11月12日にブログへのご来訪者数がのべ60万人を超えました。
皆さま、ありがとうございます。
2008年9月3日にブログを開設し、実際に記事を書き始めたのは10月に入ってからでしたが、おかげ様でまる3年が経ちました。
お読みくださる皆さまのおかげで今日まで途中何度かお休みしながらも書き続けることができました。
心から感謝しています。
当初、書きたいという思いを抱いていた、2004年の八王子でのコンサートのこと、2002年のきよしこの夜in新歌舞伎座のこと、そして明治座までの座長公演のこと。
おかげで何とか一度は書いてみることができました。
 
最初はコンサートや公開放送、イベントのレポートを書くつもりはなかったのですが、ブログを開設して間もなく「哀愁の湖」のリリース時の「氷川きよし節」(文化放送)のチャペルでの公開放送に参加させていただくことになり、きよしさんの優しさにふれ、きよしさんの魅力を書きとめて、それがおこがましくもきよしさんを応援することになればと秘かに思ったのです。
収録時に読まれた質問の用紙に私が
”今日は参加できて人生最高の喜びです”と書き添えたのですが、
きよしさん、そのまま読んでくださって、
”人生最高の喜びです”
のところで、ハッとされて、
「とんでもないっ!」
と、びっくりされた様子で、こちらを見ておっしゃったのです。
それが皆さま、ご想像いただけるかと思いますが、謙遜されているのではなく、本当に驚いた様子だったので、私もまたそんなきよしさんに驚いてしまったのです。
 
そういえばこの時のイベントのこともまだすべてを皆さまにお伝えしきれていないことに、今書いていて気付いたので、こちらもまたあらためて書かせていただきたいと思いますが、
この日の感動を書きとめてみたくなり、ちょうどブログを始めて間もなくのことでしたので、そのことを報告させていただいたところ、皆さまから過分なお礼のコメントをいただいたのです。
それで、きよしさんの優しさと、お読みくださった方たちのお心に報いたいという思いで、参加したコンサートやイベントなどのご報告をさせていただきながら、今日まで続いてきたのです。
最初は1日数十名のご来訪でした。正直なところ1日の来訪者数が300名を超えたころ、怖くなりました。何しろレポートといってもメモをとらず、心に残ったこと、記憶に残ったことを書いていましたし、夢の話も平気で書いていましたから、これでいいのかなあと。
でも、結局は自分のやり方でしかできないことに気付き、相変わらずのマイペースで試行錯誤の日々を繰り返しながら書かせていただいています。
皆さまへの感謝の気持ちをこめて、明日からの番組観覧のご報告をさせていただきたいと思っています。
明日は「きらめき歌謡ライブ」、あさっては「BS日本のうた」の観覧に行ってきます(観覧の応募ハガキはほとんど電車や車の中で書いている私です)。
 
 
さて、今回はこれまで書こうと思っていて書く機会がないままだったことを今日は書きたいと思います。
きよしさんの話題ではないことを最初におことわりしておきますね。
 
以前、私が出版社の社員で編集者をしていた時に、北野武さんに取材をお願いしてようやく実現したことを書かせていただいたことがありました。
映画監督として取材を受けてくださったのですから、”北野武”で出したいと思っていたら、営業部の部長に取次や書店さんには”ビートたけし”の名前の方が通りやすいから変えるようにと言われたのでした。
著者(インタビュアー)は、会社の方針もあるし、内容が変わるわけではないので、かまわないということでしたし、たけしさんの事務所もどちらでもよいとおっしゃっていたのですが、頑固者の私は、監督名として”北野武”としているのだからとこだわって、通してしまったのです。
当時は営業部長のいうことが紛れもない正論でしたので、私のこだわりが会社にとって良かったかどうかは、今も何ともいえませんが...。
 
でも、それはこのブログで最初からきよしさんのことを、”きよし君”ではなく”きよしさん”と書いてたことも同じような気持ちだったなあと、今、書いていて思っています。
きよしさんがデビューしてしばらくは、やっぱりいろいろなことを言う方もおられました。
でも私は10年後もずっとファンでいるはずだから、と最初から”きよしさん”と、勝手にこだわって呼ばさせていただいてきたのです。
別に”きよし君”と呼ぶのが悪いというわけではないんです。
”きよしさん”という呼称にあえてこだわったのは、私の、ある意味世間に対する負けん気(かなり勝手な思いですが)だと思います。
だから今になって、”きよし君”を”きよしさん”に変えるのはいつでもできますが、30代になって今のきよしさんの呼称を”きよしさん”からきよし君”には、何だ変えにくいですよね。
だから私は”きよし君”と呼ぶ季節(時間)が自分になかったことが、残念にさえ思うのです。
 
さて、話が少し横道にそれてしまいました。ごめんなさい。
そんなふうにして出来上がった本でしたが、その数年後に好評をいただいて改訂版を出させていただけることになったのです。それで、その後のデータを入れるだけでなく、10名ほどの監督さんや俳優さんのインタビュー集でしたので、その後の出来事を聞きたいと著者の方がおっしゃったのです。
会社も他の本とフェアを組むために改訂版を出したいという思惑があったので、緊急で作らなければなりませんでした。
それで期限内にできるならかまわないと上司の了解を得たので、急いで取材をお願いしたところ、ほとんどの方が取材を快諾してくださったのです。ところがたけしさんはそれでなくてもスケジュールがびっしりで、こちらの都合の中でお時間をとっていただくことは不可能な状況だったのです。
”改訂版への掲載は了解ですが、再インタビューはこの期間では、難しいです。申し訳ありません”
というようなていねいなお返事をいただいたかと思います。
それでは仕方ないなあと思いました。
それで著者の方にそのことを伝えたら、とても落胆されて、
「マルルさん、僕はどうしてもたけしさんの話を聞きたかったよね。事故からの復帰のこと。その後作った映画がどんなに素晴らしいか。その思いを伝え、たけしさんの思いを聞かずしてこの本はできないとさえ思うんだよ」
とおっしゃったのです。
二人でコーヒーを飲みながら、うーん...と押し黙っていました。
著者の方には前回の本作りで多くのことを教えていただきましたし、どんな時も人を絶対に責めることのない方で、心から尊敬していたのです。
無力な私。何だかなあ...。
そう思っていたら、少々アイディアがうかんだのでした。
「そこまでの思いがあるのだったら、事務所の社長の森さん宛にその思いを手紙に書いてみたらどうでしょう? たけしさんの映画を見て、何をどうして聞きたいのか全部書いてみては?」
もちろん、正直なところ、それでどうにかなるとも思っていなかったのですが、取材が実現しなくてもその方の映画への真摯な思い、監督としてのたけしさんへの深い尊敬の気持ちを伝えることは大切なことだと感じたのです。
 
翌日、著者の方から電話がありました。
「今日、手紙を書いて出してきたよ。これで実現しなくても、不思議と自分で納得がいったよ。手紙書いたらと言ってくれて、どうもありがとう」
まだメールはなかった時のことで、依頼書など必要なものはファックスで送るのが常でしたが、あえて郵送されたとのことでした。
 
さて皆さま、それでどうしたと思います?
そう、森さんから著者の方に手紙が着いたと思われる翌日に直接電話があって、すぐに取材が決まったのでした。
番組収録の休憩中に楽屋で40分ということで、NHKホールの近くにあった渋谷ビデオスタジオにうかがったのです。
前日、当日の詳細確認のため事務所の方とお話しした時に、当日は森さんがいらっしゃるのかどうかうかがうと、出張で他の方が立ち会われるということでした。
できれば前回のお礼も申し上げたかったので、そのことだけが残念だったのですが、なんと当日、現場に行ったら森さんの姿が。
思いがかなったのでしょうか。出張の予定が変更になったということで森さんが付き添われていたのです。
ご挨拶とお礼を申し上げると、森さんは
”自分はあくまで北野武の意にそってさせていただいているだけなので”
と恐縮されていたのです。
 
そして畳のお部屋で座布団にすわっての取材となりました。
そこで私は生涯忘れられないシーンを目にしたのです。
たけしさんが、取材を受けて、話されている間、森さんは上がり口に半分腰掛けて乗り出すようにしてたけしさんの様子をうかがっています。靴は履いたままで、携帯が鳴ったり、呼び出しがあったら、すぐに廊下に出られる体勢なのです。
「そうだねえ、あれ、あの時の○○をしてくれた人、何ていう人だったかなあ...」
たけしさんのお話が一瞬止むと、一呼吸おいたタイミングで
「○○さんですよ」
森さんの声が聞こえてきました。
「ああ、そうそう○○さんていうんだけどね、」
とたけしさんが話し出しました。
「そう。それでね、あの時は、森さん、何時間くらいかかったっけ?」
たけしさんは森さんのことを”森さん”と呼んでおられました。
「○時間くらいでしたね。あの時は○○○で。」
と、森さんがフォローしてくださって、和やかに取材が進んでいったのです。
私はふと、森さんの方を見てみたのです。
森さんはたけしさんが何かをおっしゃるたびに、”うんうん、うんうん”と上がり口から畳の上に身体を乗り出したまま嬉しそうに大きく頷かれていたのです。
まるでその日、憧れの人に初めて会えたかのように幸せそうにたけしさんのお話に聞き入っている森さんの様子に、私は感動せずにはいられませんでした。
ずっとたけしさんのマネージメントをされてきて、たけしさんと多くの時間をすごしていて、誰よりもたけしさんのことをご存知でいらっしゃると思われる森さんが、その時そこにいた私たちの誰よりも、たけしさんと一緒にいて、そのお話を聞けることを幸せに感じておられるようで。
あらためてたけしさんの底知れない魅力。そして素晴らしい方には、その方を全身全霊で支える素晴らしい存在があるのだということを知ったのです。
人と人とのつながりの尊さに感動し、やはり思いや心は伝わるのだと、感じたのでした。
きっと、手紙を書いたらという思いつきも、尊敬する著者の方を思う気持ちが何かに通じて、私の中に浮かんだことだったかもしれません。
貴重な体験を今でもありがたく思い出すのです。
 
その後、たけしさんは素晴らしい映画を作り続け、今では世界的にも認められていますが、多くの方に支えられて、その才能を発揮しながら、映画を作り続けておられるのだと思います。
 
長くなってしまって失礼しました。
今夜FCコンサートのことを振り返った記事を書く予定です。