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※この画像はクリスマスローズです

春が近づいてきましたね。ここのところあわただしい日々をすごしていますが、おかげさまで毎日元気です。このクリスマスローズは父からもらったものです。父は庭造りが大好きで、あれこれと花を育てているのですが、今はクリスマスローズがたくさん咲いたので、「お部屋に飾ったら?」と切ってきてくれたのです。
そして、よく通る道のハクモクレンも少しずつ咲き出しました。私はハクモクレンはつぼみの頃が一番好きです。ある日、まるで白い鳥が木にとまっているの? と見紛うようなつぼみがつき始めると、もう春が近いのだなあという気持ちになって、凍えるような寒さの中でも心があたたまってきます。
そしてあたたかさと共に開花し、花びらが落ちるころにはすっかり春めいて……。
ハクモクレンは私にとって、待ち望んだ春を知らせてくれる”春の使者”なのだと思っています。

そんな気持ちも春めいてきた私ですが、明日はNHKホールで行われる「にっぽんの歌 ふるさとの歌コンサート」の公開収録に行ってきますので、また素敵なきよしさんのことをご報告したいと思っています。

ところで先日、資料の整理をしていたら2006年に私が高校生の方が読む雑誌に書かせていただいた”仕事について”のアンケートへの回答が載っている雑誌を見つけました。
そこに私はこんなことを書いていました。特にQ3は先日の、きよしさんが「きよしとこの夜」のことについて語っていらした内容と少し通じているかなあと自分で感じました。
その後今日まで読み返すことがなかったので、自分でもこんなことを書いたんだーと思うことが多々ありました。
興味のある方はお読みください。

【仕事について先輩に聞こう!】
Q1.ライターの仕事を目指したきっかけは?(目指し始めた時期もおしえてください)
A1.ライターという職業自体を目指したことはなかったのですが、映画が大好きでした。本も好きだったので活字に携わる仕事ができたらいいなと漠然と思っていました。それで大学生の時、編集者という仕事を意識するようになりました。


Q2.どのような道のりで、この仕事に就きましたか?
A2.学生時代に映画のファン誌を作っていたこと。大学4年生の時にダブルスクールで編集者を育てるワークショップに通ったことが大きかったです。
そこで培ったこと、そして出会った方々とのご縁で出版社に就職することになり、また退職した後は、それまで憧れていた映画雑誌の仕事をフリーですることになりました。
出版社にいたときは編集者でしたから数々の取材には立ち会いましたが、その時は将来、自分が取材をし、原稿を書くようになるなんて思ってもみなかったのです。
フリーの編集者になってから、色々と企画を立てた中で、取材を誰にお願いしましょうか?という時に、「そこまで企画を立てたなら、人にお願いしないで自分でやってみたらいいよ」とお世話になっていた編集長に背中を押していただいてライターデビューとなりました。
その時は映画監督の小津安二郎さんの本の仕事で、作家の島田雅彦さんにインタビューをさせていただきました。
   
Q3.仕事への憧れと、実際の仕事でギャップはありましたか?
A3.ギャップということではないかもしれませんが。テレビや映画で見るスターと言われる方たちも、素顔は私たちと変わらない一人の人間なんだなと、この仕事をするようになって感じました。ですので取材ではその方の表現者としての素晴らしさを伝える一方で、常に一人の人間としての思いや素顔を伝えたいと心がけるようになりました。


Q4.仕事のやりがい(面白い点)は? 嬉しかった言葉はありますか?
A4.やはり原稿の評価につきます。「よかったよ」「面白かったよ」と言っていただくことが何よりうれしいです。読者の方からお手紙をいただくこともありますが、最近は出版社のHPやブログに読者の方からのメッセージが届くので、自分でもチェックするようにしています。
好意的なコメントが入ると担当の編集の方がメールをくださることもあります。原稿を書く作業は個人作業の部分がありますが、読者の方に喜んでいただけると編集者の方をはじめ関わった方たちも嬉しく思ってくださるのです。

Q5.この仕事を目指す高校生にメッセージをお願いします。
A5.私は同級生に比べてのんびりしているタイプでしたが、そんな私でも何とかやりたい仕事を見つけることができましたので、やりたいことを意識して、どんなものでもよいので、自分で駄目だしをせず、何かの形にしてみると良いと思います。
学生時代、「何かいい映画ある?」と友人に聞かれて、おススメ映画を紹介すると、後で面白かったと喜んでもらえることが多かったので、そんな自分の情報が役立つならと、映画のファン誌を作ることにしたのですが、思えばそれが今の仕事の始まりだったのではないかと思います。
今は発表する場所も方法もたくさんあります。最初から多くの人に届けることを考えず、身近な友人に向けて何かを作ってみてはいかがでしょう? 自身の子供や家族を喜ばせようとして書いたものが、のちに世界中の人に読まれるようになった名作もたくさんあります。
そして逆に多くの人に向けて書くようになっても、やはり読んでくださる方を意識して書いていきたいと思うようになりましたので、その姿勢はすべての基本なんだと思います。
今このアンケートを読んで下さっているあなた、私のことではないって思っています? 
もちろんお会いしたことはありませんけれども。でも、私は誰のためでもありません。今読んで下さっているあなたに向けて、書いています。失敗もあとですべて宝物です。がんばって下さい。


と、こんなことを書いていました。それから4年です。やはり今も気持ちも思いも変わりません。
報われないことも多々ありますが、夢がしぼむことはありませんでした。それは今日まできよしさんにずっと励ましていただいているからなのだと思います。

さて、この”職業”ということで、もうひとつ。俳優の船越英一郎さんの資料を作っていて、雑誌「R25」の中の”R25時代”というインタビューの中で、印象に残るお話をされていらっしゃいました。
船越さんのデビューは1982年。大学4年生の時で、佐藤浩市さんや中井貴一さんがデビューされた二世ブームともいわれた時代だったそうです。
芸能界の厳しさを知っている父親の船越英二さんに「3年やって飯が食えなければ、深追いするな」と言われてデビューしたものの、まったく芽が出ずスターになれると思っていた自分が間違っていたのだと気づき、そして、自分は役者になろうと決意したのだそうです。
そのことについて船越さんはこう語っています。
「スターって、望んでなれる職業ではないんですね。その人のえもいわれぬ魅力に取りつかれたみんなに作り上げられるもの。役者は仕事があろうとなかろうと”なる”って宣言した瞬間からなれます。僕はスターという幻想をそこで捨てたんですね(笑)」
その後ロックミュージカル劇団を立ち上げ、役者道を歩み始めた船越さんの、現在のご活躍は皆さんもご存知ですね。
私は、この船越さんの”スターって、望んでなれる職業ではないんですね。その人のえもいわれぬ魅力に取りつかれたみんなに作り上げられるもの”という言葉にハッとしました。
皆さんもきよしさんのことをすぐに思い浮かべたのではないでしょうか? 

さて、下記は雑誌に掲載されたデビュー前のきよしさん(19歳の時)の画像ですが、雑誌のページを撮影したものなので、以前期間限定で掲載しました。
きよしさんの写真を、見てみたかったというお声をその後何人もの方からいただいていたので、いずれ記事の内容の流れで、掲載する機会があればと思っていました。
この画像は、きよしさんが歌手を夢見ていた時代のものですが、このひたむきさ、愛らしさは今のきよしさんから変わらず感じられるように思います。
氷川きよしさんに出会えて本当に幸せだなあと、この画像を見てあらためて感じる私なのです。
(掲載終了しました)