時間が少し空いてしまったので、「きよしさんに導かれて(2)~昨年、初めて広島を訪れました~」の続きはこちらに書きます。
 
 
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          【創業390年 広島最古の薬局 赤松薬局の店頭です】
 
 
NHKのドキュメンタリーで紹介されていた薬局に行ってみたいという思いが何かに通じたのか、勘が冴えていたのでしょうか...。
土地勘もなくよくわからないままに、にぎやかそうな通りまで歩いていき、この通りを探してみてそれらしいお店がなければ、宮島に行く時間もあるので、あきらめるつもりだったのですが、驚くほど簡単にみつかったのです。
ではなぜその薬局(赤松薬局)に行ってみたかったのかといえば、たまたま見たNHKのドキュメンタリー番組の印象が深かったからなのです。
たずねあてることができて、薬局の名前が赤松薬局とわかったため、検索の手がかりができ、私が見た番組は2004年8月6日に放送された「NHKスペシャル 復興 原子野から立ち上がった人々」という番組だったこがわかりました。
再び戦争と暴力の時代に向かおうとしているかのような世界情勢を憂い、広島放送局が作った番組でした。
その中で広島に原爆が投下された日に旧制中学に通っていて市内にいなかった赤松正康さんのことが紹介されました。
赤松さんが広島が大変なことになっていると知り、広島に向かうのですが、実家の薬局のある場所を特定するのも難しいほどに本通り一帯の商店や家は、すべて焼失し、両親の姿も見つけられなかったのだそうです。
どのあたりが自分の家だったのだろう? 必死の思いであたりを見回していたら庭に置いてあった山水の形の石が目に入ったのだそうです。それで、大体の実家の場所がわかった赤松さんは、さらにその近くを見ていくと、眼鏡を見つけ、そして次にかんざしを見つます。
赤松さんは
「それを見たら、眼鏡は父の物。かんざしは母のものとすぐにわかったのです」
そうおっしゃっていました。そしてその近くでさらに両親の骨を見つけたのだそうです。
赤松さんは10代前半でしょう。その信じがたい状況に、
”自分もこのまま死んでしまいたい”と思ったそうです。
その時、「何かあった時のために玄関に壺(だったかと思います)を埋めておくから」とお父さんが言っていたことを思い出したそうです。それで庭の石を頼りに玄関の辺りを探してみたら、たしかに壺があり、中を見ると、お金と疎開先の住所が書かれた紙が入っていたのだそうです。
途方にくれていた赤松さんでしたが、その後、大学生のお兄さんや買い付けに出ていた薬局の従業員の方たちも広島にいなかったため、あわててかけつけてきたのだそうです。そして皆で励まし合い、住所の書かれた疎開先に行ってみると、お金や時計、薬などが預けられていたということでした。そのお父さんの思いに、生き残った自分たちで、再び薬局を再興させようという思いがわいてきたそうです。
「おやじほど頼りになるものはありませんね」と赤松さんはおっしゃっていたかと思います。
そして今はお店に立たれることはないのだと思いますが、取材用に、お店のカウンターに座っている赤松さんの姿が映し出され、また別のテーマへと番組は移っていきました。
 
私は最初は何かをしながら、たまたま居間でこの番組を見ていたのですが、赤松さんのお話に引き込まれ、気付いたら涙がとまらなくなっていました。別の部屋で用事をしていた母がたまたま居間にきて、私が泣いているので「どうしたの?」と驚かれた記憶があります。
 
赤松さんのお話を聞いていて私だったらどうするのだろう? 
10代前半で突然に家も両親も失い、焼け跡に一人ぽっちで立ちつくすことになったら。
その絶望の深さは想像もできません。
当時のことをお話しされていた赤松さんの今はお幸せそうな様子に救われる思いもありましたが、戦争でそのような思いをされた方が日本中にたくさんいらしたことを痛感したのでした。
それを思えば、私の身の回りに起こる問題なんて本当にささいなとるに足らないことだなあと思いましたし、それほどの絶望を乗り越えられた方のお心を思えば、どんなことでも乗り越えられるように思えてきたのでした。
深く深く励まされたのです。
その番組を見終わって、まだ広島に行ったことがなかった私は、やはり行ってみなければ。そして今はにぎやかそうな商店街になっている薬局の前に自分が立ってみたいと強く思ったのです。
思えば2004年の夏にそう思って、先に長崎の地を訪れ、そして広島へは昨年2009年に行くことになったのですが、この赤松薬局の前に立ってみて、平和のありがたさをしみじみと感じたのです。
そしてやはりすべてはきよしさんに導かれているのだとも、実感したのでした。
 
※このテーマは、きよしさんとは関連はそれほどありませんが実はまだ続きがあります。
(3)として、後日になりますが”ドキュメント歌謡”といわれる「星の流れに」のことを最後に書きたいと思っています。