また新年が明けました。

母と死別して以来、私的にはおめでたいと思ったことのない年の初めですが、今年は特に日本各地で災害が多発しており、その気持ちにも拍車がかかります。

私のユニークな母はこういう人を観音様というのではないか?と思うほどに、柔和で口数が少なく、そして人を怒ったり悪く言ったりすることの無い非常に寛容で穏やかな人でした。

そして、自分のことよりも他人のことを優先して行動する…そんな人でした。

まあ、口数が少なかったから余計なことを私が見聞きしなかっただけなのかも知れませんが、人格高潔な人というのはこういう人を指すのではないか…という感じの人でした。

ちなみに、観音様をスマホで検索してみると「苦しみの声を聞いて救う存在…」とありました。

確かに私は、話を聞いてくれる母の存在に本当に救われていました。

私の父はと言うとそれは内弁慶で、外面はとても低姿勢だったのですが、家の中では怒鳴っていたかほとんど黙っていたか…という記憶しか無い程…

なので私の両親は決して内実仲良し夫婦だったわけではなく、そのぎくしゃくした緊張感の中で成長せざるを得なかった私は、幼少以降父が帰宅してくると心が疲れていました。

とは言え、母が観音様のような人だったので外面上は問題の無いように見える家庭に育ちました。

ただその観音様も私が幼稚園児以降、風邪を引いたくらいでは決して幼稚園や小中学校を休ませてくれなかった…

なので、台風が襲来して急遽学校が休校にでもなった時は、とてもラッキーな気分でした。

「学校を休める!…と。」

そんな身近な観音様とも弁慶様とも、もう実家にもこの世のどこに行っても会えない…

年が明けることが私にとって全くめでたく無くなってしまったのは、ただただ身近な観音様のような母と会って話が出来なくなってしまったからです。

そんなことを考えてもどうしようもないのに、4年以上経った今でも引きずっています。

お母さん。
今年も年が明けて年号も数字が一つ増えて…
それ以外何の代り映えもなく、新年を迎えたよ。

本当は無事生きていられるだけで、心から感謝しないといけないはずなんだけどね…

やっぱりまだまだ寂しいよ。
あなたの元気なうちに、身近で親しめる観音様といろんな話をもっと沢山したかったと心から強く思うよ。
あなたを守る使命を感じて生きてきたはずのこの人生、今も迷路を彷徨い続けています。

ところで、あなたは今どんな世界で暮らしているの?
ひろちゃんお母さん…