忌野清志郎さんが5月2日にがん性リンパ管症のため亡くなられました。
「愛しあってるか~い?」「愛してま~す」そんなコンサートで観客にかける言葉の、独特な節回しが蘇ってきます。

私は3日の夜、訃報をテレビのニュースで知りました。復活ライブ後、再び闘病されていることは知っていましたが、昨年も元気な姿を見せて下さいましたから、きっとまた体調を整えられて戻ってきて下さるものとずっと思っていましたので、目に入った文字がすぐには信じられませんでした。
”ロック界の巨星、逝く”そんなふうに報じられていました。
清志郎さんは日本語をロックのリズムに乗せ、それまではロックは英語で歌うものという常識を軽々と覆した方だと思います。どこまでも真っ直ぐで、音楽がすべての方。アーティストとしての直感で危険なものには警鐘を鳴らすこともされましたが、人には誠実に接し、大人然とすることもスター然とすることも生涯ありませんでしたね。私はその心の中には誰にも踏み入れることのできない美しい泉がたたえられているようにずっと感じていました。

私がその存在を知ったのはいつ頃だったでしょうか? タイムリーではなかったですけれども、高校3年生の時だったのではないかと思います。家で勉強しながらラジオを聴いていたら突然「トランジスタ・ラジオ」が流れてきて、自分がリセットされたかのように衝撃を受けました。「何て自由に歌うことができる人なんだろう?」そう思いました。ラジオだったので、曲名も歌っている人の名前も聴き逃してしまったのですが、どうしても知りたくて、同じクラスで軽音楽部に所属しているT君に聞いてみることにしました。T君は同級生に比べてもぐっと大人っぽい雰囲気で他に和さず近寄りがたい存在でしたので、1年生の時から同じクラスだったのに挨拶以外はそれまで一度も話したことがなかったのです。
T君に恐る恐る声をかけてみた私に、T君は「覚えてるとこ、歌ってみてよ」と言いました。
一度聴いただけなんだけどなあと思いながらも、「授業中、あくびしてたら、口がでっかくなっちまった、居眠りばかりしてたら、目が小さくなっちまった」というくだりを覚えていたので、歌ってみました。
T君はにニコリともせず「アールシーだな」とぼそっと言いました。
「何?」
「RCサクセションというバンドの『トランジスタ・ラジオ』というヒット曲で歌っているのは忌野清志郎って人。」
そんなふうに忌野清志郎さんを知りました。T君は今度は笑いながら、「今度アルバムを持ってきてくれる」と言いました。
翌日さっそく「EPLP」というアルバムを貸してくれました。私はすっかり聴き入りました。
そのアルバムには、「わかってもらえるさ」「ステップ!」「雨あがりの夜空に」「ボスしけてるぜ」
「トランジスタ・ラジオ」「よごれた顔でこんにちは」「上を向いて歩こう」「君が僕を知っている」「キモちE」「たとえばこんなラブソング」と今からみてもキラ星のような曲が入っていました。
私は熱狂的なファンにこそなりませんでしたが、いつもその存在を見上げ、見つめてきましたので、とてもショックでした。 映画好きな私としてはさっと思い出すだけでも「カタクリ家の幸福」「チキン・ハート」など映画にも時々出演されていて、そのポップな存在感も大好きでした。

昨日(4日)に営まれた葬儀と告別式の様子がワイドショーで放送されていました。
奥様の景子さんの希望で、大音響で清志郎さんの歌声が流れるライブ形式のロック葬が営まれたそうで、出棺時には今年3月に収録した遺作「Oh! RADIO!」の清志郎さんの歌声が流れていました。棺には黄色いピカピカのマントをかけられていて、色とりどりのフラワーシャワーが飛んでいました。祭壇は多くの花で飾られていて、優しく微笑む清郎志郎さんの遺影のフレームはピンク色。白い花も飾られていました。
司会の方の言葉が印象的で、どなたがされているのかなあと思ったのですが。司会はファンクラブ代表の
高橋康浩さんが務められたのだそうです。高橋さんは式の最後に「また会おうぜ、ベイビー!」とおっしゃっていました。

忌野さんのエピソードで印象的なのは、お通夜にいらしていた清志郎さんの恩師(「僕の好きな先生」のモデルとなった方)から、卒業式の後「自分が本当にやりたいことがあるなら、結婚はするな」と真剣な顔で言われたことが頭から離れず、30代後半まで独身でいて、その恩師が初めてライブに来てくれたときにそのことを伝えると、「君はもういいんだよ」と言ってくれたため、アマチュア時代からずっと清志郎さんを応援してくれていた「石井さん」(「石井さん」という曲もありますね)と結婚したというもの。正直で純粋な方なんだなあと思いました。

ところで皆さんは忌野さんと坂本冬美さんと細野晴臣さんのユニットHISをご存知ですか?
東芝EMIの創立30周年記念イベント「ロックの生まれた日」で忌野清志郎さんと坂本冬美さんが共演して(その時は三宅伸治さんと3人でした)、作品化することになって細野晴臣さんをプロデューサー兼メンバーとして迎えて、アルバム「日本の人」ができたのです。その後2005年に3人が曲を製作して、坂本冬美さんのシングル『Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~』としてリリースされています。
そんなことからも清志郎さんの音楽をカテゴライズしない自由さをあらためて思うのです。

「また会おうぜ、ベイビー!」
本当にそうですね。清志郎さんの音楽は誰にも真似のできるものでなく、ずっとずっと私たちの心に残っていくのだと思います。