

夜の部は17時30分開場、18時から食事。ショーは19時30分スタートでした。会場は5階のオリオン。椿山荘でのディナーショーは昨年のクリスマス以来ですが、今年は夏にもサマーディナーショーがあったので、今回で3回目になりました。それ以前は2004年、2005年と新高輪プリンスホテルの飛天の間で行われました。新高輪プリンスホテルの時は夜の部1回のみでしたが、昨年、椿山荘になってからは昼、夜2回公演になりました。それでも予約の電話はなかなかつながらないのですから、本当にすごい人気です。
会場では1つの丸テーブルに10名ずつ座るのですが、私が見えた範囲でテーブル番号65というプレートがありましたので、650名、あるいはもしかしたらその後ろにもう1列テーブルがあるように見えましたので、もう少し多いのかもしれず(10名そろうとプレートをはずしてしまっているのではっきりしないのです)、会場には700名くらい観客がいたかもしれません。会場入り口に脇にテーブルの上にディナーショーのポスターとフラワーアレンジメントがセッティングされているので、その横での記念撮影。列に並んで順番に撮影していきました。
さて席に着くと、テーブルのお皿の上にはキャンドルの形にたたまれた赤いナプキンが置かれ、その横に
今日のメニューときよしさんからのクリスマスカードが置かれていました(簡単ですが画像載せておきますね)。食事開始とともに、テーブルの方たちと会話がはずみます。皆さん、筋金入り?のきよしさんファンばかりです。福岡、静岡、愛知からいらしたということでしたが、福岡の方は17日の「きよしこの夜Vol.8」にもいらして、一度福岡に戻り、今日また福岡からいらしたのだそうです。「きよしこの夜Vol.8」のこと、紅白歌合戦で「きよしのズンドコ節」を歌うことになったこと、「日本有線大賞」のこと、来年の観覧申込みのこと等々、話が尽きません。そんな楽しいひと時を過ごし、いよいよショーのスタートでした。
まず「キヨシこの夜~Angel of mine~」を歌いながら舞台上手から白いファーで縁取られた真っ赤なクリスマスローブで登場。きよしさん、この歌を歌う時に、よく手のひらを掲げるしぐさをされると思うのですが、キラキラキラキラ、煌めいているようで、私にはきよしさんの指先から光のシャワーが出ているようにさえ感じられるのです。それからクリスマスソングメドレー。「きよしこの夜」(HOLLY NIGHTのほうです)、「もろびとこぞりて」、「ホワイトクリスマス」等を英語で歌われました。ステージに置かれたソファに座りながら歌う演出も盛り込まれていました。
そしてローブを脱ぐと、白のフロックコートのスーツ。「哀愁の湖」を歌いました。
いつも私はメモをとらず(メモをとると仕事をしている時みたいでイヤなので)、印象に残ったことを中心に記憶を頼りにここでの記事は書いているのですが、今回はよほど感動していたのか(はたまたお酒を飲んで酔っていたせいなのか?)はっきりした順番がよく思い出せないのです。ですので曲順違っているかもしれませんがお許し下さいませ。
「キヨシこの夜~Angel of mine~」
☆クリスマスソングメドレー(「もろびとこぞりて」「ホワイトクリスマス」「きよしこの夜」など)
「哀愁の湖」
「上海エトランゼ」
「風来抄」
「涙の酒」
「夕焼けとんび」」
「おさらば故郷さん」
「きよしのソーラン節」
「きよしのズンドコ節」
「箱根八里の半次郎」
「白雲の城」
そして「一剣」です。
途中「きよしのドドンパ」のインストロメンタルの演奏がありました。
「きよしのソーラン節」では日本有線大賞でのパープルのスーツも披露してくれました。
「玄海船歌」は聞いていて心にじわじわーっとしみ入りました。表現力が歌うほどに深まっていますよね。”男なら、男なら”と歌うロングトーンの部分、感情がこもってくると独特の間合いになってきますよね。そこがなんだかまたステキで毎回ドキドキしてしまいます。
このステージが2008年最後のライブということで、きよしさん、合間に随分いろいろな話をして下さいました。思わず博多弁になるほど熱くなってしまった一幕もありましたが、私がその中で強く印象に残ったのは、今年1年、悲しい事件、悲惨な事件が世間を騒がせたけれども、そういうニュースを見るにつけ、自分の無力さを感じるのだそうです。「まだまだ自分の力が足りないんだ。もっともっと多くの方々に”演歌の心”を歌で伝えていかなければ。たとえばテレビで僕の歌を聞いてくれて、気持ちが変わってくれたら」というような思いを抱いているのだそうです。「演歌を歌うということはそういうことで、氷川きよしにはそういう使命があるのではないか」と。そして、それが「まだまだ力不足で伝えられていない」と。最近、「多くの方にお世話になって、その恩を誰にどう返していけばいいのか悩んでいる」と話されていましたが、きっとこういう方向に向かっていくことにされたんだなと感じました。その発想が本当に素晴らしいですね。私もきよしさんに教えていただくことこれまでにたくさんありましたが、今回も感心しました。
そして、この日、「きよしのズンドコ節」について「この曲は僕の”第二のデビュー曲”なんです」とおっしゃっていました。こんなふうにこの曲についてきよしさんがおっしゃっるのを私は初めて聞きました。大ヒットして、当時まだ氷川きよしの名前を知らないという人でも「ズンドコ節」は知っていて、曲が浸透している手ごたえを得ることができたということでした。そのようなことをひとしきり話した後、「もちろんまだまだですが」と少し謙遜されていましたが。
紅白歌合戦で歌うことになったので、また新たな気持ちで「きよしのズンドコ節」に向き合うことで、抱いた思いなのではないでしょうか。私は、きよしさんのそんな思いを直接聞くことができて、氷川きよしにとって「きよしのズンドコ節」は大切な宝物のような曲。その曲を10周年を目前にして歌うのですから、もう、期待しすぎてもしすぎることはないのだというくらい楽しみな気持ちになりました。
また今日はスタッフのためにカヌレを作って配られたのでそうです。かつてカヌレブームがあったと記憶していますが、それはちょうどきよしさんの修業時代のことだったそうで、どうしても食べてみたかったけれども、値段が300円。当時のきよしさんにとって300円は数日分の食費に該当したそうで、だいぶ迷ったけれども、ひとつ買って食べたのだそうです。そして大人になったら(プロになったらということだと思うのですが)好きなだけ食べるゾ!と思った思い出のお菓子なのだそうです。
また「一剣」で受賞したレコード大賞については、「正直、もういただいてもいいのかなと思った年もありました」と聞いているほうが”えっ!”と思うほどにストレートに本音をおっしゃったので、びっくりしました。「2006年は、”コンサート会場、全国どこにいっても”一剣でレコード大賞とってね”と書かれたボードをたくさんの人が持って励ましてくれたんです。もちろんボードを持っていらっしゃらない方たちも心でそう思って励ましてくれているのがひしひしと感じられて、縁もゆかりもない僕に、本当にありがたいと思った」とお話がとまらなくなってしまいました。(ちなみにこの”縁もゆかりもない”の言葉がさっと出てこなくて、”恩も恨みもない?”と言いかけて、えっ?そうは言わないですか、違いますか? 何て言うのですか? というやりとりがあり、その様子に場内に笑いがあふれました)
10周年を前にデビュー当時のことを自分の原点だとして、あれこれ話された時に、ファンの方たちに集まっていただいて、きよしさんがパスタを作ってふるまった時のことを話され、「小岩でそういうイベントをしたことがありました。懐かしいです」と楽しそうに話されました。そんなきよしさんがとても身近に感じられました。
ディナーショー、は普段のコンサートより時間は短いですが、その分(そこがきよしさんのすごいところ)1曲にかけるエネルギーが多くなっているように感じられ、本当に濃密な時間を過ごさせていただきました。「2009年がみなさまにとって良い年になりますように!」そんなきよしさんの言葉でショーは終演。そのままエントランスで多くの人たちが出待ちです。私たちもこの日は宿泊するので、時間の心配もないため並ぶことにしました。椿山荘と隣接するフォーシーズンズホテルはクリスマスイブで食事を楽しんだ方たちや忘年会の方たちがちょうど帰る時間と重なり、駐車場を出る車も渋滞気味でした。そんな渋滞も落ち着いた10時頃、きよしさんを乗せた車が出てきました。
後でテーブルが一緒だった方から、終演後に、この日、自宅で亡くなられていたことがわかった飯島愛さんと、きよしさんは仕事を通じて交流があったので、取材を受けていて少し遅くなったのだと教えていただきました。
出待ちの時は、マネージャーさんが、ゆっくり車を走らせてくれたので車が出庫して椿山荘の方たちに挨拶していいるところから、はっきり見ることができ、後部座席の沿道側にきよしさん、その隣に西寄さんが座っていました。きよしさんは沿道側に向き直って座り、手を振りながら、ひとりひとりに軽く目を合わせては一々頷きながら移動されたのでした。
並んでいる時は後ろが見えなかったのでよくわからなかったのですが、ものすごい人でした。そうしてホテルの方々はじめ皆に見送られて、きよしさん、椿山荘を後にしました。ファンもそれから帰宅する人、ホテルの部屋に戻る人と分かれていきました。素晴らしいディナーショーでした。
さて、私と友人のKさんはその後、忘年会です。素晴らしいショーと、今、間近で見たきよしさんの優しい笑顔に放心状態になりながら、お風呂に入って準備万端。きよしさんのDVDを見ながら2008年を振り返りました。そして深夜4時からラジオ日本の番組にきよしさんが出演すると教えていただいたので少し眠ってから4時に起き、放送を聞きました(録音のように思いましたが、「ディナーショーも終わりまして」なんて話されていました)。お部屋が14階だったので、窓際なら電波も拾いやすく、再び点灯している東京タワーを眺めながら二人で放送を聞きました。聞きながら、西新宿の高層ビル群、その手前にはたくさんの家々、マンション、高速道路の灯りが、宵闇の中、またたいているのを眺めていました。当たり前かもしれませんが、この灯りのひとつひとつに人の暮らしがあるんだなあとしみじみ思いました。そしてラジオから流れるきよしさんの歌声を聴きながら、このひとつひとつの灯りの下へ、氷川きよしの歌声がちゃんと届きますように。そしてそこで暮らす人たちの心に、優しさや思いやり、勇気、夢、そういった灯りが灯りますように。自然にそんな祈りの気持ちがわいてきました。
放送が終わって再び眠ろうとベッドに入ってから、ふとディケンズの「クリスマスキャロル」を思い出しました。人は一人では生きていけないものだということ、生きるということはどういうことなのかを私に教えてくれた私自身の原点になっている小説です。
その時、気付きました。そうか、私の心にも今日、きよしさんのおかげですでに灯が灯されていたのですね。本当に最高のクリスマスになりました。
一日遅れになりましたが、お読み下さった皆様にメリークリスマス! ありがとうございました。