氷川きよし様 あの日、あなたは歌と心中するつもりだったのではありませんか


きよしさんの10周年を振り返った時、さまざまな思い出が私の心の中でキラキラと輝いているのを感じます。
中でも、私自身が忘れることのできない思い出は2004年7月4日の八王子市民会館でのコンサートの夜の部でのことです。昼の部に参加した友人から、きよしさんが、あまりに声の調子が悪いので「声の機嫌が悪くて申し訳ありません」と言って、涙ぐむ一幕があったとメールをもらったので、きよしさんのことを案じながら、夜の部の幕が開くのを待っていました。

いざ幕が開くと、ファンの心配をよそに、きよしさんはよく歌えているように思いました。心なしか表情は時折、険しくも見えましたが、それはさすがに疲れているのだろうなと。でもこれだけ歌えているのだもの、心配いらないんだよね。そんなふうな思いできよしさんを見つめていました。
その日のトーク、少しメモが残っていました。
「孤独な一人一人が、こうして集まってひとつになる素晴らしさ」
「僕は体ばかり大人になって、心は子供のまま成長していない、寂しい」
そんなことをきよしさんおっしゃっていました。
そしてふれあいコーナーで、5歳の女の子が
「きよし君、大好き!」
とかわいらしい声で言うと、きよしさんは
「嬉しいなあー」と言った後、少し間を置いて
「結婚しようか」と言ったのです。すると場内のあちこちから”キーッ!”という声が聞こえてきて、5歳の女の子に言ったことなのにと、その声に思わず、きよしさんも笑ってしまい、和やかなムードになりました。

そして、きよしさん和服姿で登場し、コンサートも終盤になり、その出来事は起こったのでした。
『玄海竜虎伝』を歌い終えた時のことでした。私は今でもその時のきよしさんを忘れることができませんが、同時に、どう表現すればよいのか、書こうとして途方に暮れてもいます。
歌い終えたきよしさん、心底ホッとし、頬が紅潮し愉悦の表情に見えました。
それは『玄海竜虎伝』という難曲を見事に歌い、無事ここまで歌い終えたのだという安堵ゆえだったのだと、翌日知ることになるわけですが、
きよしさん「はあぁぁぁぁぁぁーー」と全身で深く息を吐き、一瞬、放心状態になった様子でした。そして袴姿でしたが、そのままストンと両膝をついてしまったのでした。でも、きよしさんは「ハハハハ、ハハハハ、ふふふふ」そんな感じで、決して作り笑いではなく、こぼれ笑いといったら良いのでしょうか。しばらく両膝をついた状態で笑っていました。後で思えば、本当に立っているのもやっとの状態だったのでしょう。
私は、そんなきよしさんの様子に、きよしさん、よほど疲れているのだろうとは思いましたが、まさかきよしさんの肉体が極限状態になっているだなんて夢にも思いませんでした。
ノートを見ると、きよしさんはその後、ラストトークをし、ラストは『箱根八里の半次郎』を歌って幕が降りました。
そして、今回この記事を書くにあたってノートをよく読んでみたら、その後さらにアンコールで『純子の港町』と『大井追っかけ音次郎』を歌って下さっていたのでした。
きよしさんは、終演後、そのまま病院に駆け込まれたのだそうですが、それほどひどい状態だったなんて、間近で観ていたのに、まったく感じさせませんでした。その証拠に、私のノートには”さて明日は渋谷です”と書いてありました。

今、こうしてあらためてその時の様子を思い返してみると、あの時、きよしさんはどんな思いで『玄海竜虎伝』を歌われたのかなあと考えます。
そして私には、きよしさんはあの日、歌と心中する覚悟だったのではないかなあという思いがわいてきて仕方がないのです。もちろん、きよしさんは言葉でそんなことを考えていたりはしなかったでしょうけれども、多分、あとさきのことなど何も考えず、その瞬間、きよしさんには歌だけがあったのだと思うのです。『玄海竜虎伝』を歌い上げた時のきよしさんの愉悦の表情や笑いは、”今、ここでこの歌を歌いきることができるのなら、僕はもう死んだっていい”そんな決死の思いをこめたまさに渾身の歌唱だったのではなかったのでしょうか。

私はそんなきよしさんの姿を思い浮かべると、きよしさんが「命をこめて、魂をこめて歌います」とおっしゃる言葉の重み、そして、10周年記念コンサートのタイトルを”歌・命”にされた、その決意に尚いっそう感動せずにはいられないのです。

その翌日5日、13時30分に渋谷公会堂(当時)でのコンサートの中止が発表されました。きよしさんは医師に急性咽頭炎による発熱と脱水症状と診断され、1週間の療養が必要とのことでしたが、7日には、新曲『番場の忠太郎』の発売日だったこともあり、結局、「めざましテレビ」と「笑っていいとも!」に出演されたのです。その日、テレビで見たきよしさんの様子はまだ本調子ではないことが一目でわかるものでした。

さて、それ以前、きよしさんはどれほどのハードスケジュールをこなしていたのでしょう。公表されているものだけでも

6/27 コンサート 昼・夜(京都)
6/28 ラジオ番組 生出演(大阪)
6/29 歌謡コンサート(NHK)生出演
6/30 BS日本のうた収録(NHK函館)ワンマンショーで12曲歌唱
7/ 2 夏祭りにっぽんの歌(テレビ東京)生出演
7/ 3 銀座三越でのファンイベント
7/ 4 コンサート 昼・夜(八王子)
7/ 5 コンサート 昼・夜(渋谷)

という恐ろしくハードなものでした。
5日は13時30分に渋谷公会堂(当時)のコンサートの中止が決定になると、ファンクラブの方が、電話で、コンサート参加者の自宅に中止の旨、緊急連絡をしたのですが、電話口に出られた方の中には、ショックで泣き出される方、絶句される方、また”事務所はきよし君を働かせすぎなんじゃないんですか”と意見を言われた方もいらして、連絡の電話もなかなか進まなかったそうです(私は仕事でしたので、6時すぎに会場についてようやくそのことを知りました)。

私は八王子でのコンサートの前日の3日には、銀座三越の屋上で開催された「きよしのドドンパ」さあさみんなで夏祭り!~きよし君とドドンパを踊ろう!!~に一部・二部の両方に参加し、きよしさんのおかげで夢のような時間をすごさせていただいたのですが、炎天下、きよしさんは屋根も日除けもない櫓の上で、ゆかた姿で登場されました。
大宮さんの和太鼓に合わせて、きよしさんご自身が『きよしのドドンパ』を歌って下さり一緒に踊るというぜいたくな盆踊り大会となりました。
その後、きよしさんは黒(もしかしたらダークグレー)のスーツを着て、7日に発売される『番場の忠太郎』を披露して下さったのですが、その歌唱は、聴いている私に暑さを忘れさせるほど素晴らしかったです。その姿に、きよしさんの歩む道は本当に華やかだけれども、何と険しく過酷な道なのだろうと思わずにはいられませんでした。暑くないはずはないのに、一部も二部も暑さをものともしない見事な熱唱だったのです。
そしてファンとのハイタッチ会となり、本来は両手をお互いにパンとタッチするというものなのですが、きよしさんの人柄ですね。結局のところ両手のタッチでは終わらず、両手指の間に指を重ねてぎゅーっと握って下さるという大サービスとなったのでした(通常の舞台の上にテントをはられていたので、ここでは日差しは遮られていました)。
そんなことを炎天下で一部・二部と2回していたら、どれほどのエネルギーを使い消耗されることでしょう。終始笑顔のきよしさんでしたが、少し心配にもなりました。

だいぶ後になってから、このイベントの日に、きよしさんのお母様が大変な手術をされたのだと知りました。きよしさんは肉体的な疲れもあったものの、その心労が大きかったのだと後に語られました。
私はそれを知って、涙がとまりませんでした。きよしさんのおかげで、あんなに楽しくて、嬉しくて、幸せな時間を過ごさせていただいていたその時に、きよしさんの心中はお母様を思って、どんなにか心配だったことでしょう。できることならお母様のそばについていたかったことでしょう。それなのにイベントでは、早く切り上げようなどという発想は、きよしさんにはまったくなく、ハイタッチが両手握手になってしまい、予定時間を随分超過してしまったのではないかと思います。
人はそれをプロと呼ぶのかもしれませんが、プロであっても人間です。外見は繕えても、心は誰しも同じように脆く、傷つきやすいものなのだと思います。
顔で笑って、心で泣いて。そんなきよしさんに接して、「きよしさんに、私は一生ついて行こう」そう思ったのでした。

そんな思い出のある『玄海竜虎伝』、10周年コンサートで聴けるでしょうか?

※だ、である調で書くつもりでしたが、こんな感じでこれまでの書き方で書いてみようかと思っています。第2回はまた少し先になってしまうかもしれませんが、明日はまた違った事をアップする予定です。
コメントとご訪問返しが遅れていて申し訳ありません。しばらくの間、記事優先で書かせていただきますことをお許し下さい。