皆さま、なかなかブログの更新ができずにいましたが、のめり込むようにして仕事をしていました。
昨夜ようやく仕上げたもののすべてにOKが出て、少しほっとしています。
仕事にのめり込んで いても、ブログの更新ができなくても、心はいつもきよしさんと一緒です。
早くブログに書きたいなあと思うことが(?)、そんな時ほどどんどんわいて、それがまたがんばれるエネルギーにもなるようでした。
20日の「氷川きよし節」(文化放送)を聞いていたら、「きよしのズンドコ節」がリクエストされました。
きよしさんはリリースされた当時を振り返って、
「初登場5位だったんですねー。思い出しますねー。
ほんとうに嬉しかったです、初登場5位になった時は。
オリコントップ10に入るっていうことがもう夢のようで、すごく嬉しい気持ちと。
その時は浮かれちゃいましたよねー、やっぱり若いですし。
whew(”ヒューッ”とか”うわー”とが混ざったような感じの感嘆詞で、HKオリジナルでしょうか?)て感じでしたね。
今も” whew”という感じですけど。
落ち着いて、ありがとうございますという感謝の気持ちを忘れず、ずっと歌手人生を歩む上でトップ10に入れさせていただけるように努力していきたいですね」
そんなふうにおっしゃっていて、聞いていて心ひかれました。
”浮かれたきよしさん”を見てみたいなあと思いますが、私はほんとうにそんなきよしさんを見たことがないのです。
きよしさんが自慢らしきものをされたのも、私は一度だけしか見たことがありません。
もっと浮かれたっていいのに。
もっと自慢したっていいのに。
もっと”どや顔”したっていいのに。
私はそんなふうにずっと思ってきました。
でも13年目に入った今も、変わりませんね。
それは、きよしさん自身が、”これでいい”と思っていらっしゃらないからなのでしょうし、多くの方に支えられているという感謝の気持ちを常に抱いておられるからなのではないかと思うのです。
私は、きよしさんが、どんなに素晴らしい歌唱をされても、押し付けるということをまったくされないことに、今でも驚かされるのです。
さて、21日にはニッポン放送の「徳光和夫 とくモリ! 歌謡サタデー」に、きよしさんが出演されましたね。
「徳光和夫が語る! ビッグスター運命の出逢い・感動ストーリー」のコーナーでの大トリ。
”志から20年 氷川きよしが紡いだ演歌の糸”というタイトルで、きよしさんご自身が”運命の出逢い”について語られました。
エピソードはこれまでにお聞きしたことがありましたが、あらためてきよしさんの心をこめたお話を聞いていたら、じんときてしまいました。
印象に残ったことを少し書きとめてみました。
徳光さんが、
――大トリを飾るのは氷川きよしさんです。まず氷川きよしの最初の出逢いはどなたなんですかね?
と聞かれました。
※以下、――は徳光さん、 「 」はきよしさんです。
「水森英夫先生ですね。 高校3年生の時にNHKのBSの勝ち抜きの番組で水森先生にスカウトしていただいて。卒業間近だったんですけど。水森先生から名刺をいただいて。
”演歌歌手になりたいの?” って言われて、”なりたいです”って(答えたら)、
”名刺に自宅の番号が書いてあるから本当に歌手になる気があったら電話してこい”っていうふうに言われて 、”はい。電話します”って言ったんです。
その番組は福岡大会だったんですけど、僕は準優勝だったんですよ。優勝するとNHKホールでの全国大会に出られるんですけど、出れなくて。出てみたかったなって思ってたんですけど、その日は家に帰って終わって。父と母に、
”作曲家の先生から名刺をもらったから。どうしようかねー(とても優しい言い方でした)。声かけてもらって、こういうチャンスってなかなかないもんねー”って言ったら、(両親も)”ないよねー”って言うんですよ。
僕、水森先生のこと知ってたんですよ。天童さんや伍代さんの曲を書かれていたので、素晴らしい先生なんだなあと思って。
父母に相談したら、そういう感じで”いいチャンスじゃない?”ってなったんで。
ああ、行こうかなあー。東京に、行こうかなあ・・・と思ったんですけど、やっぱり今までずっと福岡に いた子供が右も左もわからない東京に行って、言葉も違いますし。博多弁と標準語ってだいぶ違うんですよ。
ちょっと迷いがあったんですよ、歌手になりたいって気持ちはあるんですけど、福岡がやっぱり大好きだったんで離れたくなかったんですよ。
母は”別に東京まで行かなくていいんじゃない”ってなったんですよ。一人息子なので心配だったでしょうね。
父には、”行ってこい。男だろう。一度しかない人生だから、おまえの可能性を試してみろ”って言われて。
それで水森先生に電話して。2月くらいですかね。”上京させてもらっていいですかね?” て、ふるえながら。緊張して」
――全部、自分でしたの? 高校生が?
「全部、自分でしました。
”先日はありがとうございました。 東京に上京したいんですけどどげんしたらいいんですかね?”って言うと、水森先生が”おれがちゃんとしてやるから”って言ってくださって」
私は、”ああ、行こうかなあー。東京に、行こうかなあ・・・。”
と、まるで18歳の青年に舞い戻って語っているかのようなきよしさんの言葉を聞いていたら、じんときてしまったのです。
きよしさん、その時、決断してくださらなかったら、そして、その後、困難に負けずにデビューしてくださらなかったら、私はきよしさんに逢えなかったのですね。
そう思うと、きよしさんの決断に、努力に、心からありがとうと申し上げたい気持ちでいっぱいになったのです。
きよしさんが人生の大きな決断をされたその時、私はきよしさんの存在を知らずに生きていたことがなんだか不思議な気さえしますが、上京後、きよしさんが、困難に負けて歌手デビューをあきらめていたら、私は”氷川きよし”に逢えなかったのですね。
そんなあれこれを思うと、私には、きよしさんとのまぎれもない”運命の出逢い”が、いっそう奇跡のように思えてくるのです。
すみません。ここまででタイムリミットのため、いったんアップしますね。
きよしさんのお話はまだまだ続きます。