12日に群馬県みどり市で「BS日本のうた」の公開収録があり、参加した友人から、きよしさんは「きよしのズンドコ節」と「浪曲一代」を歌われたと教えていただきました。会場は岩宿遺跡の近くだったそうです。出演者一同で歌う場面や、司会の方のお手伝いをするなど、スペシャルショーの出演はないものの、大活躍だった様子です。放送が楽しみですね。
放送予定はBSが3月15日(日)午後7時30分~8時58分 (再放送は3月20日(金)午後9時~10時28分)、そしてハイビジョン放送が 3月14日(土)午後2時~3時28分 とのことです。
そして今日、13日は「たけしの誰でもピカソ」にきよしさん出演されましたね。「浪曲一代」の限定版ジャケットの衣裳で登場し、「きよしのズンドコ節」を歌ってスタート。早乙女太一さんとダブルゲストでした。皆さんできよしさんの10周年を振り返るのですが、きよしさんの2001年7月に出演時の映像も流れました。その頃のきよしさんを見ますと、まったくカメラ目線になっていませんでした。慣れていない感じで、不安気でもあり、初々しいといますか。そんな作られていない素の感じが魅力のひとつでもあったかなあとしみじみ。もちろん今はカメラ目線も完璧で、見せる=魅せるということを意識されていますが、今現在も以前とは違った意味でちゃんと素のきよしさんが伝わってきているように感じます。表面的なものではない伝え方、見せ方を体得されたのだと思いました。「これまでに番組の中で歌った曲で難しかった曲は?」と聞かれたきよしさん、どの曲も難しかったけれども、もっとも難しかったのは「知床旅情」だとおっしゃっていました。マイクを持つ手の平は汗びっしょりになって、すべってマイクを落とさないかと心配したほどだそうです。その時の映像も流れましたが、そんな緊張を感じさせるどころか堂々として見えました。そう思うと、普段も本当にいつもいつも大舞台はもちろん、収録の時も常に緊張に身を晒していらっしゃるのでしょうか。そう思うと本当に厳しいお仕事ですね。
そして後半「浪曲一代」を歌いました。北野武さんに名前を決めていただく時には六本木のお店で食事をしながらだったそうですが、きよしさんは「食べた気がしなかった」とおっしゃっていました。デビュー前のことですし、それは相当に緊張されたと想像します。
さて、そんなご縁できよしさんはこれまでに、この番組に39回出演されているそうです。私はそれを聞いて、そうなんだ...とポツリ。39回のうち一度も観覧したことがなかったなあと。
でも、私、きよしさんの収録ではない時に、一度観覧に行ってみたことがあるのです。以前はきよしさんがゲストの時はきよしさんの出演の収録の観覧ということで募集をしていたことがあったのですが、2004年4月のことです。「たけしの誰でもピカソ」の係の方から電話がありました。私は番組名を聞いただけでドキドキ! けれども係の方は開口一番申し訳なさそうに「実は氷川きよしさんの収録回ではないのですが、○月○日に収録がありまして、観覧いかがでしょうか」とのこと。がっかりしたものの、お話を聞いてみると、2004年5月に市川新之助さんが11代目市川海老蔵を襲名するということで、その記念番組ということでした。海老蔵さんの現代劇や歌舞伎を見ていて、役者さんとして素晴らしい方だと思っていましたし、いつも見ている番組の舞台裏を見るのは好きなので、砧スタジオに午前中なら都合もよかったので行くことにしました。放送された番組を見ても、後ろ姿が映るだけなので、年齢も何もないと思うのですが、かなり細かく年齢層ごとに人数を決めていて、私の年齢層が不足しているということできよしさんの応募者からピックアップされたとのことでした。「待っている時に、海老蔵さんのファンの方として撮影されて放映されても大丈夫ですか?」という確認もありました。たしかに後で見たらわかる人にはわかるかなという程度に映っていましたが。思っていたよりいろいろな部分で細かい配慮があることに驚きました。本来は海老蔵さんのファンはたくさんいらっしゃるので、募集されたら多数の応募があったことだと思いましたが、急に決まったのか時間がなかったのでしょうね。この日のゲストは海老蔵さんが兄と慕うという俳優の堤真一さんでした。私は、その少し前に堤さんに仕事で取材をしていたので、びっくり、そして何となくこそこそしてしまいました。その時の収録時間ははっきり覚えていないのですが、11時に集合して、13時30分終了の予定でしたので、1時間30分~2時間くらいの収録時間だったのではなかったかと思います。やはり1本の番組をとるのは大変なことですね。スタジオの外はバラバラのセットや大道具、小道具があって、その間をスタッフの誘導ですり抜けて出入りしました。まるで美術室のような印象でした。ちなみに1日に2本収録することになっているそうで、この後が、きよしさんの収録だったのだそうです。私たちが収録が終わって外に出ると、次の収録に参加される方が並んでいました。とても羨ましかったです。でもご縁というのは不思議なもので、その後、海老蔵さんが「出口のない海」という映画に主演された時にインタビューさせていただく機会がありました。私も海老蔵さんの番組収録に参加したことで親近感を抱くことができましたし、海老蔵さんご自身がとても気さくな方だったので、貴重な演技論も聞かせていただけて、ありがたく思いました。取材が終わったあとで担当の編集の方に「誰でもピカソ」の収録に参加したこと、またその経緯を話したら、とても驚いていました。きよしさんの回には参加できなかったけれども、きよしさんのおかげで思わぬ経験ができ、それがその後、とても役立ったこと、人はそれを”たまたま”、”偶然”と言うでしょうけれども、私はきよしさんからのご褒美と思ったのです。
でもそんなことがあったので、きっともうすぐきよしさんの回の収録にお声がかかるかしら? と期待したのですが、気がついたら(本当に今日、39回と聞いて気がついたのです)6年が経ってしまっていました。私の「誰でもピカソ」でのきよしさん出演回への観覧はいつかかなうのでしょうか?
放送予定はBSが3月15日(日)午後7時30分~8時58分 (再放送は3月20日(金)午後9時~10時28分)、そしてハイビジョン放送が 3月14日(土)午後2時~3時28分 とのことです。
そして今日、13日は「たけしの誰でもピカソ」にきよしさん出演されましたね。「浪曲一代」の限定版ジャケットの衣裳で登場し、「きよしのズンドコ節」を歌ってスタート。早乙女太一さんとダブルゲストでした。皆さんできよしさんの10周年を振り返るのですが、きよしさんの2001年7月に出演時の映像も流れました。その頃のきよしさんを見ますと、まったくカメラ目線になっていませんでした。慣れていない感じで、不安気でもあり、初々しいといますか。そんな作られていない素の感じが魅力のひとつでもあったかなあとしみじみ。もちろん今はカメラ目線も完璧で、見せる=魅せるということを意識されていますが、今現在も以前とは違った意味でちゃんと素のきよしさんが伝わってきているように感じます。表面的なものではない伝え方、見せ方を体得されたのだと思いました。「これまでに番組の中で歌った曲で難しかった曲は?」と聞かれたきよしさん、どの曲も難しかったけれども、もっとも難しかったのは「知床旅情」だとおっしゃっていました。マイクを持つ手の平は汗びっしょりになって、すべってマイクを落とさないかと心配したほどだそうです。その時の映像も流れましたが、そんな緊張を感じさせるどころか堂々として見えました。そう思うと、普段も本当にいつもいつも大舞台はもちろん、収録の時も常に緊張に身を晒していらっしゃるのでしょうか。そう思うと本当に厳しいお仕事ですね。
そして後半「浪曲一代」を歌いました。北野武さんに名前を決めていただく時には六本木のお店で食事をしながらだったそうですが、きよしさんは「食べた気がしなかった」とおっしゃっていました。デビュー前のことですし、それは相当に緊張されたと想像します。
さて、そんなご縁できよしさんはこれまでに、この番組に39回出演されているそうです。私はそれを聞いて、そうなんだ...とポツリ。39回のうち一度も観覧したことがなかったなあと。
でも、私、きよしさんの収録ではない時に、一度観覧に行ってみたことがあるのです。以前はきよしさんがゲストの時はきよしさんの出演の収録の観覧ということで募集をしていたことがあったのですが、2004年4月のことです。「たけしの誰でもピカソ」の係の方から電話がありました。私は番組名を聞いただけでドキドキ! けれども係の方は開口一番申し訳なさそうに「実は氷川きよしさんの収録回ではないのですが、○月○日に収録がありまして、観覧いかがでしょうか」とのこと。がっかりしたものの、お話を聞いてみると、2004年5月に市川新之助さんが11代目市川海老蔵を襲名するということで、その記念番組ということでした。海老蔵さんの現代劇や歌舞伎を見ていて、役者さんとして素晴らしい方だと思っていましたし、いつも見ている番組の舞台裏を見るのは好きなので、砧スタジオに午前中なら都合もよかったので行くことにしました。放送された番組を見ても、後ろ姿が映るだけなので、年齢も何もないと思うのですが、かなり細かく年齢層ごとに人数を決めていて、私の年齢層が不足しているということできよしさんの応募者からピックアップされたとのことでした。「待っている時に、海老蔵さんのファンの方として撮影されて放映されても大丈夫ですか?」という確認もありました。たしかに後で見たらわかる人にはわかるかなという程度に映っていましたが。思っていたよりいろいろな部分で細かい配慮があることに驚きました。本来は海老蔵さんのファンはたくさんいらっしゃるので、募集されたら多数の応募があったことだと思いましたが、急に決まったのか時間がなかったのでしょうね。この日のゲストは海老蔵さんが兄と慕うという俳優の堤真一さんでした。私は、その少し前に堤さんに仕事で取材をしていたので、びっくり、そして何となくこそこそしてしまいました。その時の収録時間ははっきり覚えていないのですが、11時に集合して、13時30分終了の予定でしたので、1時間30分~2時間くらいの収録時間だったのではなかったかと思います。やはり1本の番組をとるのは大変なことですね。スタジオの外はバラバラのセットや大道具、小道具があって、その間をスタッフの誘導ですり抜けて出入りしました。まるで美術室のような印象でした。ちなみに1日に2本収録することになっているそうで、この後が、きよしさんの収録だったのだそうです。私たちが収録が終わって外に出ると、次の収録に参加される方が並んでいました。とても羨ましかったです。でもご縁というのは不思議なもので、その後、海老蔵さんが「出口のない海」という映画に主演された時にインタビューさせていただく機会がありました。私も海老蔵さんの番組収録に参加したことで親近感を抱くことができましたし、海老蔵さんご自身がとても気さくな方だったので、貴重な演技論も聞かせていただけて、ありがたく思いました。取材が終わったあとで担当の編集の方に「誰でもピカソ」の収録に参加したこと、またその経緯を話したら、とても驚いていました。きよしさんの回には参加できなかったけれども、きよしさんのおかげで思わぬ経験ができ、それがその後、とても役立ったこと、人はそれを”たまたま”、”偶然”と言うでしょうけれども、私はきよしさんからのご褒美と思ったのです。
でもそんなことがあったので、きっともうすぐきよしさんの回の収録にお声がかかるかしら? と期待したのですが、気がついたら(本当に今日、39回と聞いて気がついたのです)6年が経ってしまっていました。私の「誰でもピカソ」でのきよしさん出演回への観覧はいつかかなうのでしょうか?