空気のように大切な存在だった母を失ってから4年5か月が経ちました。

私のユニークな母は結構お洒落にも気を遣う人で、身だしなみにも気を付けていたという印象です。

私は定期的に週2、3回、借家から自転車で10分程の無人の我が家に戻りますが、今でも母の宛名でいくつかの郵便物が届いています。

本来は受け取り拒否で返送してしまえばいいのでしょうが、母の氏名が刷られている郵便物を見かけるとほんの少しですが心が癒されます。

たしかにあの優しい私の母は、ここに暮らしていたんだ…と。

そのいくつかの郵便物の中でもお洒落な人だった母あてらしいDMハガキが毎年届きます…


晩年の母は、自身の髪の量が少なくなったと心配していました。

私は特に気にならなかったものの、一日十分以上は鏡の前に座っている母としては少しの薄毛でも気になっていたのでしょう。

いつの日からか…私から見るといつの間にか、母は女性用ウイッグの取扱店に高齢になってから自ら通い始めていたようです。

ただ、そのことが分かったのは母が弱りだして一人でその取扱店に出向くことができなくなり、私を頼りに母の軽自動車を私が運転してそのお店に向かった事からでした。

肺炎の病みあがりで車の運転を禁止してしまった代わりに、私が運転して体の弱った母でも歩けるようにとそのお店の徒歩1分圏内に車を停車して母をおろした私。

ところが、その下車したところからどう行けばそのお店にたどり着けるのか分からないらしく、ただその場に立ち尽くす母の姿が!

その母の動向を動き出した車のミラーで確認するものの、そこは車と人の流れの多い繁華街の一角の道路上。

車を放置して母をお店に連れていくこともできず、慌てて近隣のコインパーキングに車を停めて急いで母をおろした地点に走っていく私でしたが、そこに着くと母の姿は無く…

結果的に母はその取扱店にたどり着いてくれていました。
もう忘れましたが、多分歩行者に行き先を聞いてくれたのでしょう。

既に店内に居てスタッフの対応を受けている母の姿を確認した時、私がどれだけ安心したことか…
待合コーナーでとてもリラックスして母を待っていた幸せな私のひととき。

ちなみにそんな風に母を街中にある女性用ウイッグ専門店に、私の運転で連れていってあげたのは後にも先にもその一回きりでした。

母をおろした後かなり慌てた分だけ、その時の感情の起伏も含めてその時の事はよく覚えています…


その母宛の女性用ウイッグDMハガキが実家に届く度に、晩年の母と一緒に過ごせた幸せだったあの頃を思い出します。


お母さん。
あなたが子育て世代の若いお母さんだった頃と、歳を重ねた中年から晩年にかけての事は特によく覚えています。
あなたはよく鏡台に向かって熱心にお化粧していたよね。私もこどもの頃はその鏡台の引き出しにあるもので勝手に遊んでいたことも思い出しました。

近年は白髪も増えていたけど、若々しくあって欲しい私の願いにも応えてきちんと黒髪に染めてくれていた事、とても感謝してるよ。

天国でもお洒落で若々しくいられたらいいね。
ひろちゃんお母さん。