2月3日に開催された渋谷C.C.Lemonホールでのコンサート、夜の部に行ってきました。
前日の2月2日が、きよしさんのデビュー記念日。デビューして丸10年が経ち、11年目に入ったのです。前日のコンサートも夜の部に参加し、その時のことは簡単ですが先にこのブログに書かせていただきました。
昨年12月の「きよしこの夜Vol.9」以来のコンサートということで、曲目や舞台セット、構成も一新され、きよしさん、良い意味での緊張はされているものの、エネルギーに満ち溢れていて、その歌声の響きはは煌めいていて、心地よいほどに伸びやかなのです。何という幸せでしょう。1曲、1曲、大切に大切に心をこめて歌い上げていくのでした。
私は2004年の2月3日のことを思い出していました。きよしさんは大阪の新歌舞伎座で座長公演中でした。その時はファンクラブで千秋楽のチケットが取れていたのですが、それとは別にJCBカードで申し込んだところ3列の中央の席が取れたので、大阪まで日帰りで出かけることにしたのでした。
私はその日のきよしさんの歌唱に本当に圧倒されました。とりわけ後半に歌った「玄海竜虎伝」では、本当に今、自分の目の前に立っているこの青年から発されている声なのかしら? これは人間が出せる声なのかしら? きよしさんが歌っている間、何度もそう自問自答せずにはいられませんでした。2004年のことですから、それ以前にもきよしさんの熱唱を聴かせていただいて、常に感動をいただいてきた私でしたが、それでもその日は言語不能なまでにその圧倒的な歌声に感動させられたのでした。
それ以後、数えられないほどの感動をいただいて、幸せなことにファンとして、きよしさんと一緒に11周年を迎えることができたのですが、私は3日のコンサートで再び言語不能なほどの感動を味わったのでした。
3日の夜は2日間、4公演の最終ということで、きよしさんのトークもとてもはずんでいました。
1月は3回も水森先生のレッスンを受けられたのだそうです。そのことも初心に戻るということのひとつなのではないかと思うのですが、先生のレッスンはとても厳しかったようです。
この時はマイクの話題はされませんでしたが、これまでのサインから、誰でも”氷川きよし”と読めるものに変えられたということをおっしゃっていました。
新コーナーの”演歌名曲コレクション・リクエストコーナー”では「哀愁列車」を歌ってくださいました。何だか新宿コマ劇場での座長公演を思い出すなあと思っていたら、西寄さんもそうおっしゃっていました。このコーナー、とてもとても嬉しいですけれども、きよしさんは大変でしょうし、ファンにとっても全国どこへでも行って、今現在のきよしさんが歌う名曲を1曲残らず聴きたいという叶わぬ願望を抱いてしまい困ってしまいます(苦笑)。
というのも2日の「誰か故郷を想わざる」、3日の「哀愁列車」とどちらも、今現在のきよしさんが歌う、その歌唱の味わいの素晴らしさと言ったら! アルバムに収録されたものもその時々のきよしさんの歌声で素晴らしいのですが、また異なった趣があると言ったら良いでしょうか。
ちなみにこの日は、”こんな曲もいいですね”という流れで「勘太郎月夜歌」をア・カペラで歌ってくださいました。思わぬサプライズでしたが、その爽やかさにうっとりさせられました。
きよしさん、「西寄さんに初めて会った時は怖そうな人だと思っていました」と、この日、おっしゃいました。それはまあ、わかる気がしますよね(笑)。
そして以前もどちらかのコンサートでお話しされたことがあるようですが、西寄さんが、きよしさんに驚かされたエピソードを事細かに話してくださり場内大爆笑になりました。
まず、西寄さんが鏡に向かってメイクをしていると、きよしさん音もなく近づいてきて、耳元で「ワッ!」というのだそうです。西寄さん、メイクに集中していたので本気で驚いてしまい、メイクの手元が狂ってしまうことたびたびなのだそうです。
そして福岡でのコンサートの控え室でのこと。着替えるためにラウンド式のカーテンで仕切ることができるスペースに、きよしさんが隠れていて、用意周到に電気まで消して西寄さんが入ってくるのを待ち構えていたのだそうです。何も知らずに楽屋に戻ってきた西寄さん、”あれ、電気消したっけな?”と思って電気のスイッチを探していたら、そのカーテンの中から、きよしさんが”ウワッ!!”と言って飛び出してきたものですから、西寄さん、ものすごく驚いたのだとおっしゃっていました。
きよしさん、そんな西寄さんのお話を、ちょっぴりスマシ顔で聞いていらっしゃいました(笑)。きよしさんは、西寄さんの存在のおかげでそんな愉快で楽しい時間を持てるんですね。常に緊張にさらされているきよしさんのそんなエピソードに心温まりました。
ところで先に2日のことを書いた記事でふれていなかったのですが、コンサートの中で、11周年のお祝いということで、舞台監督の中川さんや添泉さんがワゴンにケーキと花束を乗せて舞台に運んできてくだり、西寄さんの音頭で”おめでとう”ときよしさんに言い、その後、万歳三唱をしたのでした(2日の夜は思わず万歳四唱になってしまいました・笑)。また3日の夜は有線大賞のお祝いもさせていただきました。
「ときめきのルンバ」の紅白歌合戦の衣装で登場したきよしさん、衣装の話題になると、ほぼ色を使い尽くしてしまい、紅白歌合戦ではどうしようか? と、とても思案したエピソードを話して下さいました。そうしてできあがった衣装を、きよしさんはとても気に入っていらっしゃるのだそうです。スパンコールがきらめいて、きよしさん自身がミラーボールのようで、キラキラキラッと会場中に反射します。そしてウエストに巻き付けているスカーフ風のベルトが、きよしさんの動きとともにしなやかに動いて、またまた素敵なのでした。
さらに3日の夜は大サービスで、舞台上手、下手、中央と3箇所でそれぞれターンもして下さり、衣装を存分に見せてくださったのでした。
さてそんなふうにコンサートは和気藹々とした楽しい雰囲気で進んでいったのですが、きよしさんの歌唱は冴えに冴え、1曲、1曲、胸に迫ってきます。
私はきよしさんの歌声のあまりの美しさに不覚にも涙が最初にこぼれたのは「ふるさと夜汽車」の時でしたでしょうか? うわあ、こんなに前半で泣いていてどうするの? そう思いました。
そして「露草」、「夜明け前」とドラマチックな世界が展開され、うっとり、われ知らずため息まで出てきました。
後半は「白雲の城」、「箱根八里の半次郎」、「きよしのソーラン節」と、まさに”氷川きよし、ここにあり”と思わせる圧倒的な歌唱が続きました。
そして、いよいよ最後の曲ということで、きよしさんが再び11周年の思いを語ってくださいました。
場内からは、次第に大きな”きよしコール”が巻き起こりました。
きよしさん、場内のあちこちを見つめて何度も何度もうなずいていました。
そして、「マイクを使わずにぜひ言わせてください。マイクを使うと声が広がりますので、マイクを通した声とはまた違いますから」
きよしさん、そうおっしゃって、”それでは、いきます”という感じで大きく息を吸って
「これからも応援よろしくお願いいたします」とマイクを通さずにおっしゃり、深々と頭を下げられました。ところが突然、あっと何かを思い出しだ用にあわててかぶりを上げたかと思ったら、「それと、もう一言」とマイクを使っておっしゃり、
再びマイクを通さずに「ありがとうございました」と言ってくださったのでした。
きよしさんの声は私のハートにドーンとぶつかって、じわーっとしみ込んでいったのでした。きよしさんのそんな真心に感動せずにはいられませんでした。
そしてフィナーレの「浪曲一代」を聴いていた時のことでした。
とても個人的な思いではあるのですが、きよしさんの語りを聴いていたあたりで、突然、昨年の冬のある日の朝、交差点を渡っていた時の思いが不意に湧き上がってきたのでした。
その時は自分にとってかなり大変な仕事を始めようとしていた時のことで、人間関係も含めて、心に大きな不安を抱えていました。私はその仕事をするオフィスに向かうため信号待ちをしながらiPodで「浪曲一代」を聴いていたのです。信号が青に変わって歩き出したのですが、その瞬間、「浪曲一代」のきよしさんの晴れ晴れとした歌声に、とても励まされ、「始める前から何を心配しているの? 大変なこと苦労こそ自分磨きの砥石なんじゃないの? ありがたく思わなくちゃ、さあ!」と、そっと背中を押されたような気持ちになれたということがあったのでした。
その時のひどく不安な気持ちと、そしてそれでも大丈夫、がんばろうと前向きに思えた気持ちと、なんということのない街の交差点の風景が、冷たい空気と共に自分の中に湧き上がってきたのです。本当に驚きました。
そして、そうか、その後、何とか1年間がんばってこられたけれども、あの時はたしかにあんなにまで不安だったんだなあ。それなのに、よくがんばれたなあ。
そんなふうにきよしさんの歌声にそれほどまでに励ましていただいていたことにあらためて気付かされたのでした。私は、きよしさんの歌声を聴くほどに心がほぐれてきて涙の壷の蓋がはずれてしまいました。もう、涙が止まらなくなっていました。
「浪曲一代」を歌うきよしさんの深く清廉な志が、私にそのような思いをよびさまさせてくださったのだと感じ、ただただきよしさんの歌声に感動し、感謝する私でした。
エンディングでは、涙できよしさんがよく見えなくなってしまいましたが、私の心は晴れやかで、そしてとても身近にきよしさんの真心を感じていました。
そして、アンコール。きよしさんは濃いピンク(紅色でしょうか)のサテンのスーツで登場し、「かあさん日和」を歌い始めました。
1番はしみじみと聴いていたのですが、きよしさんがあまりにも優しく切々と歌うので、2番を聴いているうちに、私の心が感動でふるふると震え出してきました。「浪曲一代」であんなに大泣きしたばかりだというのに、最初はじわじわとにじんでいた涙が、次第に大粒になっていました。
するとどうしたことでしょう? 3番を歌い出したところくらいでしょうか、きよしさんも、涙声になり、そして歌いながら泣いてしまったのでした。
そんなきよしさんの姿と歌声に、私はすでに泣いていたのにさらにもらい泣きして、あまりの感動とあふれる涙に、思わず両手で目を押さえて泣きました。
ああ、私は氷川きよしさんという歌手に出会えて、なんて幸せなのでしょう。
私は、きよしさんのおかげで10年間という振り返れば長い月日を、常に感動して前向きに笑顔で過ごしてこられたのです。
私はもう涙で顔がぐしゃぐしゃになっていましたが、ラストは思い切り明るく「きよしのズンドコ節」を一緒に歌いました。
きよしさん、あなたの歌声は、たとえ闇の中にいても、光となって届くのです。
目をつぶっていても、あなたの魂の光を感じることができるのです。
命ある限り、私はこの日の感動を忘れることはないでしょう。
そして、その感動を胸にまた、私も日々を誠実に大切に生きていきたいと思うのです。
前日の2月2日が、きよしさんのデビュー記念日。デビューして丸10年が経ち、11年目に入ったのです。前日のコンサートも夜の部に参加し、その時のことは簡単ですが先にこのブログに書かせていただきました。
昨年12月の「きよしこの夜Vol.9」以来のコンサートということで、曲目や舞台セット、構成も一新され、きよしさん、良い意味での緊張はされているものの、エネルギーに満ち溢れていて、その歌声の響きはは煌めいていて、心地よいほどに伸びやかなのです。何という幸せでしょう。1曲、1曲、大切に大切に心をこめて歌い上げていくのでした。
私は2004年の2月3日のことを思い出していました。きよしさんは大阪の新歌舞伎座で座長公演中でした。その時はファンクラブで千秋楽のチケットが取れていたのですが、それとは別にJCBカードで申し込んだところ3列の中央の席が取れたので、大阪まで日帰りで出かけることにしたのでした。
私はその日のきよしさんの歌唱に本当に圧倒されました。とりわけ後半に歌った「玄海竜虎伝」では、本当に今、自分の目の前に立っているこの青年から発されている声なのかしら? これは人間が出せる声なのかしら? きよしさんが歌っている間、何度もそう自問自答せずにはいられませんでした。2004年のことですから、それ以前にもきよしさんの熱唱を聴かせていただいて、常に感動をいただいてきた私でしたが、それでもその日は言語不能なまでにその圧倒的な歌声に感動させられたのでした。
それ以後、数えられないほどの感動をいただいて、幸せなことにファンとして、きよしさんと一緒に11周年を迎えることができたのですが、私は3日のコンサートで再び言語不能なほどの感動を味わったのでした。
3日の夜は2日間、4公演の最終ということで、きよしさんのトークもとてもはずんでいました。
1月は3回も水森先生のレッスンを受けられたのだそうです。そのことも初心に戻るということのひとつなのではないかと思うのですが、先生のレッスンはとても厳しかったようです。
この時はマイクの話題はされませんでしたが、これまでのサインから、誰でも”氷川きよし”と読めるものに変えられたということをおっしゃっていました。
新コーナーの”演歌名曲コレクション・リクエストコーナー”では「哀愁列車」を歌ってくださいました。何だか新宿コマ劇場での座長公演を思い出すなあと思っていたら、西寄さんもそうおっしゃっていました。このコーナー、とてもとても嬉しいですけれども、きよしさんは大変でしょうし、ファンにとっても全国どこへでも行って、今現在のきよしさんが歌う名曲を1曲残らず聴きたいという叶わぬ願望を抱いてしまい困ってしまいます(苦笑)。
というのも2日の「誰か故郷を想わざる」、3日の「哀愁列車」とどちらも、今現在のきよしさんが歌う、その歌唱の味わいの素晴らしさと言ったら! アルバムに収録されたものもその時々のきよしさんの歌声で素晴らしいのですが、また異なった趣があると言ったら良いでしょうか。
ちなみにこの日は、”こんな曲もいいですね”という流れで「勘太郎月夜歌」をア・カペラで歌ってくださいました。思わぬサプライズでしたが、その爽やかさにうっとりさせられました。
きよしさん、「西寄さんに初めて会った時は怖そうな人だと思っていました」と、この日、おっしゃいました。それはまあ、わかる気がしますよね(笑)。
そして以前もどちらかのコンサートでお話しされたことがあるようですが、西寄さんが、きよしさんに驚かされたエピソードを事細かに話してくださり場内大爆笑になりました。
まず、西寄さんが鏡に向かってメイクをしていると、きよしさん音もなく近づいてきて、耳元で「ワッ!」というのだそうです。西寄さん、メイクに集中していたので本気で驚いてしまい、メイクの手元が狂ってしまうことたびたびなのだそうです。
そして福岡でのコンサートの控え室でのこと。着替えるためにラウンド式のカーテンで仕切ることができるスペースに、きよしさんが隠れていて、用意周到に電気まで消して西寄さんが入ってくるのを待ち構えていたのだそうです。何も知らずに楽屋に戻ってきた西寄さん、”あれ、電気消したっけな?”と思って電気のスイッチを探していたら、そのカーテンの中から、きよしさんが”ウワッ!!”と言って飛び出してきたものですから、西寄さん、ものすごく驚いたのだとおっしゃっていました。
きよしさん、そんな西寄さんのお話を、ちょっぴりスマシ顔で聞いていらっしゃいました(笑)。きよしさんは、西寄さんの存在のおかげでそんな愉快で楽しい時間を持てるんですね。常に緊張にさらされているきよしさんのそんなエピソードに心温まりました。
ところで先に2日のことを書いた記事でふれていなかったのですが、コンサートの中で、11周年のお祝いということで、舞台監督の中川さんや添泉さんがワゴンにケーキと花束を乗せて舞台に運んできてくだり、西寄さんの音頭で”おめでとう”ときよしさんに言い、その後、万歳三唱をしたのでした(2日の夜は思わず万歳四唱になってしまいました・笑)。また3日の夜は有線大賞のお祝いもさせていただきました。
「ときめきのルンバ」の紅白歌合戦の衣装で登場したきよしさん、衣装の話題になると、ほぼ色を使い尽くしてしまい、紅白歌合戦ではどうしようか? と、とても思案したエピソードを話して下さいました。そうしてできあがった衣装を、きよしさんはとても気に入っていらっしゃるのだそうです。スパンコールがきらめいて、きよしさん自身がミラーボールのようで、キラキラキラッと会場中に反射します。そしてウエストに巻き付けているスカーフ風のベルトが、きよしさんの動きとともにしなやかに動いて、またまた素敵なのでした。
さらに3日の夜は大サービスで、舞台上手、下手、中央と3箇所でそれぞれターンもして下さり、衣装を存分に見せてくださったのでした。
さてそんなふうにコンサートは和気藹々とした楽しい雰囲気で進んでいったのですが、きよしさんの歌唱は冴えに冴え、1曲、1曲、胸に迫ってきます。
私はきよしさんの歌声のあまりの美しさに不覚にも涙が最初にこぼれたのは「ふるさと夜汽車」の時でしたでしょうか? うわあ、こんなに前半で泣いていてどうするの? そう思いました。
そして「露草」、「夜明け前」とドラマチックな世界が展開され、うっとり、われ知らずため息まで出てきました。
後半は「白雲の城」、「箱根八里の半次郎」、「きよしのソーラン節」と、まさに”氷川きよし、ここにあり”と思わせる圧倒的な歌唱が続きました。
そして、いよいよ最後の曲ということで、きよしさんが再び11周年の思いを語ってくださいました。
場内からは、次第に大きな”きよしコール”が巻き起こりました。
きよしさん、場内のあちこちを見つめて何度も何度もうなずいていました。
そして、「マイクを使わずにぜひ言わせてください。マイクを使うと声が広がりますので、マイクを通した声とはまた違いますから」
きよしさん、そうおっしゃって、”それでは、いきます”という感じで大きく息を吸って
「これからも応援よろしくお願いいたします」とマイクを通さずにおっしゃり、深々と頭を下げられました。ところが突然、あっと何かを思い出しだ用にあわててかぶりを上げたかと思ったら、「それと、もう一言」とマイクを使っておっしゃり、
再びマイクを通さずに「ありがとうございました」と言ってくださったのでした。
きよしさんの声は私のハートにドーンとぶつかって、じわーっとしみ込んでいったのでした。きよしさんのそんな真心に感動せずにはいられませんでした。
そしてフィナーレの「浪曲一代」を聴いていた時のことでした。
とても個人的な思いではあるのですが、きよしさんの語りを聴いていたあたりで、突然、昨年の冬のある日の朝、交差点を渡っていた時の思いが不意に湧き上がってきたのでした。
その時は自分にとってかなり大変な仕事を始めようとしていた時のことで、人間関係も含めて、心に大きな不安を抱えていました。私はその仕事をするオフィスに向かうため信号待ちをしながらiPodで「浪曲一代」を聴いていたのです。信号が青に変わって歩き出したのですが、その瞬間、「浪曲一代」のきよしさんの晴れ晴れとした歌声に、とても励まされ、「始める前から何を心配しているの? 大変なこと苦労こそ自分磨きの砥石なんじゃないの? ありがたく思わなくちゃ、さあ!」と、そっと背中を押されたような気持ちになれたということがあったのでした。
その時のひどく不安な気持ちと、そしてそれでも大丈夫、がんばろうと前向きに思えた気持ちと、なんということのない街の交差点の風景が、冷たい空気と共に自分の中に湧き上がってきたのです。本当に驚きました。
そして、そうか、その後、何とか1年間がんばってこられたけれども、あの時はたしかにあんなにまで不安だったんだなあ。それなのに、よくがんばれたなあ。
そんなふうにきよしさんの歌声にそれほどまでに励ましていただいていたことにあらためて気付かされたのでした。私は、きよしさんの歌声を聴くほどに心がほぐれてきて涙の壷の蓋がはずれてしまいました。もう、涙が止まらなくなっていました。
「浪曲一代」を歌うきよしさんの深く清廉な志が、私にそのような思いをよびさまさせてくださったのだと感じ、ただただきよしさんの歌声に感動し、感謝する私でした。
エンディングでは、涙できよしさんがよく見えなくなってしまいましたが、私の心は晴れやかで、そしてとても身近にきよしさんの真心を感じていました。
そして、アンコール。きよしさんは濃いピンク(紅色でしょうか)のサテンのスーツで登場し、「かあさん日和」を歌い始めました。
1番はしみじみと聴いていたのですが、きよしさんがあまりにも優しく切々と歌うので、2番を聴いているうちに、私の心が感動でふるふると震え出してきました。「浪曲一代」であんなに大泣きしたばかりだというのに、最初はじわじわとにじんでいた涙が、次第に大粒になっていました。
するとどうしたことでしょう? 3番を歌い出したところくらいでしょうか、きよしさんも、涙声になり、そして歌いながら泣いてしまったのでした。
そんなきよしさんの姿と歌声に、私はすでに泣いていたのにさらにもらい泣きして、あまりの感動とあふれる涙に、思わず両手で目を押さえて泣きました。
ああ、私は氷川きよしさんという歌手に出会えて、なんて幸せなのでしょう。
私は、きよしさんのおかげで10年間という振り返れば長い月日を、常に感動して前向きに笑顔で過ごしてこられたのです。
私はもう涙で顔がぐしゃぐしゃになっていましたが、ラストは思い切り明るく「きよしのズンドコ節」を一緒に歌いました。
きよしさん、あなたの歌声は、たとえ闇の中にいても、光となって届くのです。
目をつぶっていても、あなたの魂の光を感じることができるのです。
命ある限り、私はこの日の感動を忘れることはないでしょう。
そして、その感動を胸にまた、私も日々を誠実に大切に生きていきたいと思うのです。