さいたま市文化センターで開催されたコンサートの夜の部に参加しました。
まず最初にごめんなさい。
きよしさんが笑顔で力強く歌ってくださっているというのに、コンサートの後半、私は涙がとめどなくあふれてきて、終演までほとんど泣いていたのです。
そのことにはふれずに冷静にこの記事を書こうと最初は思ったのですが、書いていてまた同じ状態になってしまったので、やはり正直に書くことにしますね。
そう、私は氷川きよしのファンであると同時に、長良じゅんというプロデューサーのファンでもあったのだということを今さらながら思ったのです。
きよしさんが話してくださる長良会長のエピソードと、きよしさんの熱唱を聴いていたら、自分にとっても大きな存在であり、大好きだった方を失ったのだという現実が急に押し寄せてきたのでした。
私、いつだってそうなのです。心にバリヤーをはってなかなか素直になれなくて。
きよしさんの歌声のおかげで安心することができ、心の鎧もすべて脱ぎ去って素の自分になれるのです。
すみません。なので今夜はこのままの気持ちで書いていきます。
オープニングの「獅子」から熱唱が続きました。
最近、きよしさんの歌唱の加減で言葉がくっと立っているように感じることがあり、言葉と音を巧みに操る魔術師にさえ思えるのです。
”昭和の名曲”を歌うコーナーで「奥飛騨慕情」を歌った後のオープニングトークでのことでした。
「声援が熱いっ! 皆さんの熱気で気温50度くらいの空間になっています(笑)」
とおっしゃり、客席との和やかな会話、そしてアイコンタクトが続いて、きよしさんの笑顔はまぶしいほどだったのです。でも、きよしさんは、
「この辺で西寄さんに出ていただいてもよいでしょうか。一人でしゃべっていると、なんか泣けちゃうから...」
そうおっしゃって、西寄さんをお呼びになったのです。
西寄さんを紹介されて、
客席からの西寄さんへのかけ声を真似され、口元に手を添え”西さ~ん!”と、きよしさんが”西さんコール”をされたのでした(笑)。そういえば司会に西寄さんをつけてくださったのも長良会長だったそうです。
きよしさんは、すうっと息を大きく吸い、居住まいを正してから、お話しされたのでした。
「僕の所属している長良プロダクションの会長であり、僕の(芸能界での)父でもある長良じゅん会長が5月3日に事故で亡くなりました。
皆さんも報道などでお知りになり、心を痛め、さらに僕の心配までしてくださってありがとうございました。
この14年間、父のような...。
愛情の深い方で、長良会長が氷川きよしを作ってくださいました。
会長と出会わなければデビューしていなかったかもしれませんし、僕は氷川きよしにはなっていませんでした。
デビュー前、会長に初めてお会いして、水森先生のギター伴奏で僕の歌を聴いていただくことになったのですが、その時、僕、本当に緊張してしまったんです。
そうしたら会長が、
”緊張しなくても大丈夫だよ”って(優しく)言ってくれたんですよね。
会長は見た目は怖そうな方に見えますけど、そんなふうに最初から優しい方でした。
僕は、そう言っていただいてもやっぱり緊張してしまったのですが、3曲一生懸命歌ったんです。
そうしたら会長が、
”よしっ! うちでやろう”
って言ってくださったんです。
そして、
”これは売れる”
とも言ってくださったんです。僕、会長のその言葉を聞いて、ビリビリッとしました」
きよしさんは”ビリビリッ”というところでからだを震わせたのです。会長のその言葉にからだに電流が走るような思いをされたのですね。そして、”これは売れる”と言ってくださったこと。私は初めて知りました。
さらにきよしさんのお話は続きました。
ところどころ手帳に書き取った言葉を記憶を頼りにつなげているので、きよしさんの言葉どおりではない部分もあることをお許しください。
「上京して3年間。演歌歌手を目指してがんばっていましたが、当時は男性演歌歌手はなかなかデビューできなくて、アルバイト先の人にも”どうなっているの? 演歌歌手になるんじゃなかったの”と言われましたし、実家にも結果を出さずに手ぶらでは帰れません。水森先生にもそれ以上お世話になるのは申し訳ないなあと思っていて...。その時の僕にはもうどこにも行き場所がありませんでした。
だから最後の賭けだったんです。21歳でした」
きよしさんは笑顔を絶やさずに、会長との運命の出会い、そして氷川きよしとして歩んできた幸せな思い出を語ってくださったのですが、聞いている私のほうが、心がふるえてきて、笑顔ではいられなくなってしまったのです。
「会長には歌手・氷川きよしとしての振る舞い、謙虚さ、情を大切に、恩を忘れるなということを教えていただきました。僕にとって仕事の師匠でもあり、人生の師匠でもありました。
会長の車に乗せていただいていたある時、リヤカーに荷物をたくさん積んだおばあちゃんがいたんです。落花生とか野菜とかいろんなものを載せていて重そうで、見ていて僕も少しでも荷物を軽くしてあげたいなあと思ったのですが、会長はすぐに一緒に車に乗っていた事務所のHさんという方に、
”H、買ってやれ”
とおっしゃって、落花生の袋を10袋ほどHさんが買ったのです。おばあちゃんはとても喜んでいて、千葉から来たのだと言っていました。
会長は優しい方だなあと思いました。
(皆さま、このエピソードは少し前の記事に書かせていただいていますが、申し訳ないことにうろ覚えでしたので、今回、きよしさんがこのように詳細にお話しくださったので、先の記事も少し修正しました)
そして、会長は僕に
”俺たちの仕事はロマンを売ってるんだ。ロマンを追いかけてるんだよ”
と言っていました。
”きよし、ロマンを追え!”と。
僕は これからも心ある歌を歌っていきたいですし、正義の心を忘れずにいたいです。
そして長良プロの一員として長良プロを守っていきたいです」
そうおっしゃってから、”おこがましいですが”と言い添えていらっしゃいました。
「情報ライブ ミヤネ屋」での放送を先の記事に書かせていただきましたが、宮根さんは1ヶ月ほど前にあるゴルフコンペで長良会長にお会いしたのだそうです。
長良会長の方から宮根さんにご挨拶にいらして、
”いつもうちの氷川とか水森がお世話になってありがとう。また呼んでやってください”
というようなことをおっしゃって、そのまま同じテーブルで食事をされたということでした。
きよしさんにお話しされる時には、必ず、”きよし”と呼びかけておられたようで、きよしさんを通して再現される長良会長の口調から、きよしさんへの深い愛情と信頼を感じて、じんときてしまいました。
「心は目には見えないですが、やっぱり僕は心が大切だと思います。
10周年の記念コンサートを日本武道館でさせていただきましたが、その時に、会長は皆さんのことをおっしゃっていたんです。
”きよし、10年よくがんばったなー。偉いぞー。でもな、10年という年月は人の心を変える年月だ。新しいものがどんどん出てきて人の心も移る。それなのに、おまえのファンはありがたいなあ。10年変わらず応援してくれて。感謝しろよー”
会長に皆さんのことをそう言っていただいたんです。
僕にとって会長は永遠です。会長の魂を受け入れて生きていきます。心は誰にも崩せません。
会長には
”暗くなるな、笑顔でいろー”
とよく言われました。
そして仕事には厳しい方でした。
CDのジャケットやブックレットも厳しくチェックされて、
”こりゃ、だめだ。やり直しだ、ばかやろう! きよしの顔がちゃんと写ってないじゃないか”
そんなふうに絶対に妥協をしませんでした」
きよしさんは語るほどに自然に長良会長の口調になり、あの”べらんめえ口調”を再現してくださったのでした。 仕事中できよしさんが電話に出られない時には、会長が留守番電話にメッセージを残してくださったそうですが、
”きよしか? 新曲のあれな、あれしてくれ。じゃあな”
というような内容だったそうです。
きよしさんの”あれ”は会長譲りだったのですね(笑)。
きよしさんは会長とは多くを語らずともわかり合えたのでしょう。電話をしてもいつも会話はだいたい20秒くらいで終わってしまったそうです。
6月13日に発売される「演歌名曲コレクション16~櫻~」は、
”全部、会長からOKが出た曲です”
ときよしさんがおっしゃっていました。
これまでシングルもアルバムもすべて長良会長が厳しくダメだしをしながら共に作ってこられたのですね。
本葬でのコメントで
”長良会長に拾っていただいたんです”とおっしゃっていましたが、この日も”もう行き場所がどこにもなかったんです”と、その時の思いを語ってくださって胸がしめつけられるようでした。
長良会長は生涯、ロマンを追い求めて私たちに限りないロマンを届け続けてくださったのですね。
きよしさんに出会ってからの12年間は思い返せば私にとって夢のような歳月でした。
次から次へとめくるめく夢の世界に誘(いざな)っていただいて、そのおかげで夢見る心、信じる心を失うことなく生きてこられたのです。
その夢をきよしさんと共に二人三脚のようにして長良会長が演出してくださっていたことを感じて、この日、きよしさんが歌ってくださった「櫻」以降は、どの曲を聴いていても涙が自然とあふれてきたのでした。
きよしさん、ごめんなさい。
あなたが笑顔で歌ってくださっているのに、ごめんなさい。
そう思っても、私の涙は止まらなかったのです。
そんな中で聴いた「玄海船歌」の歌唱の、またなんと素晴らしかったことでしょう。
がっしりと抱きとめられて(心が)、”泣きたきゃ、気がすむまで泣いたらいい”と言っていただいたような気持ちになって、何だかとてもホッとしたのでした。
西寄さんが
「氷川さんも心の内をファンの皆さんにお届けすることができて、安心されたのではないかと思います」
とおっしゃっていました。
そして「箱根八里の半次郎」まで歌い終え、ラストトークとなったのです。
”きよしコール”が起こりました。
きよしさんはしばらくそのコールに身を委ねるような仕草をされてから、”皆さんコール”を重ねてくださったのです。
きよしさんは、
「泣きたかったら泣けばいい、笑いたかったら笑えばいい、悲しかったら悲しんでいいんです」
そのようなことを一言一言おっしゃってから、
「人間がしていれば(どんなことだって)いい!」
そう、大きな声でおっしゃったのでした。
そして先日立ち寄った100円ローソンで、レジの男の子が無愛想に応対しているのを見て黙っていられず、
”サービス業なんだから笑顔が基本でしょう”ときよしさんはお話しされたことを話題にされたのです。
「そんなこといちいち言わなくてもいいのかもしれないけど。言わずにはいられません。
これは性格! やむを得ん! そういう気持ちは今後、時代劇で表現したいですよね」
きよしさんがそうおっしゃった途端、”わあーっ”と客席から大きな反応があると、
「予定はありません(笑)」
ちょっと、申し訳なさそうにおっしゃったのでした(笑)。
この日、西寄さんが
「皆さんの笑顔と拍手、そして歓声が、明日の氷川きよしの歴史を作っていってくださるのです」
とおっしゃった言葉が深く心に残りました。
終わりなき歌の道を歩む氷川きよし...。
私たちにとって氷川きよしの存在、その歩みこそが果てしないロマンなのでしょう。
今日から明日へ、一歩一歩きよしさんと共に歩みながら、おこがましくもその歴史を一緒に作らせていただけるなんて、壮大なロマンを感じずにはいられません。
きよしさんは夜の部では最後まで笑顔で、そしてエネルギッシュに歌ってくださいました。
アンコールでは、思いがちゃんと心にしみて伝わっているか確かめるかのように、ところどころ歌詩を語りかけるようにして歌ってくださったのでした。
きよしさん、
私はもう胸がいっぱいです。
そして、あなたのおかげでこんなにも悲しい思いになるほどに素晴らしい長良会長に出会えたことに感謝します。