11月11日、森のホール21のコンサート、夜の部に行ってきました。2008年の氷川きよしコンサートツアーもこの日で無事ファイナルでした。一夜明けて今、思い出すのは、コンサートのラスト、アンコール曲の最後『箱根八里の半次郎』を歌い終え、三方に会釈をしてから中央階段を昇っていく時に、何度も何度も右手で涙を拭っていたきよしさんの後ろ姿です。歌い終えるまでこらえて、こらえての大泣き、男泣きでした。
西寄さんがきよしさんとの最初のトークで「ツアーファイナル、皆さんで万歳しましょう」と提案し、皆で万歳三唱をし、スタッフへのねぎらいの言葉、楽団のHKピュアリバーの皆さんへの感謝の言葉。「でもいちばん素晴らしい音楽を奏でて下さったのは、何よりファンの皆さんです。ありがとうございます」ときよしさんからお礼の言葉。そんな愛と感謝にあふれたコンサートの始まりとなりました。
昨日は風邪がまだ治りきらなかったのでしょう。『玄海船歌』を歌う前に「申し訳ありませんが」とおわびをしてから水分補給をされたほどでしたし、声の調子はあまり良い方ではなかったと思います。でもそんなことはきよしさん本人が誰よりもわかっていらっしゃること。それらを吹き飛ばすように、歌詞を大切に大切に、そして魅せるシーンではオーバーアクション気味に全身でその思いを表現して下さいました。
『哀愁の湖』では歌い終わると、崩れるように膝を着き、放心状態の様子でした。場内が暑かったので汗だったのか涙だったのか本当のところは私にわかりませんでしたが、ほほをひとすじつたうものが。
これは私が思うところですが、和服に着替えて登場した『扇』の前から、実はもう泣いていたのではないかと思うのです(すでにトークの時に、西寄さんに”今、泣きそうになりましたね”というようなことを言われていましたし)。もしきよしさんが早めにスタンバイできていて司会の西寄ひがしさんの『扇』の前の感動的なトークを耳にしていたなら、涙せずにはいられなかったと思いましたし、何より、涙をこらえているのか表情がずっとこわばっているように見受けられました。やはり過去に、泣いてしまったら涙が止まらなくなり収拾がつかなくなってしまったことが何度もあるだけに、歌をきちっと歌うことを第一に、泣かないようにしているのではないでしょうか。
そして昨晩は、フィナーレの『一剣』まで見事に歌い終え、アンコールは『きよしのソーラン節』、『箱根八里の半次郎』の2曲でした。『きよしのソーラン節』では、1番の”表通りにいつか出る”の部分で”表通りに”と歌った後、突然、会場にマイクを向けました。2番でも”見えりゃ広がる”と歌い、”人生が”の部分で再びマイクを客席に。皆が一緒に歌ってくれていることへのきよしさん流の嬉しさの表れなんでしょうか。思わずとってしまったそんな何気ない行動にも人柄が感じられました。そういえば、たしか『玄海船歌』を歌った後でしょうか、何度も何度も両腕を組んで身体を左右に揺らし、皆を抱きしめるジェスチャーをして下さいました。とても幸せそうな様子で忘れられません。
西寄さんのお話では、今年のコンサートの観客動員数は20万人を超えたということでしたが、日本全国北から南。本当に多くの感動をありがとうございました。そしてお疲れ様でした。来年の10周年に向けて、2008年末、素晴らしいフィナーレを飾ることをお祈りしたいと思います。

そして、昨日のきよしさんのトークでは、きよしさんの亡くなられたおじい様のエピソードが印象に残りました。デビュー後の全国キャンペーンで福岡に行った時のこと、公民館で100人くらいの方が集まった、その真ん中にきよしさんのおじい様がいらっしゃったのだそうです。そして立ち上がって「私がきよしのじいちゃんです」とおっしゃったけれども、”入れ歯なので、よく聞き取れなくて(笑)”と、愉快そうに、嬉しそうにお話しされました。おじい様、きよしさんのデビューが本当に嬉しかったのでしょうね。そして、わが孫”氷川きよし”がとても誇らしかったのだと思います。きよしさん素晴らしいおじい様孝行をされたんですね。そして、よく蜂蜜で煮た金柑を作ってはきよしさんに下さるけれども、あまり好きな味ではなかったそうです。でもおじい様が亡くなられてから、おじい様を懐かしんで、自分で実際に作ってみたら、自分のためを思って作ってくれていたおじい様の思いや、その味の懐かしさに涙がとまらなくなってしまったのだそうです。
そういえば、以前、コンサートで「今でも時々、じいちゃんの家に電話をかけるんです。もちろん、もうじいちゃんはいませんし、電話も”現在使われていません”とテープが流れるんですけどね、でも、もしかしたらって思って」と、そこまで話して、後は言葉にならず、号泣してしまったことが思い出されました。きよしさんに、おじい様は本当に大切な宝物を下さったのですね。