こんばんは。
たとえば、テーブルの上が散らかってて
テーブルの上はきれいになってる方が気持ちいいってわかってるのに
そうした方が探し物も少なくなって時短になっていいって頭ではわかってるのに
捨てればいいってわかってるのに
でも捨てられない、っていうこと、ありませんか?
で、
「捨てるって何だろう」
「『捨』っていう字って、何でこう書くんだろう」
と思って、「捨」っていう字の語源を調べてみたんですね。
そうしたらいろいろ面白いことがわかったので、
シェアしますね。
(これから書くことは、何か科学的な根拠があってとか
片づけのことをすごく学んでとかいうことではありません。
なので、片づけ等について
「何か正しいことを言っている」とか
今ある様々な片づけ法についてどうこう、とかいうものではありませんので、
何卒ご理解いただけましたらありがたいです)
「捨」という字は、
「扌」(てへん)と「舎」の字からできていますね。
「扌」は、象形文字(しょうけいもじ)で
「5本指のある手」を表しています。
で、「舎」は
「宿舎」とか「学び舎(まなびや)」とかの感じから
「家」っていうイメージですね。
なので、語源を調べる前は
「家の中のものに、手を入れて、すてていくイメージ」
っていうふうな、そのまんまのイメージを持っていました。
で、調べたところ、
「舎」の字は象形文字で
「口」より上の部分が
「先の鋭い除草具」を表すそうです。
その「先の鋭い除草具」というのは
「自由に伸びる」を意味するそう。
で、「口」は「ある場所を示す文字」だそう。
その2つが合わさった「舎」という字は
「自由に伸びる場所」
ということ。
つまり、
「心身をのびやかにできる場所」
という意味になります。
それに
「扌」(てへん)がついたのが
「捨」という字。
それは
「手を使って、
その場所を心身のびやかにできるところにする行為が
『捨』ということなのだ」
ということを意味してるのかなあ、と思いました。
「捨」という字の持つメッセージというか。
で、これだけにとどまりません。
「捨」を音読みすると「シャ」になりますね。
これは「射(シャ)」に通じます。
「通じる」っていうのは
「同じ意味を持つ」という意味ですが
何が同じ意味かというと
「はなつ」ということ。
「ミサイルを発射」とか
「お祭りのライフルの射的」とか
「射」って、「はなつ(放つ)」ってイメージ、ありますよね。
「射」と「捨」は、その
「放つ」の意味で同じ、ということですが
どういうことだと思いますか?
そう、「手放す」の「放つ」ですね。
※
「てばなす」には「手離す」もありますが
そこを考えるとまた長くなる気がするので、
今回は見送らせて頂きますね。
で、話を戻して
「捨」は、手からはなすことを意味して
そこから「すてる」という意味を持つ「捨」という字になった、
ということでした。
で、調べて出て来たのはここまでなんですが
「射」は「謝」にも通じると思ったんですね。
「感謝」の「謝」
「謝る」の「謝」ですね。
「射」の字が入ってますよね。
「感謝の謝の、どこが放つなの?」
って思ったかもしれません。
「ありがとう」っていう気持ちを
相手に放つ。
「ごめんなさい」っていう気持ちを
相手に放つ。
「放す」っていうより
「放つ」っていうイメージ。
ビームみたいな感じ。
ありがとうビーム
ごめんなさいビーム
ビームっていうと
ちょっと強すぎる感じかもしれませんが
何かそういう「放つ」っていうほうが
気持ちが伝わる感じ、しませんか?
「謝」って、本来、そういうイメージというか
性質を持ってる字なんじゃないかな、
と思ったんですね。
・・・と、ちょっと話がそれちゃいましたけど
「捨」(シャ)が「謝」に通じるところから
「捨」には、ありがとう、ごめんなさいの意味も
あるんじゃないかな、と思ったんですね。
なので、
その気持ちをこめて行うと
より、効果を発揮するというか。
「うちに来てくれて、いい思いさせてくれて、
今までいてくれてありがとう」
「あんまり使う場面がなくって、ごめんなさい。
でも、うちに来てくれて、ありがとう」
捨てる時に
こんな気持ちを「はなって」捨てる。
「捨てる」自体も
「ふわあ~っと手放す」というより
「解き放つように、どこかに発射するように、放つ」
こういうふうなイメージで捨てるのが
「捨」という字から連想される
適切な捨て方なのかなあ、なんて思った次第でした。
もちろん、
「なんでもかんでもそう思って捨てる」
っていうことじゃなくて。
それだとちょっと、
大変になっちゃうと思うので。
「うわ、これキッツイなあ」
みたいなものを捨てるという時、
こういう心持ちというか思いで臨むと、
捨てやすくなるのかなあ、という。
そんなことを、思いました。
・・・と、ここまで書いてきましたが、まとめますと
「捨」は
・心身のびやかにできる場所にする行い(おこない)だ、と思って、する。
・「ありがとう」「ごめんなさい」の気持ちをたずさえて、する。
・「はなつ」イメージで、する。
これが「捨」という字の持っている
メッセージなのかなあ、と思った次第でした。
最後になりましたが
冒頭のテーブルのお話の
「頭でがわかってるのに・・・」は
「心の中のどこかで
テーブルの上がゴチャゴチャな方がいいと思ってる自分が
いるんじゃないか?」
と、さぐってみてはいかがでしょう。
たとえば、
子どもの頃のおうちがけっこうゴチャゴチャしていて
でも、何か幸せだったよな、という記憶が
無意識のうちにあったりとか
ゴチャゴチャにしておいたら
親やきょうだいが片づけてくれて
自分はラクできた
だから、ゴチャゴチャしてるほうが(自分は何もしない方が)
ラクできて、いいんだ
っていう思いが、どこかにあったりとか。
何かそういう
「その形が、いいんだ」と思ってる自分がいないかな、って
さぐってみてはいかがでしょうか。
「ありがとう」と
「ごめんなさい」で
のびやかに
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
あなたのますますのお幸せを、応援しています!
参考にさせて頂いたサイト(ありがとうございました)
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