昨日の奈良100年会館でのコンサートの様子、新聞の記事などをお読みになった方も多いかと思います。
参加された様子を教えてくださった、ひめ様、あい様、そして内緒の皆さま、ありがとうございました。
また、水木れいじ先生のブログの更新を教えてくださったゆう様、長良会長の訃報をお教えてくださったごちやん様、内緒の皆さま、本当にありがとうございました。
昨夜、水木先生のブログを読ませていただいていたら、”悲しかったら泣いていいんだよ”と言っていただいたような気持ちになり、長良会長の訃報を聞いてから、初めて涙が出ました。
5月3日に長良会長の訃報を聞いてからも、信じられない、間違いなのではないだろうかという気持ちと、自分の半身を捥(も)ぎ取られてしまったに等しいきよしさんのお気持ちを思うと、自分が泣いている場合ではないと思っていたのか、その心理は自分のことなのによく説明できないのです。
そのような説明できない宙ぶらりんな気持ちでブログで長良会長のエピソードを書かせていただいていました。
奈良でのコンサートの様子を教えていただいた後、自室で水木先生のブログを読んでいたら文字がにじんで見えて、気がついたら泣いていたのです。
身近で接する機会もなく、会話も交わしたこともない私にとって、長良会長は現実的には近しいとは言いがたい方かもしれません。
でも、氷川きよしという歌手に出逢わせてくださり、ファンとしてきよしさんを通して、おこがましくも人生の師と尊敬し、そして時には身近な父のようにも思い、慕わせていただいていたのです。
きっときよしさんのファンの多くの方が同じお気持ちを抱かれているのではないでしょうか?
私、思うのです。たとえ直接お会いすることがなくても、適当な言葉がうかばないのですが、あえて言うなら”魂の領域”とでも言いましょうか。
同じ時代を生き、長良会長が世に送り出してくださった”氷川きよし”を愛する私たちファンひとりひとりの心が、長良会長とつながっていないはずはないのだと、今、そう思うのです。
水木先生の長良会長へのあまりにも深い思いをつづられたブログを読ませていただきながら、そのようなことも考えたのでした。
さて、自分自身が参加していないコンサートの内容を記事に書くのは初めてですが、今回は皆さまと思いを共有したいと思い、皆さんからのコメント(レポート)といくつかのニュースをもとに、昨日コンサートのこと、書いてみますね。
昼夜一緒になっている部分もありますことをご了解ください。
【なら100年会館コンサート】
7日、氷川きよしが、なら100年会館で コンサートを昼夜開催した。
「芸能界の父」である長良じゅん会長の死去後、初の公演だった。
開演から約1時間後、中盤10曲目。新曲「櫻」を披露する際、「(櫻は)東日本大震災で亡くなった方への追悼を込めて作っていただきました。これからも、この作品を歌って…」と涙声になり、声を詰まらせながら「この歌を伝えることが氷川きよしの使命だと思っています」と話した。
客席に向かって
「元気いっぱい行きましょう! 今は本当は『櫻』は歌いたくありません。それでも歌っていくことが僕の使命です」
長良会長の名前を語ることは一切なかったが、「櫻」を歌っていて思い出が胸をよぎったのか、目に涙を浮かべ、途切れそうになるのをこらえて歌った。
長良会長の名前を語ることは一切なかったが、「櫻」を歌っていて思い出が胸をよぎったのか、目に涙を浮かべ、途切れそうになるのをこらえて歌った。
氷川は客席に向かって
「こんな歌い方になって(めちゃくちゃな歌い方で)すみません」
と深々と頭を下げた。
その後歌ったカップリング曲の「出発」では、
「この場所から“出発”しなければならないと思います」
と話し、気持ちを切り替えようと笑顔を浮かべたが、
「♪会えると思ったのに」
「♪涙はもう見せない」の歌詩に声を震わせ、途中から歌声は嗚咽交じりになった。
客席からの”がんばれ、きよしー!”という多くの声援を浴び、
「本当にうれしい。心にジンジンきています」
と応じた。
夜の部では、「出発」を精いっぱいの笑顔で歌い、「浪曲一代」、「一剣」では 涙をこらえながらの熱唱。
その後は笑顔を見せつつ、計20曲を歌いきり、約2時間の公演を終えた。
氷川は昼夜2公演で20曲ずつ歌い、
「僕は明日も明後日もずっと元気でいます。皆様も明日も明後日もずっとずっと元気で一緒にいて下さい。約束ですよ。裏切らないで下さいね」
「人生は悲しいことや楽しいことの繰り返し。また、笑顔になるために生きているんです」
と語り、前を向いた。
関係者によると 氷川は楽屋で、
「これから恩返ししていかなきゃいけない」
と話していたという。
なんと見事なコンサートだったのでしょう。
”天晴れ 氷川きよし! ”
私は心から快哉を叫びます。
そして、きよしさんを客席から応援してくださった皆さま、ありがとうございました。
皆さまの笑顔、声援、そしてともに流されたであろう涙に、きよしさんはどれほど慰められ、勇気付けられたことでしょうね。
コンサートに参加できず、それぞれの場所から応援させていただいていたファンのすべてが参加された皆さまに感謝していることと思います。
このファンどうしの一体感、信頼はまぎれもなく、きよしさんが作り出してくださったもの。私たちファンの宝物ですね。今、そのありがたさで胸がいっぱいです。
さて、私は昨日、仕事の合間に浅草におりました。
私が浅草でよく行くお店にGACKTさんもいらっしゃるそうで、GACKTさんが考案したメニューがあるのです。
今年の春先から仕事でお世話になっている方が、たまたま会話の中でGACKTさんの熱烈ファンであることがわかり、先月の半ば頃に、連休明けの5月7日にそのお店にその方を案内させていただく約束をしていたのです。
長良会長の訃報を知り、この時期に浅草に行く予定にしていたことに複雑な思いになり、延期していただこうかとも考えたのですが、その日はきよしさんがなら100年会館でコンサートを開催する日ということにはたと気づき、その日、奈良に行くことはかなわないけれども、天晴地蔵様をお参りさせていただこうと思ったのです。
そういえばGACKTさんの「眠狂四郎」の舞台はアイエスが制作していたこともあったからでしょうか。楽屋の中でもよく見える場所に長良会長からのお花が飾られていたことを、今この記事を書いていて思い出しました。
ささいなことではありますが、それでも何かしらどこかでつながっているのでしょうか。

5月7日午後2時30分頃です。
これまでは天晴地蔵様をクローズアップした画像しかこのブログに掲載していなかったかもしれませんが、天晴地蔵様の左に長良会長のお名前の入った石灯篭があります。
すでにご存知の方のほうが多いかと思いますが、天晴地蔵様は、長良会長がきよしさんとの出逢いに感謝してつくられたもので、今ではきよしさんが名実ともにトップスターになられたので、別名”出世地蔵”ともいわれています。
この画像には写っていないのですが、天晴地蔵様の足元のコップに注がれていたのは、いつもはお水ですが、この日はお酒のようでした。

天晴地蔵様の近くにある和菓子司・徳太樓に立ち寄りました。
長良会長がこちらのお店のきんつばをよくお求めになられると、以前何かでうかがったことがありました。
数年前までは引き戸でしたが、今では入り口は自動ドアになり、立派な店構えです。
さて、この記事の最後にこの記事のタイトルになっている話題を。
2005年だったでしょうか。長良会長は日刊スポーツの「夢追い群像」という連載記事の中できよしさんへの期待を語っておられました。
「氷川きよしは多くの可能性を秘めた歌手だし、自然な形で成長している。はやり歌の世界を何年後かに変えてくれると思っている」
長良会長は壮大な夢を氷川きよしに託していたのですね。
そして、必ずその夢の数々を氷川きよしがかなえてくれることを信じて疑わなかったのでしょう。