2000年2月2日、デビューした当日、きよしさんは家にいらしたそうです。
デビュー前からキャンペーンを続けてきましたが、デビュー当日は予定が入っていなかったのです。
そう、いろいろな番組に出演して新曲の宣伝をさせていただけるのは当たり前なことではないのだなあと、きよしさんのデビュー当日のエピソードを聞くたび、思います。
 
スタッフの方が、”もし紅白歌合戦に出られたらソニーのVAIOを買ってあげる”ときよしさんにおっしゃったそうですが、きっと、スタッフにも当のきよしさんにも、デビュー当初は、紅白歌合戦に出場するだなんて、現実味が感じられないほど遠大な夢だったのでしょうね。
それがその10ヵ月後に見事初出場が決定し、それから昨年まで12年連続出場ですから、ほんとうに偉業ともいえることだと思います。
「初出場が決まったので、”じゃあVAIOを買ってくれるんだよね”と言ったら、”それは知らん”と言われました(笑)」
きよしさんはそんなふうにおっしゃっていました。きよしさんにとって懐かしい思い出の様子でした。
 
2日間、4公演のラストですから疲労されているはずなのに、オープニングからエネルギッシュな歌唱とダンスが続きました。都内はひどく乾燥しているので、そのせいもあってか前半少し声がハスキーになることがありましたが、時に”力技”で歌いきり、歌うほどに声がのびやかになっていったのでした。
「知っている歌は僕の代わりに歌っていただければ...」
と気さくにオープニングでおっしゃいました。
「今年で13年目に突入しましたが、氷川きよしは0歳から13歳になったんです。まだまだ駆け出し者です」
きよしさんは場内を何度も何度もまんべんなく見渡して、
「皆さん、最高にお元気そうですね」
と。そして客席からの声に耳を傾け、
「全部まる聞こえで聞いております(笑)」
とおっしゃったのでした。
2階席に向かって、両手両足を高く上げてジャンプされ、さらに一回転されたのです(笑)。
昨年は髪をずっと黒にしていたきよしさん、今年は茶髪にチェンジされました。
曲のイメージに合わせてのことのようですが、この日、前列の金髪にされている方をご覧になって、
「将来、外国の歌を歌う時には金髪にしてみたいですね」
と話されたのです。
きよしさんは場内の大歓声にしきりにお礼をおっしゃり、
「ありがとうございます。僕は皆さんからいただいたものを”倍の倍の倍”にして返していきたいです」
そうおっしゃってから、”倍の倍の倍っ!!”とおどけてみせてくださったのでした(笑)。
そして、
「皆さんお一人お一人が人生の主役ですから、僕の歌を皆さんの人生のBGMにしていただけたらと思います」 
そんなふうにもお話しされていたかと思います。
  
イメージ 1
 
「冬ものがたり」を歌う際に、歌に描かれている主人公についてお話しされたのですが、きよしさん、客席に向かって、
「皆さん、どういう男性が好きなんですか?」
と聞かれたのです。
”き・よ・し君!”
と大きな声であちこちから返事が(笑)。
ほんとうに、他にどんな答えがあるというんでしょう?
ところが、きよしさんは、”えーっ、そうなの?”という感じで場内を見渡して、そして照れくさそうに
”イェイッ!”
と、そして数テンポ間をおいて、
”嬉しいっ!”
とおっしゃったのでした(笑)。
 
「僕、あんまりもてないですから...」
そうおっしゃってから再び
「女性は男性のどういうところに惚れるんですか?」
とお聞きになったのですが、
答えは再び
”き・よ・し君!”
でした(笑)。
きよしさんが具体的なことをお知りになりたくて問われているのはわかるのですけど、それだったら、
”僕のどういうところに惚れたんですか?”
って聞いてくれなくては、私達は答えられませんよね(笑)。
 
きよしさんは、再び、”イェイッ!”と小声でおっしゃってから、
「僕的にはウェルカムな人ですかね。分け隔て、差別をしない人ですね。もちろん偉い人は尊敬はしますけれども、でもどなたも苦難があって、それを乗り越えて一生懸命生きているわけですから、一緒ですよね。そこに上下はないと思うんです」
そのようなことを話されたのです。
私は、そんなきよしさんの言葉に、そう、それこそが氷川きよしの魅力なのだと思ったのでした。 
 
イメージ 2
 
デビューした当初は、キャンペーンを続けてようやくデビューを果たしたものの、これから演歌歌手としてやっていけるのだろうか? と思われていたそうです。
「もし難しかったら就職しようと思っていました。あるいはポップスへの転向を少し考えたりもしていました。僕はやろうと思えばどんな仕事でもできますから。でも接客業がいいですかね...」
とお話しされていて、そして、
「でも、やっぱり歌手かな...」
つぶやくようにおっしゃったのです。
私はきよしさんのその言葉が胸に突き刺さるようでした。
昨夜、帰宅してから聞いた「氷川きよし節」(文化放送)で、デビュー時のことを
「バッタバッタして、何だったんでしょう?」
と語られていました。
以前、デビューした途端、猛ダッシュした”氷川きよし”に、追いつけないと思った時期もあったと話されていたことがあったかと思います。
私には、きよしさんがこの日、つぶやくようにおっしゃった一言こそがきよしさんの嘘偽りのない真実のように思えたのです。
 
「おしえてきよし君!」のコーナーでは夢の話題になりました。
西寄さんが、「同じ夢を見ますか? 言える範囲で」
とお聞きになると
「言える範囲って何ですか? 僕は何でも言えますよ(笑) 僕、夢はけっこう見ます」
とおっしゃり、よく追いかけられる夢を見ることを話してくださったのです。
鎌を持った魔人に追いかけられてパリの街を逃げ回るという、映画のように鮮やかな夢を話してくださったのですが、
前方席にいらした男性が”それは疲れてるんだろう”とおっしゃったのが、きよしさんたちの耳に届いて、お二人は苦笑されていました(笑)。
きよしさんは子供の頃から眠る時にいろいろなことを考えてしまってなかなか眠れないタイプなのだそうですが、もう追いかけられる夢は見たりしないでほしいですね。
 
さらにもうひとつの質問で「櫻」の衣装の話題になりました。
CDのジャケットの衣装はグレー、コンサートの衣装は桜色なのだそうです。どちらもお似合いですが、それにしても桜色って素敵な色ですね。
そして新曲「櫻」についての思いをお話しされたのです。
「忘れずに思い出すことが愛、永遠の愛とは思い続けることですね」
きよしさんは静かに、でもきっぱりとそうおっしゃったのでした。
 
そしてコンサートの後半で
「10年一昔といいますが、10年前、僕は24歳。『きよしのズンドコ節』を歌っていました。そう、『きよしのズンドコ節』は10年前の曲なんですよ。
皆さん、”10年待ってください”って言われて、待てますか? ねえ、そうそう待てませんよね。10年てそういう歳月なんですよね」
それからお手紙や贈り物へのお礼をおっしゃられたのです。
「皆さん、お手紙や真心のこもった贈り物をありがとうございます。気をつかっていただいてすみません。どうかあんまり気をつかわないでくださいね。
僕は皆さんの思いをいただいて、いろいろな表現方法で、皆さんの愛や思いを伝えていきたいです」
きよしさんは、さらに
「こうして皆さんと同じ空間にいて、同じ時間を共有させていただけて、僕はほんとうに幸せです」
そうおっしゃったのでした。
 
この2日間、どの曲も素晴らしいのですが、なぜか「峠春秋」と「玄海船歌」が際立って私の胸に響いてきました。
なぜなのかは、個人的な思いによるものかもしれませんし、ちょっとまだうまく説明ができないのですが...。
最初に「櫻」のカップリング曲を聴いた時、「出発」の流れるような心地よく切ないメロディーに心を奪われてしまって、そちらの印象の方が強かったのですが、この2日間に聴いた「峠春秋」には、きよしさんの得意な股旅もののなんともいえない魅力があるなあとしみじみ感じたのです。
そして「玄海船歌」は、きよしさんの切ない望郷の思いがあふれ返るほどに感じられたからなのかもしれません、胸にズシンと、その思いが重く深く響いてきたのでした。
 
初の単独ステージ“チャレンジステージ”をこの中野サンプラザで開催されたのは2001年7月5日のことでした。
これまで、一時たりとも歩みを止めることなく走り続けてきた、きよしさんのこの2月2日の歌唱は、奇も衒いもなく澱みなく、きよしさんの真心が時に激しく、時に静かに伝わってくるように感じたのです。
遥か遠くを見据えながらも、その足元をしっかりと見つめ、ファンの手をとり、
”さあ、出発ですよー。これからまた長い道のりになるかもしれませんが、ずっとずっと一緒に行きましょうね!”
と、語りかけてくださっているかのように、私には思えたのでした。
 
そして、私はこれまで、こんなにまで深く一人のアーティストのファンになったことがなかったので、おかしな言い方かもしれませんが、
ああ、こういう幸せっていうものがあるんだなあ。
とその幸せに深く感じ入ったのでした。
 
※ツアートラックも「櫻」になっていました。2日間とも夜の部の参加でしたので、街の灯りがどうしても映り込んでしまいましたが、画像アップしておきますね。
そして、皆さんからお預かりしたメッセージがどのようなものになったのかは、明日、あらためてご報告します。