私のユニークな母は中学を卒業した後、洋裁専門学校に通っていたと聞いています。

当時はまだ、足踏み式の手動ミシンで生地を縫っていた時代ですが、私が子供の頃は確かに母はよく家でミシンを操作していた記憶があります。

時はまだ、昭和後期の高度経済成長がようやく落ち着いてきた頃でしたが、今から考えれば本当に素朴な時代だったように思います。

それにしても、今更ながら母は一体何を縫っていたのかな?と思いますが…

着道楽な母でしたから自分の洋服は勿論縫っていたでしょうが、子ども達のために可愛いアップリケを縫い付けてくれていたようにも思います。

・・・そんな裁縫好きな母のことを何となく覚えていた私は、近年まで何か裁縫の用事があれば迷うことなく気軽に母にお願いしていました。

一番多かったのはスラックスの裾直しでしたが、Yシャツのポケットのほころびや外れかかったボタンもよく付け直してもらってました。

そして、車のシート破れの修繕なども遠慮なくお願いできていたこと…今では本当に幸せな息子ならではの思い出となっています。

他にも私の通勤カバンの持ち手のほころびを母から直そうか?…と言ってくれたり、今思えば母親ならではの目配りに感謝することばかりです。

・・・そして数日前、当分使っていなかった下の方に潜っていた古い下着を数年ぶりに見つけて手にしてみると…

これも私は母にお願いした覚えは無いのですが、経年使用により洗濯で破れてしまったと思われるお尻の破れの部分に大きい当て布を縫い付けてあるものを見つけました。

それは勿論、母がいつの間にか黙って修繕してくれていた裁縫跡でした。
私はその修繕された下着を長くは見ていられませんでした。
何かが込み上げてきそうでしたので…

お母さん。
あなたの若かりし時代、女性の大きな楽しみの一つが洋服作りとその着こなしだったと思うけれど、あなたは得意の裁縫でお洒落を十分に楽しめましたか?

そして、私が社会に出てからもことあるごとに裁縫仕事をお願いしていたけれど本当にとても感謝していました。
私は無精者のめんどくさがり屋なので、働き者で私からの頼まれ事に全く嫌な顔をしない優しいお母さんは内心本当に私の自慢の母でした。

今ではもう、あなたの姿形や声を見聞きすることはできないけれど、私の感謝の気持ちはこれからもあなたの魂に伝わっていて欲しい…
ひろちゃんお母さん。