松井由利夫先生の訃報に言葉もなく、ブログを少しお休みしてしまいました。
でも22日の會津風雅堂でのきよしさんのコンサートに行った方たちから、昼・夜二回のコンサートを見事に歌い上げたきよしさんの様子を教えていただき、とても励まされ、昨夜から、記事を書き出しました。
私は、20日の早朝、松井先生の訃報を知りました。昨年の日本作詩大賞の授賞式を体調不良で欠席されたので、一日も早くお元気になっていただきたいと願っていましたが、こんなに重いご病気だったとは知らず、突然の訃報に打ちのめされました。
私が松井先生の訃報を聞いて最初に思いうかべたのは、昨年のきよしさんの川口リリアホールでのコンサートの日、川口駅からホールへ行く地上デッキで、人待ちをされていた松井先生の姿でした。夜の部のコンサートに行くため川口駅から出て、ホールに向かってデッキを歩き始めたところ、スラリと背の高い男性が駅のほうを見やっていて、ふとその男性に目をとめると、本当にバチッという感じで松井先生と目が合いました。その瞬間、私は心の中で「あっ! 松井先生」と声をあげました。テレビや雑誌はもちろん、きよしさんのコンサート会場でも何度かお見かけしていたので、すぐにわかりました。そしてわかった瞬間、「どうしよう? 松井先生は私を知らないけど、今、私が松井先生だとわかったことには気付かれた様子。こういう場合はやっぱり会釈はしたほうがいいかしら」ととっさに思いをめぐらせ、おずおずと松井先生に会釈をしました。すると長身の松井先生は、とても折り目正しく、私になんてもったいないほどに丁寧に深々と会釈を返して下さったのです。何と素晴らしい方なのでしょう。そしてその時は若々しくラフなスタイルで、学校の先生や編集者の方がよく持っているショルダーバックをかけていらっしゃり、80歳を過ぎているとは思えないほど姿勢が美しく、お元気な様子でした。作詞家として素晴らしい方であることはもちろんですが、そのほんのわずかな関わりからも人間としていかに素晴らしい方であるかを感じることができ、きよしさんが松井先生に憧れる気持ちがわかるように思いました。私も松井先生のような立ち居振る舞い、そして物言いのできる方になりたいと思ったのです。
今、手帳で調べてみたらその日は6月19日でしたが、夜の部のコンサートに奥様と一緒にお越しになられて、きよしさんが松井先生に謝辞を述べると、先生が「あなたに会うと、まだまだ生きたいという気持ちになりますよ」というようなことを嬉しそうにおっしゃいました。訃報のニュースで知りましたが、奥様のお話では昨年8月にがんが見つかり、11月に手術をされ、その時に骨などに転移があることがわかり余命3か月と告知されたそうです。12月末には退院され、自宅できよしさんが大トリを務めたNHK紅白歌合戦を観覧されましたが、再入院。1月末から再び自宅療養をされていましたが、数日前から容態が急変。19日朝に枕元で「きよしのズンドコ節」が流れる中、安らかに息を引き取られたと書かれていました。
川口のコンサートがあった6月から、まだ半年余りしか経っていないのにと思うと、本当に悲しくなってしまいました。あんなにお元気だったのに。人生の師であり、祖父に等しい存在であった松井先生の訃報を知った、きよしさんの心中を思うと本当に心が痛みます。各紙に掲載された水森英夫先生のコメントを読んでいたら、19日に松井先生の訃報を知ったきよしさんから、水森先生に何度も連絡が入り「大変なことになってしまった」と言って、おいおい泣いていたと書かれていました。
かけがいのない尊い方を失って、その存在の大きさは日を追うごとに増していくものだと思います。でも、きよしさん、松井先生にお会いできて良かったですね。松井先生は「半世紀の作詞活動で氷川君に巡り合えて幸運だった」「詞や曲が良くても歌い手が良くないとだめ。氷川きよしという華のある歌手に出会えて幸せ」とよくおっしゃっていたそうですね。そしてきよしさんの歌声を支えに闘病されていたと。
「一剣」でレコード大賞を受賞、「きよしのズンドコ節」で紅白歌合戦の大トリ。そして10周年記念曲の「浪曲一代」のオリコンチャート1位と、歌手としてこれ以上ない夢を次々に実現されて、松井先生はそのたびきよしさんの晴れ姿と快挙をとても喜んでいたに違いありません。
私も今、「一期一会」という言葉の重さをかみしめて、出会いに感謝し、また日々を生きていこうと思っています。