こんばんは。
たとえば、何か勉強していたり
追い求めるものがある時って
やりがいとか、喜びもあると思うんですけど
思うように進まない時とか
「なんで自分ってこうなんだろう」って思う時とか
何もしてない時より、よけいに、何かこう、モヤモヤするものが
出てくることがあるんじゃないかと思うんです。
極端に言うと、学んでいるが故に出てくる、
モヤモヤというか。
もちろん、学ぶことがよくないわけじゃなくて。
でもそういう時ってあるんじゃないかと思いますので
どうしたらいいか、考えてみましょう。
いろいろ、解消法というか、クリアの仕方ってあると思うんですが
いいかなあ、と思ったのが
「1日、感謝する目で見る(すごす)」という方法です。
なぜかというと
目指したいものがある時って、どうしても
その目指したいものと自分との
「差」に意識がいくと思うんです。
それをしっかり見定めるのが達成の重要なポイントだと思うので
それは大切で、重要なことだと思うんですが
そうすると、どうしても
「たりない、たりない」っていう意識に
なりがちじゃないかなと思うんです。
たりない=不足、なので
そこから、不満・不平、や、ともすると
怒り、みたいなことにも
つながりやすくなっていくんじゃないかと思うんですね。
もちろん、頭では
「今までの自分よりできるようになったんだから」
っていう意識も働くと思うんですが
「目指すものがある」っていう前提では
どうしても「差」に意識がいく、というのも
ある意味ワンセットみたいな感じなんじゃないかなと
思うんです。
(目標との差が見定められなかったら、極端に言うと
達成もおぼつかなくなると思うので)
そういう時だからこそ
感謝の目、つまり、
与えられてるところや足りているところはどこかな、
そういうところはないかな、という目で
過ごしてみる。
あ、目が見えてるな。
手が動くな
指が使えるな
口が動くな(しゃべれるな)
耳もきこえるな
歩けるな
起き上がれたな
・・・
「そんなのあたりまえじゃん!」ってことばかりかと思います。
でも、それがもしなかったとしたら(できなかったとしたら)
どうでしょうか?
朝起きたら、急に目が見えなくなってたとか、耳が聞こえなくなってたとか。
別におどかすつもりじゃなくて
あたりまえみたいなことが
本当にあたりまえなのかということ。
もちろん
「ありがたいと思わなきゃいけない」
っていうことじゃなくて。
何かそういう
「感謝できることはないかな」
って目でいることで
足りてる、とか、与えられてる、ってことに
より気づけるようになって
不足とか、不満とかいうことから
距離をとれるようになるんじゃないかなと
思うんですね。
それによって、たとえば、
その「学べてる」っていうことに対して
ありがたみが、より湧いてきたりとか。
学んでいられる時間があること
そのためのお金
学ぶ元を創って下さった方(創始者・家元の方、等々)
学ぶことへのご家族の理解
などなど
それによって、
より、学びのパフォーマンスも上がってきたりということも
あるんじゃないかな、と。
繰り返しますが
「感謝しなきゃ」ってことでは決してなくて
あくまで自分のペースというか感覚の中で
「感謝できることはないかな」
っていう目で見ていくことが
大切かなと思います。
(感謝って、人から言われてとか
そういうことではないと思うので。
そうすると、この記事自体
何なんだってことになるわけですが
あくまでも、ご提案ですので^^)
もし、何かの参考になりましたら
ありがたいです。
学んでる時こそ、感謝のメガネをかけて
すごしてみよう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
あなたのますますのお幸せを、応援しています!
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