今日は「わが心の大阪メロディー」にきよしさん、生出演ですね。私も自宅でリアルタイムで放送を見られそうです。
この番組も今年で10回目。きよしさんは万博から40年ということで合唱団をしたがえて「世界の国からこんにちは」を歌われるようですね。それだけで2005年の「思い出のメロディー」で愛・地球博の会場から、きよしさんが「世界の国からこんにちは」を歌ってくださった時の感動がよみがえってきます。
ところで先日、今年の「思い出のメロディー」のエンディングに歌われた「涙をこえて」と、その作詞をされたかぜ耕士さんのことを、このブログに書かせていただいたのですが、その記事をお読みくださった方が、かぜ耕士さんが毎月最終土曜日の夜にFMさがみで「かぜ耕士の人生を変えないラジオ」という番組を放送されていて、かぜさんのサイトから聞くこともできることを教えてくださったのです。
それで私は、かぜさんのサイト「かぜ耕士のたむたむたいむ」をさっそくのぞいてみたのです。
☆2010年8月18日に書いた記事です
そしてWEBラジオを聞くためのパスワードを教えていただくために、管理人さん(かぜ耕士さん)に、ハンドルネームをお知らせするようになっていたので、マルルとは違う名前で、「ラジオを聞いてみたいのでよろしくお願い致します」というような簡単な用件のみのメールを送ったのでした。
かぜさんのお返事にはパスワードとともに「よくサイトにたどりついてくれました」と書いてくださってあり、上記のように私が自分のことについても何も書いていなかったので、サイトを知った経緯やかぜさんとの関わりについてお知りになりたいと思ってくださっている様子が文面から感じられましたので、憧れの方に失礼をしてしまったなあ、次の機会には詳しいことをお知らせさせていただかなくては。そんな気持ちでその夜、WEBラジオを聞いたのでした。
自分の記憶にしっかりと刻まれていたかぜ耕士さんの声がPCから流れてきました。小学生だった私がこうして時を経てPCでラジオを聞き、再会できるなんて! と、深夜(WEBなのでいつでも聞けるのですが、やっぱり深夜に聞いておりました)ひとり感動したのです。
それから少ししてから、思いがけず、かぜ耕士さんからメールをいただいたのです。
かぜさんはネットサーフィンをしていて、このブログで書いた「涙をこえて」の記事を読まれ、そしてその記事のURLのmaruruの文字に見覚えがあると思われ、パスワードの件でメールを送った私(私はメールアドレスにmaruruを使っているのです)と、ブログを書いている私が結びついたのだそうです。
かぜさんから、”僕ならかまいませんよ”とご了解をいただきましたので以下にいただいたメッセージの概要を書かせていただきますね。
「氷川君絡みで書いて下さった記事を大層嬉しく読ませていただきました」
とかぜさんは最初に書いてくださっていました。
きよしさんがNHKの「歌謡コンサート」や「きよしとこの夜」で「涙をこえて」を歌われたということは何度か聞いていらして、そしてきよしさんが「涙をこえて」を気に入ってくださっているらしいことも人づてにお聞きになっていたそうです。
そして、かぜさんは今年の「思い出のメロディー」をご覧になったそうです。
「氷川君がこの歌好きだ、と言ってくれてたらしいのは本当だったんだぁ、などとちょっとジーンとしながら…。」
「氷川君がこの歌好きだ、と言ってくれてたらしいのは本当だったんだぁ、などとちょっとジーンとしながら…。」
きよしさんが「涙をこえて」を歌う姿を見て、そんなふうな思いを抱かれたのだそうです。そして、そのメールは
「コレで氷川君が将来、『涙をこえて』をレコーディングしてくれたりなんかするとマルルさんにも僕にもさらに嬉しいつながりが出来ますね」
と結んでくださっていたのです。
私はその内容にとても感激し、ぜひブログをお読みくださっている皆さんにもお伝えしたいと思い、かぜさんにこんなメールを送りました。
かぜ耕士様
メールをありがとうございました。驚き、そしてとても恐縮しております。
先日はパスワードを教えていただくにあたって、ほとんど最小限の用件のみしか書かずに失礼しました。
おかげさまでラジオを聴くことができ、30年余りの時間を超えてのかぜさんとの再会に説明しがたい感動を覚えました。
小学生だった私に、将来、メールなるものができ、ラジオの向こうの頼れる大人、そして近しいお兄さんという存在であるかぜさんからメールをいただく日が来るとは想像もできなかったことですが、思えばその頃、かぜさんのラジオ(番組)を聴いたことで、かぜさんとそしてリスナーの皆さんと結ばれていたことになるのですね。
また今回のことで目には見えなくてもご縁の糸というのはあちらこちらに、そしてしっかりとあることを実感することができ感謝しています。
私のみならず、氷川さんのファンの間でも「涙をこえて」は評判が高いので、いつかソロ、そしてレコーディングの機会があってほしいと願っていますし、実現するのではないかと思います。今年になってファンクラブで「氷川きよしに歌ってほしい童謡、唱歌、カバー曲」のアンケートをとるという試みもありました。これからますますいろいろな楽曲を歌ってくださるのだと思います。
またラジオにもお邪魔させていただきます。
かぜさん、これを機会にこれからもよろしくお願いいたします。
追伸:かぜさんが氷川さんが「涙をこえて」を歌われたことを喜んでくださったこと、ブログに書かせていただいてもよろしいでしょうか? きっと私以外のファンの皆さんも感動されると思うのですが。
マルル(先日は○○としましたが、マルルのほうがわかりやすいですね。マルルにあらためます)
かぜさんからは
「お申し出の件、まったくかまいませんよ」
とすぐにお返事をいただいたのです。
そしてそのお返事にはまたまた驚くことが書かれていました。
2009年2月24日に松井由利夫先生の追悼の記事をこのブログに書かせていただいた折、きよしさんのデビューに関わった岡賢一プロデューサーのことも書かせていただいていたのですが、かぜさんは作詞を始められた頃、岡プロデューサーと一緒にお仕事をされていたのだそうです。
岡プロデューサーは1960年代の中頃、ビートルズのコピーバンドとして知られていたクレイジービートルズという日本の最先端のグループを組んでいたこともあり、グループ・サウンズのザ・スコーピオンズのリーダーだった方でもあります。その音楽性を見込まれて文化放送の中にあるJCM(ジャパン・セントラル・ミュージック)のディレクターになり、その頃、文化放送でアルバイトをしていたかぜさんと知り合われたのだそうです。
音楽制作ディレクターとなられた岡さんはグレープ、細川たかしさん、香西かおりさんらを発掘し、楽曲制作を手がけています。
そんな岡プロデューサーが
そんな岡プロデューサーが
「今度ねぇ、凄い力の新人を世に出すんだよ」
と、かぜさんに嬉しそうに語ってくれたことがあり、それがきよしさんのことだったのだそうです。
ですのでかぜさんはきよしさんのことをデビューの頃から注目してくださっていて、デビュー曲の「箱根八里の半次郎」が売れた時にも、岡プロデューサーのためにとても喜ばれたのだそうです。
「岡さんは演歌ドップリの人でないから氷川君の力がよく判ったのですねぇ」
と書き添えてくださっていました。 さらに
「そんな訳で僕らはみんな糸をたぐり寄せるとどこかで交差し合っているものなのですね、きっと。是非、これからも頑張って氷川君レポートを書いていって下さい」
とこのブログを書くことを励ましてくださったのです。
このブログを始めて、きよしさんのことを書かせていただいてきたおかげで小学生の頃にラジオの向こうで活躍されていた憧れの方にこのような形で再会でき、励ましていただけるなんて、人生には何が起こるかわかりませんね。今、本当に感動しています。
一方通行で発信するだけでは、このブログを今日まで続けることはできませんでした。
皆さまが記事を読むのを待っていてくださると思うからこそ、今日まで続けてこられたのです。感謝しています。
ですのでご来訪くださる皆さまへ、私のこの感動に等しい感謝の気持ちを捧げたいと思い、かぜさんのご了解もいただいてご報告させていただきました。
皆さまに、私からの”ありがとうございます!”が届きますように。
皆さまに感謝! いつもありがとうございます。