長良じゅん会長のハワイ葬が8日(日本時間9日)にホノルル市内で営まれることになり、日本にご帰国される前に、交流の深かった現地の日系人や政財界関係者らによる「しのぶ会」が開催されるそうです。
ハワイをこよなく愛し、所属歌手のハワイ公演も手がけ、「日刊スポーツ」によりますと、そんな長良会長への現地関係者からの恩返しの意味合いもあるということでした。
2003年には「アロハ・フェスティバル」で、きよしさんも初の海外公演をおこなっていますね。
 
”(芸能界での)指定席をなくさないように”
そしてデビュー10周年の時には、
”これで大学を卒業してようやく社会人になったところ”
長良会長が折々にきよしさんにおっしゃった言葉は、きよしさんを通じて私たちの心に届いていたのだと、今あらためて思います。
 
コンサートでだったでしょうか、ラジオでだったでしょうか。
きよしさんが長良会長と一緒に車で移動されていた時のエピソードをお話しされたことがありました。
荷物をたくさん抱えた行商のおばあさんを見かけた長良会長は、車を止めてその方の品物をたくさん買ってさしあげて、きよしさんはごく自然にそのようなことをされた長良会長の姿を見て、その温かさに心うたれたと語っておられたかと思います。
 
昨日、探し物をしていてパラパラとファイルを見ていたら、微笑ましいエピソードを見つけました。
それは野菜好きなきよしさんが、長良会長に初めてお寿司を食べに連れて行っていただいた時のこと。
カウンターに座って、
「きよし、好きなものをたのみなさい」
と長良会長に言われ、
「はい。じゃあ・・・・・・サラダ巻き」と注文したというお話。
きよしさんいわく、”板さんはさすが”で、
「サラダ巻きはありませんが、こちらを召し上がってみてください」と言って、出してくださったのが、めねぎのにぎり。
きよしさんはそれ以来、めねぎのにぎりが大好きになったということでした。
  
長良会長ときよしさんが初めて会ったのは1999年2月25日のことだったそうです。
それはのちのインタビューで長良会長ご自身が、
『忘れもしません。1999年2月25日。私が初めてきよしと会った時、着ていた洋服は青いセーターだった。後から聞いた話ですが、あのセーターは私と会うために、なけなしのカネをはたいて買ったそうです。』
とお話しされていました。
そのインタビューは「サンデー毎日 2005年3月27日号」の”ファンも知らなかった 氷川きよしが大泣きした夜”というタイトルの記事で、村田久美記者によるものです。
充実した内容で掲載当時とても印象に残っていたので、今回その掲載誌を読み返してみたのです。
 
とりわけ印象に残っている談話のいつくかを書きとめてみました。 
☆スターを育てることについて
スターを見つけだして育てる。私も芸能界で何十年と歌手のマネジメントを手がけてきましたが、素質を見抜くのはとても難しい。
でもスター性を持っている人と出会うと、ある主のオーラというか”匂い”を感じる。
独自の感覚なんですが、きよしと初めて会った時、"目”に強烈なエネルギーを感じた。うそがない、正直な男だと。それが歌に表れていて、汚れがまったくない。
そのへんが"匂い”だったのかもしれません。
 
☆「箱根八里の半次郎」のデビューキャンペーン
「箱根八里の半次郎」でデビューする前、CDは売らずに、店頭で1曲歌うだけ。それを徹底させたのです。
彼にしてみれば長い下積みを経て、ようやく決まった晴れの舞台。
なのに、股旅姿で歌うのは、正直しんどかったと思う。でも私はあえてこう言った。
「きよし、笑われれば笑われるほど、世間の皆さまに認知されて、売れるんだよ。だから私のやることを信じてついておいで」
歌手を売り出すのは大きな賭けで、失敗すればリスクも大きい。
私が水原弘(故人)のマネージャーをしていた頃、1967年に「君こそわが命」という歌で、カムバックを果たした時の手法と同じです。
当時、水原を支えてくれた世代なら、氷川を受け入れてくれるに違いない、という勝算はありました。
99年暮れにJR巣鴨駅前にある小劇場に、飛び入りで出演をさせてもらった。客層はおじいちゃん、おばあちゃんばかりが100人ほどいたと思う。「箱根八里の半次郎」を1曲歌わせてもらったんです。そうしたら、拍手喝采で大喜びしてくれた。
その光景を見て、
「これはいけるぞ」と手ごたえを感じました。年配の方には支持されると確信しました。
あとは、若い世代にどういう形で浸透させられるか。
たしか浅草のレコード店での出来事でしたが、若い茶髪の20代前半くらいの女の子が、きよしを指して「何あれ、バカみたい」と笑い転げた。
その声を聞いて「勝った」と思った。
ふつうにこぶしを利かせて歌っていたのでは、誰も振り向いてくれませんからね。
「何あれ」と、言ったのは、興味を抱いてくれた証拠でもあるんです。
 
☆プロ歌手とは 
うわべで歌う歌手は大勢いる。きよしにはそうなってほしくはない。
私が思うプロ歌手とは、
(1)歌うこと、聞くことの両方で音に対して勘が良い。
(2)詩を理解して、自分らしさを表現できる力がある。
(3)自分の置かれている状況を判断して、周囲への気配りができる。
この3点です。
よく歌舞伎の世界では、役者が素晴らしい演技をすることを「腹に芝居を落としている」と、言います。
歌の世界に置き換えるなら「腹に歌心を落としている」と、なるでしょう。
きよしにお願いしたいのは、いつまでもプロ歌手としての姿勢を貫いてもらいたい、ただそれだけです。
 
2004年、猛暑と忙しさから体調を崩し、コンサートを延期することになったことがありましたね。
その時、長良会長は、きよしさんに雨宿りしているキリンの写真のコピーを渡されたのです。
このエピソードは、きよしさんご自身も語っておられたことがあるのでご存知の方も多いかと思いますが、そのことについて長良会長はこのようにお話しされています。
『きよしは責任感の強い男だから背負い込んでしまう。
だから、「焦ってはいけないよ」という意味をこめて、1枚の写真のコピーを渡しました。
(中略)
謎かけでもあるがどういう反応が返ってくるかでその成長の度合いもわかる。
その写真は「1頭のキリンが、草原の中に1本だけ生えている大きな木の下で、雨宿りをしている」。
そんな素敵な光景なんです。
「きよし、これはキリンが雨宿りしている写真だ。デビューしてから走り続けているんだから、たまには雨宿りする時だってあるよ」
と励ました。
(中略)
非凡な才能を持つ少年のことを”麒麟児”といいますし、字は違いますが”騏麟も老いぬれば駑馬に劣る”ということわざ(註:「戦国策」斉策から。すぐれた人も年老いると働きが劣り、凡人に及ばなくなることのたとえ)がある。
自分を麒麟児と思って高慢になるか、今の人気はいずれは老いる時もあると、自分を戒め精進するか――。
それは本人の受け止め方次第です。
でも、私はきよしを信じています。』
 
そして恋愛のことについてもお話しされていました。
『人間だから、人を好きになるのは当たり前ですし、それを抑えようなどということは私はしませんよ。
人を好きにならなかったら、うわべだけの歌になってしまうし、芝居もできない。
願わくば、本当にいい人を好きになってもらいたいね。
どちらかと言えば、相手に惚れられるよりも、きよしが惚れて苦しむほうがいい歌が歌える(笑)。
本人とそんな話をしたことはありますよ。親子みたいに何でも話し合う仲ですからね』
と。
 
そういえば、きよしさんが「一剣」を歌い始めて少したったころ、長良会長が刀のレプリカと小さな合掌造りの古民家のオルゴールをプレゼントされたことがあったそうで、その贈り物については、きよしさんが、
『「一剣」を歌っていても、その詩の世界とはまたく違う都会生活を送っている。
だから、この刀を見て、日本の武道の美しさと精神を忘れないように。
そして古民家を見て、日本のふるさとの美しさとそれを思う気持ちを忘れないように』
長良会長のそんな思いが込められた贈り物だったと、語っておられましたね。
 
私でさえ思い返すと、温かでやさしい会長のエピソードがとめどなくうかんできます。