昨夜、きよしさんが歌う「北国の春」を聴いていたら、泣けてきました。
「♪あの故郷(ふるさと)へ 帰ろかな 帰ろうかな」
というフレーズを聴いていたら、心の底から力がわいてくるのを感じたのです。
 
巨大な津波によって、風光明媚な美しい町、大切な故郷(ふるさと)が、自然の猛威の前に壊滅し見る影もなく、瓦礫の山と化してしまったのです。帰りたくても”あの故郷(ふるさと)”を、多くの方が失ってしまったのです。
でも、本当の意味では失っていないに違いないと、私はきよしさんの力強く晴れやかな歌声を聴きながら思ったのです。
”故郷(ふるさと)”は心の中に生きている。
だから必ずもう一度作り上げることができるのだと。
 
きよしさんのおっしゃるように
”冬の後には春が来ます”
ですね。よく”冬来たりなば 春遠からじ”とも言います。
泣いている私を見て、父が言いました。
 
「原発も大変なことになっているけれども、東京の便利な生活は福島はじめ東北の発電所に支えられていたんだなあ。
『ああ、上野駅』にも歌われているけれども、東北からも就職列車に乗って多くの金の卵といわれた若者たちが、働き手として親元を離れて東京にやってきて、彼らが今の東京を作ってきたんだ。
だから被災地を支援するのはもちろんのことだけど、今こそ東北の人たちに恩返しする番なんだよ。
震災の被害を受けていない地域の人たちは、食べたい物は食べ、買いたい物があれば買えばいい。それが経済の活性化を停滞させずに、日本を支えることになると思うよ」
 
父の話に、それぞれの立場でできることをするということはそういうことでもあるなのだなあと思いました。
昨夜放送された「FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう うたでひとつになろう日本」で、きよしさんはじめ、参加されたアーティストの皆さんの熱唱には、心熱くなり、そして励まされました。
さだまさしさんが、「”天を恨まず”と言った君のことを忘れないよ」
とおっしゃったのは、気仙沼市階上(はしかみ)中学校の卒業式で、答辞を読んだ中学3年生の男子生徒のことなのです。
NHKのニュースで放送され、大きな反響があったそうで、動画を見ることができました。
15の春にこんな惨いことがあるなんてと心が痛み、涙が止まりませんでした。
 
【答辞】
階上(はしかみ)中学校といえば防災教育と言われ
内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私達でした。

しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練と言うには惨すぎるものでした。
辛くて、悔しくてたまりません 。

しかし、苦境にあっても天を恨まず
運命に耐え、助け合って生きていくことが
これからの私達の使命です。
 
15歳の少年の言葉です。
彼は涙をこらえていましたが、途中で言葉が出なくなり、再び涙を拭き、幾度か天を仰ぎながら、最後まで答辞を読み上げたのです。
 
私も彼のことを忘れないと思いました。
”天を恨まず”という言葉は、恨まずにはいられないような辛く過酷な思いをしたからこそ、それを乗り越えて生まれてきた言葉なのだと思います。
 
私は2011年3月11日を生涯忘れません。
そして将来、あの日があったからこそ、今の私があると思えるように生きていきたいと強く思いました。
 
震災で壊滅状態になっているどの町も、私たち日本人にとって等しく”故郷(ふるさと)”なのだと思います。
”あの故郷(ふるさと)”へ一緒に帰れる日のために、一緒にがんばっていきたい。
そんな気持ちになりました。