いつもコメントをありがとうございます。ブログを書き始めたころはおっかなびっくりで、記事にコメント受付をしていなかったことが信じられないほどに、今やコメントをいただくと本当に嬉しくて仕方ありません。ですので。記事の更新はあまりできない時でも、コメントは毎日チェックするようにして、なるべく2、3日中には返信させていただくようにしています。

さて、すでにお読みいただいた方もいらっしゃると思いますが、1月19日の記事「長良じゅん氏のこと」では、記事を読んで下さったton*ri*o*232さんが、これまで、丹念にお調べになられた情報をコメント欄にお寄せ下さいました。長良じゅん氏についてご興味のある方は、1月19日の記事「長良じゅん氏のこと」をお読みいただきましたら、引き続きその日のコメント欄を、できれば日付順に最初から(携帯ですと最初は最新のものから出てきてしまうと思いますが)読んでいっていただきますと、長良じゅん氏のお父様が東天晴さんだったということなど、長良じゅん氏について、より詳しくお知りになることができ、きよしさんのデビュー10周年記念曲「浪曲一代」の舞台背景がわかり、より理解が深まるのではないかと思います。

また、ton*ri*o*232さんからは、後日、水森英夫先生の歌手時代、歌手人生との決別、作曲修業などについても貴重な情報をいただきました。読んでいて、テレビやコンサート会場などでお見かけした水森先生のお顔は浮かんで、私などの想像の及ばない挫折の辛さや作曲修業のご苦労に涙がこぼれました。
水森先生のことは1月14日の記事「氷川きよしここにあり」のコメント欄に何回かに分けて情報を下さいましたので、そちらもご興味をお持ちの方にはお読みいただければと思います。
私自身、ton*ri*o*232さんには心から感謝しているのですが、同じようにコメント読まれてton*ri*o*232さんに直接お礼を申し上げたいと思われましたら、コメント欄にton*ri*o*232さん宛に、どうぞメッセージを遠慮なくお書き下さいね。

昨年、放送されたNHK大河ドラマの「篤姫」の中で、繰り返し「人にはそれぞれ役割がある」という台詞が要所要所で語られていましたが、本当にそのとおりだと思います。
もし水森先生が歌手活動を続けられていたら、“氷川きよし”はこの世に生まれなかったのでしょうから。もちろんきよしさんは才能のある方ですから、また違う道のりで歌手として世に出ていらっしゃったのではないかとは思いますが、でもそれは名前ひとつをとってみてみても、確実に“氷川きよし”ではなかったでしょうから。
そして長良じゅん氏についても、お父様が若くして他界されるようなことがなく、そのまま浪曲師の道を歩まれていたら、興行の世界に進むことはなかったかもしれません。そうしたら長良プロダクションもなかったんですよね。
もちろん私たちの人生もそうですよね。そんなにドラマティックでなく、当たり前に思いがちですが、実はそれぞれあの時、あの人にもし出逢っていなかったら(と、ここで、皆さん、まず、きよしさんを思い浮かべたことと思いますが)、ということがたくさんありますね。
きよしさんを通して、そんなふうに当たり前と思っている自分の多くの出逢いに感謝したいと思うのです。
このブログを読んで下さっている皆さんと私との出逢いも、まさしく氷川きよしさんとの出逢いがあってのことですものね。感謝、感謝です。
そういえば私のブロガー名の”マルル”はタヒチの言葉で「ありがとう!」なんですよ。