長良じゅん会長の訃報に多くの方が驚き、そして悲しみを深めています。
あまりに突然の別れに、そして東京の父であり、人生の師、そして氷川きよしにとっての大恩人である長良会長が旅立たれた今、きよしさんの胸中は察するに余りあります。
それでもきよしさんは事務所を通じて追悼コメントを緊急発表してくださいましたね。
すでにお読みになられた方も多いかと思いますが、ひとことひとこと噛みしめながら書きとめてみました。
【氷川きよしより追悼コメント】
神林社長からのお話で長良会長の訃報をお聞きしました。長良会長が亡くなったなんてまだ信じられません。
僕と会うとき、長良会長はいつも僕のグッズの「HK」ロゴが入った帽子をかぶってくださって、「きよし、元気か」と笑顔で声をかけてくださいます。いつものように、またお会いできるような気がしてなりません。
長良会長には本当に多くのことを教えていただきました。あんなにすごくて温かい方はいません。
長良会長には本当に多くのことを教えていただきました。あんなにすごくて温かい方はいません。
「氷川きよし」を生み、育ててくださった大恩人です。
いま、どうお話ししていいのか言葉が見つかりませんが、長良会長の遺志を継いで、所属タレントの先輩、後輩の皆さん、そして社員の皆さんと一丸となって、神林社長とともに「長良グループ」をもり立て、頑張っていきたいと思います。
きよしさんのお心が文面から伝わってきますね。
きよしさんのお心が文面から伝わってきますね。
受け入れ難い突然の悲しい出来事だからこそ、皆で力を合わせて長良会長が作り上げてきたものを守ることをまず第一に考えられているのでしょう。
深い悲しみを抱きながらも、このような力強いコメントをくださるきよしさんに、頼もしさを感じ、救われた思いになりました。
昨日の日刊スポーツに掲載されていた訃報の記事の中に
”特に氷川への思いは強く、デビュー時には父の芸名を取り、「天晴(あっぱれ)きよし」にするプランがあった。”
”また2009年発売の氷川の10周年記念曲「浪曲一代」は、(氷川に)自らの人生を歌わせたいという思いがあったという。”
という記述があり、漠然とそう思っていたのですが、やっぱりそうだったのだなあと思ったのです。
そして笹森文彦記者がコラムを書かれていました。
笹森記者によると、
戦中戦後の芸能界にはスタッフも愛称を付ける風習があって、”長良じゅん”という名前は雪村いづみさんに命名していただいたのだそうです。
皆さまはすでにご存知でしょうけれども本名は神林義忠さんですものね。
長良会長は東京生まれですが、岐阜の親戚の家に疎開した経験があって、その時に泳いだ長良川の清流が忘れられないことを雪村さんに話したことがあったのだそうです。
そこから「長良川のように純粋な人」という意味で「長良純」、転じて「長良じゅん」になっということでした。
長良会長は
「オレの名前は義忠(=忠義)だからいちずで真っすぐなんだ。そして純粋なんだ」と、よくスタッフに話されていたそうです。
そして雪村いづみさん、水原弘さん、美空ひばりさん、勝新太郎さん、小林旭さん、梅宮辰夫さんらとともに歩み、苦難の時には惜しみなく支援もされ、そのことについて、
「みんな同じ世代の船に乗り、苦労や栄光を味わってきた。同じ船に乗り、この世界にロマンを求めて生きてきた仲間が苦労しているとき、手を差し伸べるのは当然だ」
と語っていらしたそうです。
先月開催された「夜桜演歌まつり」にウィリー沖山さんを招かれており、ウィリーさんのお心のこもった長良会長への謝辞、そしてその長良会長のお気持ちに応えるような素晴らしい歌声が思い出されます。
思えば、きよしさんを通して、折々に長良会長のお話やエピソードを聞かせていただいて、私自身の人生にも長良会長の言葉やエピソードが深く根ざしていることに気づいたのです。
また次の記事で、そのことを書いてみようと思います。
皆さま、心をひとつにして氷川きよしさんについてまいりましょう。