきます。
「今回の作品、きよし君の次回のシングルが『櫻』である、と発表された時点で、櫻を書こうと決めていました。
始めは書体を変えて『櫻・桜・佐久羅・さくら』と書こうかとも思ったのですが、きよし君の歌を何度も聴き、映像を見るうち、夢幻という言葉が曲のイメージを強く現しているように思い、『櫻花夢幻』と書いてみました。
5月に長良会長があのような形でお亡くなりになるとは思ってもいなかった時でしたので、私自身にとっても本当に忘れられない作品になりました」
 
Oさんは今回の展覧会が「みなさんの櫻」の募集の前に開催されていれば、是非出品したかったそうですが、”タイミングが合わなくて残念!”とおっしゃっていました。
ところで今年の元旦、初詣に訪れた巣鴨のとげぬき地蔵尊で、私、Oさんとバッタリお会いしたのです。
「マルルさん!」
初詣客でいっぱいの境内で、聞き覚えのある声と共にポンと背中を叩いていただいて、振り向くとOさんでした。
”こんなたくさんの人がいる中で会えるなんて、嬉しいっ!”
と喜び合ったのです。
Oさんは先に靖国神社にいらして”櫻”のお守りを購入し、元旦から「櫻」のヒット祈願をされたということでした。
 
ブログを始めた当初、ブログを応援してくださっている方とお会いする機会があって、その折に
”私が親しくしている方なんです。ぜひ一緒にお会いしたいと思って”
と、紹介していただいたお一人がOさんでした。
縁はそのように広がり、そしてつながっていくものなのだなあとあらためて思い、紹介してくださった方にも今でも感謝しているのです。
 
そしてOさんにもまだお伝えしていないのですが、写メした画像をチェックしていて不思議なことに気づきました。
受付の方におことわりしてから作品を写メしたのですが、ライティングの状態もあって、反射したり、私の姿が映りこんでしまうことに気づきました。
それで角度や高さを変えてみることにしたのですが、作品をご覧になっていらっしゃる方が大勢いらしたので邪魔にならないようにしながら結局7枚撮りました。
それで今回どの画像をアップしようかチェックしていて、偶然この1枚だけ上方に2箇所”櫻色”が映りこんでいることに気づいたのです。
下部には私がしっかり写ってしまっていたので、”櫻色”の部分だけの画像をアップしておきますね(携帯の画像だと少しわかりにくいかもしれませんがPCですとはっきりくっきり? 写っています)。
1枚目の画像を見ていただければおわかりいただけるかと思うのですが、周りに”櫻色”のものなどなかったはず。
この1枚だけがこのように写っていたので、とても不思議です。
ところで皆さま、きよしさんに贈らせていただいた”櫻”のメッセージの折、Oさんも参加してくださって、あの”櫻”のステッカーに筆書きできよしさんへのメッセージを書いてくださったのです。
私はその書のあまりの素敵さに色紙の中心になる場所に貼らせていただいたのでした。
 
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そして以下は話題が変わりますが、最近、きよしさんに気づかせていただいたことを書きたいと思います。
扁桃腺炎になってしまい、回復するまでに思っていたより時間がかかりました。
でもすべてに学びがあるというのはほんとうだなあと身をもって感じる出来事があったのです。
 
仕事柄、一日に会う人の数が多いほうだと思うのですが、声がものすごいハナ声になっていたので、お会いする方たちに、
”すごいハナ声だね、風邪、こじらせちゃったの? ”
”長引いてるね、熱ないの?”
”なかなか治らないね”
と訪れた先々で言われるということが続いたのです。
たしかに私とはわからないほどのハナ声でしたから、どなたも心配してくださっての言葉なのだと頭でわかっていても、
”すごいハナ声”、風邪をこじらせた”、”長引いている”と言われ続ける状況に、私ってそんなに重症なんだ。そんなにすごいハナ声なんだ。風邪こじらせているんだという気になってきて気の利いた返答もできなかったのです。
皆、心配して言ってくれているんじゃないの? もしどうでもいいと思われていたら、どんなにハナ声でも話題にもされないでしょう?
そうなんです。そうなんだけど...。
でも自分ではもうすぐよくなる、もう治るとがんばっているのに、そんなふうに言わないでと思ってしまって。
そんな自分がほんとうにイヤだなあと感じていたのです。
こうして今書いていても、恥ずかしいですね。
 
そんな時期、きよしさんの渋谷公会堂でのコンサートに参加させていただいて、きよしさんのおっしゃる”言葉の力”をきよしさんの歌やトーク、振る舞いから、あらためて感じとらせていただいたのです。
そして2日目の夜の部できよしさんがおっしゃった生声での”ありがとうございました”という言葉が、私の胸に直球ストレートで届いた時、”そうだ!”とひらめくものがあったのでした。
 
もちろんそんなことをしなくても、黙って自分が素直に相手の言葉を感謝して受け止められればよいのですが、それができない、ある意味、心まで風邪をひいているに等しい私でしたので、まずは口に出してお礼を言うことにしてみたのです。
 
たとえば
「ずいぶんなハナ声だね、風邪こじらせちゃったの?」
と言われたら、心ではそのこと話題にされたくないのにと思っていても、まず
「うん。心配してくれてどうもありがとう」
と最初に言うのです。
するとどうでしょう。その瞬間、不思議なことにほんとうにそういう気持ちになれましたし、相手の方も私が気弱になっていることがそのひと言で伝わったのでしょう。
「辛くはない? 熱はないの? 治りかけが大事だから。早く良くなるといいね」
と、優しい言葉をさらにたくさんいただくことになって、いっそうありがたさが増していったのです。 
ですので、良くなった今は、具合が悪かった時に声をかけてくださった方に会ったら、
「やっとよくなりました。この間は心配してくださってありがとうございました」
と挨拶しようと思います。
 
そして、このことは、もっともっといろいろなことに通じていきそうで、長引いた体調不良にも、未熟な私には大きな学びがあったなあと身をもって感じたのです。
そして苦しい時に、さり気なくヒントをくださったのは、やはりきよしさんなのでした。