昨夜から今朝にかけて、きよしさんの昨日の新潟でのコンサートに参加された方たちからコメントをいただいていました。
コメント欄の数にあるように7件のコメントがありますが、お気遣いしてくださってすべて内緒での投稿になっているので、皆さまにはその内容をご覧いただけませんが、あえて、今日、記事を書いてみようと思いました。
コメントくださった皆さま、本当にありがとう。

これまでブログに書いてきた私の思いを受け止めてくださって、このような時に私を思い出してコメントをお寄せくださったことに感謝しています。私の忙しさなど取るに足らないこと。これから記事を書きますが、どうかご心配されませんように。

きよしさんはプライベートで被災地を訪れたことをお話しされたそうですね。
街がそのままなくなっているその様子をご覧になって、映像などで見たことのある戦後の焼け野原を思いおこし、様々な思いを抱かれたようです。
そして、体調に関わるお話も初めてされたそうです。
ただ、ここで具体的な内容を書かないままに記事を書き進めることをご理解ください。

きよしさん、皆さんの笑顔と声援に包まれて幸せを感じたからこそ、ご自身が大変な思いをされたことを聞いてほしくなったのだと感じました。
今回、コメントをくださった皆さま、だから心配無用だと思います。
皆さんのあたたかな思いに応えてのことだったのでしょうし、今回、皆さんにお話しできたことでさらにさらに快方へ向かうのではないかしら。そんな気がしています。

私、それまでこのブログを書いていて3月11日の震災後、これから何を書いていけばよいのかな? と考えました。
そしてはっきりとした答えが出ないままに考えながら日々の思いを書いていたのですが、3月23日に、それまで大した苦労をすることもなく、のほほんと暮らしてきた私が唯一”死”を意識することになった出来事を書かせていただきました。
大変な思いをされた方たちのことを思うと、その思いに比べれば大したことではなくても、自分としては本当に死ぬかもしれないと絶望した思いをお伝えしなくては、同じ目線にさえなることはできず、この後のブログも書けなくなってしまうように感じたのです。
家族にも話したことはなく、ごく親しい友人にだけずっと後になって話したことでした。

その時の記事にも書きましたが、その出来事を友人に話した時のことです。
聞いていた友人がみるみる恐ろしい顔になって「言って!」と怒ったように言ったのです。
そして二度ほど「言って!」と言ったかと思ったら、友人の目からぽろぽろと涙がこぼれたのです。
「一人でそんな思いをしていたなんて...」
友人に怒られながら、私は何と幸せを感じたことでしょう。
そして、今回、きよしさんのお話を聞いて、私にはこの時の友人の気持ちがわかるような気がしたのです。

「きよしさん、一人でそんな思いをしていたなんて...」
一ファンである私が、きよしさんに”言って”というのはおこがましいですし、もちろんファンに言うわけにはいかない、きよしさんの立場も重々承知ですが、
”でも、でもね、言ってよね”
と、そう思ってしまったのでした。

私は、そのような体験をするまで、とても嬉しい時に使っていた”もう死んでもいい!”という言葉を使うことをしなくなったのですが、きよしさんが”生きるかアレするしかありませんね”とあえて、”死”という言葉を使わないことに、ある時はたと気づき、きよしさんも同じ人間。私たちのうかがい知らないところで、死と向き合う思いをされたことがあるのかもしれないと、その時の記事にも書いてはいますが、感じるようになったのです。

もちろん、これはあくまで私の体験、そして考えでしかありません。
でも相対する人に真剣に向き合おうとした時、正直でありたいし、そうならなければ、どうしても伝えたいこのことを語れない(きよしさんの場合は歌えないということだと思います)、この人の前ではすべてをさらけ出してその上で伝えたい(歌いたい)、とそんなふうに思われたこと、皆さんにもこれまでの人生でおありかと思います。

ここできよしさんがお話しされた内容にはふれませんが、
私、そのことを知って、
”自分に厳しすぎるんだよ。きよしさんのバカ”
”自分を厳しく律することができるのは自分自身だけど、褒めたり甘やかしてあげられるのもまた自分なんだよ。もっと自分をかわいがって、愛してあげてよ”

私、大好きで尊敬するきよしさんに、”バカ”と何度も何度も言ってしまいました。
ごめんなさい。
でも、そう言わずにはいられませんでした。

きよしさん、自分にあまり厳しくしないで。
もっと自分を愛して、甘やかしてあげて。
人間だから、誰だってダメな自分も、がんばれない自分もいます。でもそれもすべて自分。そしてダメな自分、がんばれない自分こそ、自分が愛してあげなくちゃ。


以前、”大好き”という言葉の意味についてふれたことがあったかと思います。
”大好き”とは、
”あるがままのあなたを受け入れて守ります”
という意味なのです。
私はブログやきよしさんへのお手紙に”大好き”という言葉を書く時、そんな思いをこめて書いています。
きよしさんが、がんばっている時には、もちろん思い切り期待のエールを贈ります。
でも、決してスーパーマンになってほしいわけではありませんし、完璧を求めてもいないのです。
私がこのブログのタイトルに”HK伝説”と付けたのも、きよしさんと出会って、どんなにマスメディアが発達しても、真実(心)はちゃんと伝わるのだと、信じさせてくれたのがきよしさんだったからなのです。
こんな仕事をしている私が言うのはおかしいと思われるかもしれませんが、私自身がテレビでのきよしさん、ラジオでのきよしさん、そして活字でのきよしさんから、きよしさんの心を感じ取らせていただきながら、テレビもラジオも新聞も雑誌も、所詮はツール(道具)や入れ物でしかないんだなあ。
でも思いや心はちゃんと伝わるんだなあと、きよしさんのおかげで信じることができ、そのおかげで今の仕事も続けられ、こうしてブログを書くこともできているのです。

厳しい競争の世界で生きているきよしさんは、私たちが想像もできない辛く苦しい思いをされてきているのでしょう。
それでも尚、きよしさんの歌声からはファンを、そしてこの世の中にいる心ある人たちを信じていることが伝わってくるのです。

きよしさん、心から大好きです。



※きよしさんに対して”バカ”だなんて書いてしまって、今回の記事を読んで気を悪くされる方もおられるかと思います。
もし不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。
それから具体的なお話を書かないこともお許しください。
ファンにだからこそ打ちあけてくださったことだと感じたので、きよしさんのファン以外の不特定多数の方の目にふれることは避けたいのです。

この記事は後日削除するかもしれませんが、ここで書いたこと、きよしさんにちゃんとお伝えしたいので11月のFC限定コンサートの時までに、お手紙を書こうと思っています。

そして新潟でのコンサートの様子を教えてくださった皆さま、私のことを思い出して、教えてくださってありがとうございました。文中には親しみをこめて”ありがとう”とあえて書かせていただいています。
昨夜はヤフーブログのメンテナンス日にあたっていたので、その点でもお手数おかけしたかと思います。
感謝しています。
きよしさん、皆さんが一緒に泣いてくださったことで安心され、きっと気持ちが晴れ晴れされていると私は信じています。