今日は、銀座の山野楽器に寄って「演歌名曲コレクション14 ~あの娘と野菊と渡し舟~」を受け取ってきました。今、聴きながら書いていたら、聴くほうに夢中になってしまって(当然ですよねー)。
きよしさんの歌声の前には抗えません。”ながら”はできません。
今は書くことに再び集中しています。駆け足になっても明日までに、書きたいと思っていたことをすべて書き終えたいのです。
でもその思いと裏腹にいざ書き出してみると、あれもこれもと書きたいことが出てきて...。 なかなか進まない私なのでした。

さて、怒涛のといっても大げさではない、"氷川きよしの2004年”。1月31日から大阪の新歌舞伎座で座長公演がスタートしました。「草笛の音次郎」もいよいよ演じ納めです。
きよしさんがまさに体当たりで演じた音次郎、本当に魅力的な音次郎が表出したなあと感じたのです。お別れにはぜひ行きたいと思ったら、今回はファンクラブで千秋楽のチケットに当選できたのです。この時はクレジットカード会社でも取れたのでデビュー記念日の翌日2月3日にも観に行くことができたのですが、どちらもまったく同じ席になり、驚きました。
懐かしい新歌舞伎座のチケットとチケット入れです。
さて、右に写っているのは何だと思われますか? 終演後に千秋楽ということで出演者の皆さんがきよしさんのコンサート終演後まで残っておられて舞台に勢ぞろいされたのですが、その時にクラッカーをお持ちになったのです。きよしさんにふれたものかは定かではありませんが、出演者の皆さんがきよしさんに向けられたクラッカーの中のテープ、記念にいただいてきたのです。座席が前だったので、かなったことでしたが、ずっと缶の中に入れてあったので退色せず、今でも鮮やかなのです。
そしてもちろん、その思い出はもっともっと鮮やかなのです。
1月31日~ 2月26日 新歌舞伎座
氷川きよし公演 「草笛の音次郎」
まず最初に、きよしさんの新歌舞伎座の劇場パンフレットに掲載されたメッセージを紹介しますね。
歌手・氷川きよしとして『白雲の城』にかけた二〇〇三年――どれだけたくさんのみなさまに応援し支えていただいているかを実感することができた一年でした。みなさまのまごころに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
『きよしのドドンパ』にかける二〇〇四年は――お陰さまをもちまして、デビュー五周年を迎えます。その開幕の二月。伝統あるこの新歌舞伎座でみなさまのもとからスタートすることができ、とても幸せです。
ある先輩がおっしゃっていました。「お客さまによろこんでいただくことが私の使命」と。僕もその言葉を実践していけるよう頑張りたいと思います。
この度の舞台も大先輩方の胸をお借りして、自分らしく全力でつとめさせていただきます。どうか思いっきり楽しんでいってください。
一生懸命の音次郎をどうぞよろしくお願い申し上げます。
氷川きよし
中日劇場、新宿コマ劇場、そして新歌舞伎座と、このメッセージにもだんだん余裕が感じられるようになっていませんでしょうか?
私はきよしさんがデビュー5周年目に突入された2月3日。デビュー記念日の翌日に昨年末以来、訪れるのは二度目の新歌舞伎座に行ったのです。
大阪は日帰りできますので、夕方には京都の大学院で勉強している友人と食事をする予定も入れて忘れられない一日になったのです。
きよしさんが「玄海竜虎伝」を歌っておられた時、私はきっと恐ろしい形相できよしさんを見つめていたと思います。なぜなら、きよしさんの歌声を聴いていて、身を貫くようなこの歌声の持ち主は、本当にこの目の前にいる方なんだろうか? こんな声がこの世の中にあるのだろうか? この歌声がきよしさんの、というより人間の出せる声とは思えない! そんな思いでいっぱいになっていたのです。
その時の目もくらむような感動は、今もうまく言葉にできません。きよしさんの歌声が素晴らしいことは言うまでもないことですが、その歌声を何よりも愛さずにはいられない自分、そしてそんなにまで愛することができる、きよしさんに出会えた喜びを感じたのです。
それは2月3日のことでした。終演後には出入り口で、係の方が「きよし君からです!」と言いながら、ハウスの黒豆ココアを一人一人に手渡ししてくださって...。さすがは大阪だなあなんて感じたのです。

これは「草笛の音次郎」の劇場パンフレットです。左上が新宿コマ劇場、右上が新歌舞伎座、そして下中央が中日劇場のものです。
そしていよいよ2004年2月26日に「草笛の音次郎」は千秋楽を迎えたのです。
「きよしのドドンパ」とそのカップリング曲の「ハマナス旅情」が新歌舞伎座のロビーで繰り返し流れていたことを記憶しています。音次郎に息を吹き込み、血を通わせて大切に演じてきた、きよしさんですが、いよいよ音次郎ともお別れなのです。
この時、私の席の右は通路だったのですが、補助席が出ていたのです。それでその補助席に座られた方とお話しをしました。その方は前夜から新歌舞伎座の前に並んでそのチケットを入手されたということでした。
公演中、何度かそのようにしたのだとおっしゃるのですが、私の母よりずっと年上の方でしたので、そのバイタリティーに圧倒されてしまいました。
その方がおっしゃるには、きよしさんは新歌舞伎座近くのホテルに滞在されているので、夕食の行き帰りに新歌舞伎座の前を通られては、劇場の様子をご覧になられたのだそうです。
そして前日の舞台でも時折、涙されていて、千秋楽の当日は別れが辛かった様子で、劇場入りする時、いつもは車の窓を開けて挨拶されるのに、窓を開けていず、どうも泣いておられたということでした。
私は2月3日以来でしたので、きよしさんの近況をうかがって、きよしさんの心を思って、開演前から胸が熱くなっていたのですが、いざ舞台の幕が開くと、私は驚きの舞台を目にすることになったのでした。
きよしさんは、まさに音次郎と同化してしまったのでしょう。初座長という大役をつとめた自分と、親分の名代をつとめた音次郎の思いが重なって、音次郎の台詞を言っていてもそれが自分自身の思い、すなわち今日、これでお別れになるのだというさみしさに、台詞を言っていて何度も泣いてしまうのでした。
そんなきよしさんを役者としてどう見るのか? ということはどうでもいいと私は感じたのです。というのもベテランの共演者の方までもが、一緒になって涙されていたからです。
座長のきよしさんが涙ながらに演じているということも驚くことかもしれませんが、共演者の方々までもが、演じていてもらい泣きされるなんて。
そんなこと見たことはもちろん、聞いたこともありませんでした。もちろんその後もありませんが(笑)。
でも、それこそが、氷川きよしの舞台、というより氷川きよしそのものなのだなあと感じ入ったのでした。
もちろん、今のきよしさんでしたら、その役になり切って、涙をぐっとこらえて、演じることでしょう。
でも、2004年のこの時の氷川きよしには、それこそがもっともふさわしい最上の演技だったのだと、そう私は思うのです。
きよしさんは、私に紛れもなく筋書きのない舞台の魅力を存分に味わわせてくださったのです。2月3日のこの世ならぬ歌声といい、きよしさんの魅力の計り知れなさを感じたのでした。
涙、涙で、時には台詞が泣き声になってしまいながら、そして共演者の方と共に涙されながら、お別れの時間が刻一刻と近づき、最後は宴席になって。きよしさんはお酒をすすめられるのでしたね。
フィナーレは爽快で華やかなものでした。
そしてきよしさんが魂を込めて演じながら作り上げてきた、何とも魅力的な音次郎に出会えた幸せを感じながら、同時に演じ納めということでお別れになるさみしさを感じたのです。

きよしさんが2部のコンサートを熱唱で締めくくると、共演者の皆さんが私服で手にクラッカーを持って勢ぞろいされたのでした。
きよしさんは、その時はもうお泣きになりませんでした。
「涙も出尽くしました!」
そう笑顔でおっしゃったのです(笑)。
きよしさんらしい、明るく爽やかな千秋楽となりました。
終演後はきよしさんを見送るファンで新歌舞伎座横の沿道に長い長い列ができたのです。
きよしさんは皆に見送られながら、ゆっくりと新歌舞伎座を後にされたのでした。
1ヶ月公演を終えたきよしさんは、すぐに東京に戻られたそうです。3月3日に現在の「きらめき歌謡ライブ」(NHKラジオ)の前身である「はつらつスタジオ505」にきよしさんが出演され、私も観覧に行ったのでした。
その後、再びコンサートツアーがスタートし、7月3日には銀座・三越の屋上でゆかたで「きよしのドドンパ」を踊る「ズンドコサンデーあっぱれきよし」(文化放送)の公開放送があったのです。
そして翌4日には八王子市民会館でコンサートがあり、5日の渋谷コンサートはきよしさんが体調をくずされて延期になったのでした。
きよしさんは7月7日が「番場の忠太郎」の発売日ということもあって、新曲のプロモーションのために朝からテレビに出演されましたが、まだ無理をされている様子が残っていました。13日にはコンサート復帰。27日には「NHK歌謡コンサート」に出演。8月に入ると2日に「BS 熱唱心のうた」、7日に「思い出のメロディー」(ともにNHKホール)と続き31日には銀座三越の屋上でファン感謝祭を開催しています。
9月6日は日本武道館でコンサート。デビュー5周年と27歳のバースデーをお祝いしたのでした。
10月26日には、初めて名古屋の御園座でコンサートをされました。名古屋では中日劇場さんとのご縁が深いきよしさんですが、御園座さんともここでご縁ができているのです。
そして30日には、故郷・福岡で開催された『とびうめ国文祭』のオープニングフェスティバルに参加。
きよしさんは開会式で「君が代」を歌ったそうです。皇太子様の前で歌ったきよしさん、とても緊張されたと語っておられました。
私は観に行かれませんでしたが、録画を見ました。きよしさんが演じる旅人。荒野に現れ、羽織っていたコートを脱ぎ捨てて純白の衣装を着た天使のような姿に変身すると、そのままクレーンで宙に舞い上がって歌い始めるのです。”人生号”という船のキャプテンに扮したきよしさん、テーマソングの「人生号 Jinsei-GO!」を歌って、民衆と一緒に船出を祝うのです。ものすごい迫力でした。 きよしさんの無国籍、あるいはワールドワイドな魅力に酔いしれたのです。
この音楽劇は、プロのダンサーやパフォーマー、国内外の舞踊団や一般公募で選ばれた150名からなる“飛梅組”という劇団によって演じられました。劇団は半年間、稽古をして、きよしさんが皆さんに加わって3日間で仕上げたのだそうです。きよしさんは、
私は観に行かれませんでしたが、録画を見ました。きよしさんが演じる旅人。荒野に現れ、羽織っていたコートを脱ぎ捨てて純白の衣装を着た天使のような姿に変身すると、そのままクレーンで宙に舞い上がって歌い始めるのです。”人生号”という船のキャプテンに扮したきよしさん、テーマソングの「人生号 Jinsei-GO!」を歌って、民衆と一緒に船出を祝うのです。ものすごい迫力でした。 きよしさんの無国籍、あるいはワールドワイドな魅力に酔いしれたのです。
この音楽劇は、プロのダンサーやパフォーマー、国内外の舞踊団や一般公募で選ばれた150名からなる“飛梅組”という劇団によって演じられました。劇団は半年間、稽古をして、きよしさんが皆さんに加わって3日間で仕上げたのだそうです。きよしさんは、
「みんなに助けられて、みんなのパワーに後押しされて頑張れた」と語っておられたそうです。
そして全国5000人握手会を行い、この年は48箇所104公演を終えたのです。そして「きよしこの夜Vol.4」では、愛知万博のサポートソング「いつもみんなで手をつなごう」を披露されたのです。
次は2005年&2006年の「きよしの石松売り出す 初恋道中」のことを書きますね。