今年も台風が襲来する秋になりました。

母の実家はとても古い屋敷でかなり前から空き家でしたが、屋根瓦が朽ちてだいぶ傷んでいたことから母が自らその屋敷を業者委託で取り壊してくれました。

古い屋敷の隣には古い土蔵が併設されていましたがこちらは私が残そうと強く提案し、物置として使いたかった母の思いとも合致したためにそのまま残りました。

その古い屋敷と土蔵のある実家に、ユニークな母はほぼ毎日自宅から車で一時間以上もかかる長い道のりを、愛犬を乗せては中古の軽自動車で帰っていました。

実家の物件管理と解体準備、そして解体後の跡地の維持管理のために、あしかけ10年間。

今でもその残った土蔵の中には母が草取りに使っていたゴム手袋、首まで隠れるつばひろの日除け帽、ゴム長靴、ハンガーに架かった長袖シャツ等が使ってくれる主人…母を待っているかのようにそのまま残っています。
菜園にするつもりで真砂土を入れた母の実家跡地は、生前の母が根気よく草を抜いてくれていたお陰で、公園の運動広場のようにきれいに整地されていました。

しかし、私が年に数回維持管理に戻るだけになってからは年中草ぼうぼうで、草刈り機で適当に刈るだけなので雑草が絶えずはびこるようになり私は途方にくれていました。

ところで先月、母の実家跡地に唯一建つ土蔵の雨どいが途中から外れていたことを目視で確認はしていたのですが、能天気で怠け者の私は当分大丈夫だろう…と鷹をくくってそのまま放置していましたが…

その土蔵が先月の台風14号の大雨の浸水で、漆喰壁が剥がれ落ち土壁も崩れて、蔵の中も見えるような畳一枚分程の大きな穴が空いてしまい、その連絡を受けて土蔵の被害を見た私はその予期せぬ惨状に呆然自失してしまいました。

母の容態急変のときと全く同じで、何年経っても私は進歩しません。

土蔵の被害を知った私は土蔵も修繕する業者さんに早々に連絡して防水シートをかけてもらい応急処置はしましたが、何しろ普段から使っていない古くて、しかも川の氾濫で床上に水害を受けた経歴もある傷みの激しい蔵。

私は取り壊す気など毛頭なかったものの、それを見た業者さんのご意見では解体が妥当と…

それからの私は、この大切な母の土蔵を放ったらかしにしてきたことに対するお詫びを込めて、休日の度にその雑草だらけの屋敷跡に出向いては母のゴム手袋をはめて無心で草を抜きまくっていました。

まるで、母の魂が私に乗り移ったかのように。


今の私は母の遺品が残る母の骨壺収納箱の置いてある、母の思いの詰まったこの古い蔵をこのまま残したい一心です。

お母さん。
また至らない私がしでかしてしまいました。
樋が外れているのをこの目で確認していたのにまさかこんな事になるとは…

あの日あなたが育った古い屋敷の解体の時、普段全く泣かないあなたが私の隣で泣きじゃくっていた事、今でも覚えています。
せめて私がこの世にいる間だけでも、お母さんの土蔵と共に生きていきたい。

ごめんなさい…ひろちゃんお母さん。