以下は少し話題がそれるので興味のある方はよろしかったらお読みください。
先の記事のラストに続けて書いていたのですが、5000字を超えてしまってカットせざるを得なかったので、こちらにアップしますね。
この日のきよしさんのトークで、きよしさんのお父さまが”世界の歌を”とおっしゃったことを受けて、
西寄さんが、「虹色のバイヨン」ではアラビア、「情熱のマリアッチ」ではメキシコということで、
「世界の歌、歌っていらしゃるじゃないですか」
とフォローされ、そこから歌で海外へ行かれればという話題になったのです。
「海外へは憧れがあってもなかなか行かれないじゃないですか。健康的な理由で行くことがかなわない方もいらっしゃいますでしょうし。だから僕は歌で皆さんに海外に行っていただけたらいいなあと思います」
そんなふうにおっしゃったかと思います。
その時のきよしさんを見ていて、私は、帝国ホテルの料理長をつとめられていた村上信夫さんを思い出したのです。
村上信夫さんは、ご存知の方も多いと思いますが、フランス料理のシェフで帝国ホテルの料理長を26年間つとめられた方で、NHKの「きょうの料理」の講師もされていました。
1957年、テレビがまだ白黒だった時代のことです(カラーは東京オリンピックが開催された1964年以降に本格的に普及したそうです)が、それまで料理というものは、先輩や親方の技術やレシピを実地で学ぶ(教えてもらえるものではなかったので、盗んで自分のものにする)のが常だった時代に、手の内をすべてオープンにし、お茶の間の視聴者にもわかるように、食材の分量や温度、時間も含めて数値にできるものはできる限り置き換えて表示したのだそうです。
現在の料理番組では、そのようなことは当たり前になっていますが、当時はそんなご苦労もあったことに驚かされますね。
そして、そんな村上さんが当初の出演契約期間終了時に、出演を終わりにしたい旨をディレクターさんに伝えると、ディレクターさんは視聴者の方からのお手紙の束を渡したのだそうです。
その内容は少しうろ覚えなのですが、
憧れのフランスにいつか母親を連れて行ってあげたかったけれど、なかなかかなわず、「きょうの料理」で村上さんに教わった料理を作ってあげたら、「フランスの味が、香りがする。フランスに行ったみたいだ」と感激してもらえたことを書かれている方、初めてフランス料理の味を知ることができたという方の感動、フランス料理を作ってあげることでお姑さんと仲良くなられた方などなど。そこには様々な感動、そして村上さんへの感謝の思いが綴られていたのだそうです。
村上さんはそのお手紙を読んでいて涙が止まらず、そして出演の延長を決意され、帝国ホテルの料理長として多忙を極める中、「きょうの料理」の講師を9年間つとめられたということでした。
今回この記事を書くために調べていたら、
村上さんには「きょうの料理」の放送の中で3つの口癖があったそうです。
それは、「これでよろしいですね」、「全然難しくありませんね」、「ベリーグッドです」ということですが、何だか人柄が想像できますね。
またある時、村上さんは、ご自身の後を引き継いで帝国ホテルの料理長になった方(田中健一郎さん)に、
「一番おいしい料理は何ですか?」
と問われ、
田中さんが答えに困っていると
「それはお母さんの料理」
と答えたのだそうです。
その理由は”どんな料理よりも気持ちがこもっているから”
と。
まさにすべては心なのですね。
この記事に書くために調べたことで”一番おいしい料理”のエピソードを知ったのですが、フランス料理をきわめた村上さんがおっしゃったその言葉に、じんときてしまいました。
昨夜、きよしさんが、”僕が皆さんを歌で海外へお連れしたいんです”とおっしゃっている姿を見ていたら、私の中で村上さんが重なったのでした。