市川市文化会館、夜の部のコンサートへ行ってきました。2月2日・3日に中野サンプラザで開催されたコンサートと曲目、構成は変わりませんでしたが、2001年のファーストコンサートでオープニングに着用した上着の披露はデビュー記念日をお祝いするための2日間限りのスペシャル企画だったようで、今回から「ふれあいコーナー」が、きよしさんへの10周年のお祝いメッセージを紹介するという新企画になってスタートしました。入場時に配布されるアンケート用紙の切り取り部分にメッセージを書くようになっています。「♪きよしくんへデビュー10周年おめでとうメッセージを!♪」とタイトルがあり、「2/2きよしくんがデビュー10周年を迎えました!皆様からのおめでとうメッセージをきよしくんにお届けします。メッセージをお書き頂き、ロビーの専用ボックスへお入れください。コンサート中にご紹介させて頂きます!」とあります。
まず、「きよしこの夜Vol.8」で、西寄さんが応援団に扮して、きよしさんにエールを送る演出がありましたが、今回もその趣向を取り入れ、学ラン、高下駄に応援団メイクの西寄さんが登場し、「フレーフレー、きよし!」ときよしさんにエールを送ります。HKピュアリバーのリーダーである藤林さんが主将に任命され、西寄さんに続いて応援の音頭をとります。
今日の夜の部は2名の方のメッセージが読まれました。西寄さんが応援メッセージを読み上げ、その後あれこれ質問をしていき、最後にきよしさんにエールを送ります。読まれた方には10周年記念応援団?(はっきり聞きとれず)の認定カードがプレゼントされます。
私も今日は時間がなくてメッセージを書けなかったのですが。これからのコンサートで、ぜひチャレンジしたいと思います。
さて今日のきよしさん、こぶしがころころころころ、気持ちのよいくらいにまわっていました。ここのところの多忙な日々、いくらきよしさんでも疲れていないはずはないですよね、でも笑顔いっぱいでした。
そういえば以前、コンサートで私の書いた質問が読まれたことがあって、きよしさんに「こぶしはいつからまわるようになったのですか?」と質問したことがあります。きよしさんからは意外な答えがかえってきたのですが、このことは長くなってしまいますので、後日また詳しく書きますね。
そして西寄さんとのトークで、ツアー移動中のエピソードなど愉快な話題で盛り上がった後、きよしさんが西寄さんに「西寄さん、一生、僕の司会をして下さいますか」とおっしゃったのです。「僕は演歌に骨を埋める覚悟をしましたから」と。きっときよしさんの飾らない本音なのでしょう。聞いていて何だかじんときてしまいました。きよしさん西寄さんのことを心から信頼されているのでしょうね。
以前、コンサートの質問コーナーで、ボックスに入っている質問の用紙をひく時に、1枚目はきよしさんがひき、さてもう1枚という時に、きよしさんが「じゃあ今度は西寄さんがひいて下さい」と言ったら、会場の一部から「えーっ!」というブーイングの声があがったことがありました。その瞬間、きよしさんはとっても悲しそうな顔になって、明らかに傷ついてしまった様子でした。その後からでしょうか。コンサート中にきよしさん自身が西寄さんのことを意識して紹介するようになったのは。
私はそんなきよしさんを見て、何だか驚いてしまいました。きよしさんて正直で優しい人なんだなあと思いましたが、それにしても何も自分が傷つくことはないのにと、ちょっぴりおかしくなってしまいました。だって”氷川きよし”のコンサートなのですから、質問用紙をひくにしたって、皆がきよしさんにひいて欲しいと思うのが当たり前で、司会の西寄さんを嫌っているわけでもなんでもありませんよね。当の西寄さんだってそう思っているはずで、ある意味、そういう役割ということで傷ついたりしていないはずです。理屈で考えればそういうことなのだと思うのですが、きよしさんはすぐに相手の身になって考えてしまう方なのでしょうし、西寄ひがしさんのことを頼りにしていて、大好きなのだなあと思いました。
今日のきよしさんは、中野サンプラザでのコンサートの時より、リラックスされているように感じました。デビュー当時のキャンペーンで10人ほどいたお客さんが1人減り、2人減り、とうとう誰もいなくなってしまった時に味わった寂しさは、今でも忘れられないそうです(このことは以前、新宿コマ劇場でもお話され、その時は当時のことを思い出されたのかエンディングで「箱根八里の半次郎」を歌っているうちに突然泣いてしまいました)。
きよしさん、「僕、トラウマけっこうあるんです。でも昨年は泳げないというコンプレックスを克服できたので、これからもそうやって自分の中のトラウマをなくしていきたいです。僕、こう見えて、負けん気強いんですよ」とおっしゃいました。
そして「次の20周年に向けてまたがんばります。皆さん一緒に生きていきましょう。応援よろしくお願いします」と、結びました。
そしてアンコールで「きよしのズンドコ節」「箱根八里の半次郎」をエネルギッシュに歌い上げ、コンサートの幕は下りました。ラスト、舞台できよしさんがピョーンと跳躍! 嬉しさを全身で表してくださいました。
今日で私の「HK・SP週間」の幕も下りました。たくさんの感動をありがとうございました!
まず、「きよしこの夜Vol.8」で、西寄さんが応援団に扮して、きよしさんにエールを送る演出がありましたが、今回もその趣向を取り入れ、学ラン、高下駄に応援団メイクの西寄さんが登場し、「フレーフレー、きよし!」ときよしさんにエールを送ります。HKピュアリバーのリーダーである藤林さんが主将に任命され、西寄さんに続いて応援の音頭をとります。
今日の夜の部は2名の方のメッセージが読まれました。西寄さんが応援メッセージを読み上げ、その後あれこれ質問をしていき、最後にきよしさんにエールを送ります。読まれた方には10周年記念応援団?(はっきり聞きとれず)の認定カードがプレゼントされます。
私も今日は時間がなくてメッセージを書けなかったのですが。これからのコンサートで、ぜひチャレンジしたいと思います。
さて今日のきよしさん、こぶしがころころころころ、気持ちのよいくらいにまわっていました。ここのところの多忙な日々、いくらきよしさんでも疲れていないはずはないですよね、でも笑顔いっぱいでした。
そういえば以前、コンサートで私の書いた質問が読まれたことがあって、きよしさんに「こぶしはいつからまわるようになったのですか?」と質問したことがあります。きよしさんからは意外な答えがかえってきたのですが、このことは長くなってしまいますので、後日また詳しく書きますね。
そして西寄さんとのトークで、ツアー移動中のエピソードなど愉快な話題で盛り上がった後、きよしさんが西寄さんに「西寄さん、一生、僕の司会をして下さいますか」とおっしゃったのです。「僕は演歌に骨を埋める覚悟をしましたから」と。きっときよしさんの飾らない本音なのでしょう。聞いていて何だかじんときてしまいました。きよしさん西寄さんのことを心から信頼されているのでしょうね。
以前、コンサートの質問コーナーで、ボックスに入っている質問の用紙をひく時に、1枚目はきよしさんがひき、さてもう1枚という時に、きよしさんが「じゃあ今度は西寄さんがひいて下さい」と言ったら、会場の一部から「えーっ!」というブーイングの声があがったことがありました。その瞬間、きよしさんはとっても悲しそうな顔になって、明らかに傷ついてしまった様子でした。その後からでしょうか。コンサート中にきよしさん自身が西寄さんのことを意識して紹介するようになったのは。
私はそんなきよしさんを見て、何だか驚いてしまいました。きよしさんて正直で優しい人なんだなあと思いましたが、それにしても何も自分が傷つくことはないのにと、ちょっぴりおかしくなってしまいました。だって”氷川きよし”のコンサートなのですから、質問用紙をひくにしたって、皆がきよしさんにひいて欲しいと思うのが当たり前で、司会の西寄さんを嫌っているわけでもなんでもありませんよね。当の西寄さんだってそう思っているはずで、ある意味、そういう役割ということで傷ついたりしていないはずです。理屈で考えればそういうことなのだと思うのですが、きよしさんはすぐに相手の身になって考えてしまう方なのでしょうし、西寄ひがしさんのことを頼りにしていて、大好きなのだなあと思いました。
今日のきよしさんは、中野サンプラザでのコンサートの時より、リラックスされているように感じました。デビュー当時のキャンペーンで10人ほどいたお客さんが1人減り、2人減り、とうとう誰もいなくなってしまった時に味わった寂しさは、今でも忘れられないそうです(このことは以前、新宿コマ劇場でもお話され、その時は当時のことを思い出されたのかエンディングで「箱根八里の半次郎」を歌っているうちに突然泣いてしまいました)。
きよしさん、「僕、トラウマけっこうあるんです。でも昨年は泳げないというコンプレックスを克服できたので、これからもそうやって自分の中のトラウマをなくしていきたいです。僕、こう見えて、負けん気強いんですよ」とおっしゃいました。
そして「次の20周年に向けてまたがんばります。皆さん一緒に生きていきましょう。応援よろしくお願いします」と、結びました。
そしてアンコールで「きよしのズンドコ節」「箱根八里の半次郎」をエネルギッシュに歌い上げ、コンサートの幕は下りました。ラスト、舞台できよしさんがピョーンと跳躍! 嬉しさを全身で表してくださいました。
今日で私の「HK・SP週間」の幕も下りました。たくさんの感動をありがとうございました!