今年の寒さも本番になってきました。

思いがけず唯一無二の母を失ってから642日が経過しましたが、一昨年の今頃は…と考えると母はまだ生きてこの世に居てくれたことをしみじみ感じます。

その頃はまだ近未来がこんなことになっているとは夢にも思わず、私はどうしたら体の弱った母を以前のような自立した自宅生活に戻してあげられるのだろうか…
そんなことばかり考えていました。

入院先で転倒して頭を強打し、要介護度4の重度障害状態になっていても。

介護老人保険施設に入所していた母はそのような状態でしたが、私は何としてでも元の元気な母親に戻って欲しいと強く願っていました。

そんな2年前…平成30年12月のある日、施設イベントとして中国の楽器二胡のミニコンサートが母の入所していた施設の隣の建物で催されました。

施設では一年中定期的に、入所者が喜ぶようないろんな行事を企画していましたが、たまたま私の友人が所属する二胡楽団が母の入所していた施設の隣の系列施設で演奏することになりました。

そのことを知った私はその時間に合わせて施設に外出届を提出し、母の座る車椅子を手押しして建物を出てそのコンサート会場のある施設隣の建物に母と一緒に向かいました。

12月の午後の昼下がりでしたがその日は天気もよく暖かくて風もなく、二人で外に出て会場を行き来をした時は本当に気持ち良かったことをよく覚えています。

二胡演奏会は母にとっては始めてであろうと思われました。
演奏される曲の歌詞を書いたプリントが配られ、異国情緒漂う二胡の音色を母と一緒に私も鑑賞しました。

母は特段感動したとも良かったとも言わず、訳もわからずにただ二胡の演奏を聞き流していたようでした。

演奏が終わった後友人に母の紹介をして軽く会話を交わし、その会場を後にして母と一緒に母の入所施設に戻る時も外は暖かくて陽射しもあり本当に気持ちが良かった…

それが私がその施設で母と一緒に鑑賞した最初で最後の唯一のイベント、二胡ミニコンサートの思い出でした。

お母さん。
こうしてあの頃を思い出しながら記憶を綴っていると、今のこの惨状が本当に信じられないよ。

肺を患い極度に痩せていたとは言え、医者から余命宣告をされていた訳でもなく…

寒がりなお母さんの病弱な体のことをもっともっと真剣に考えてあげていればまだまだこの世で一緒に暮らしていられたのかと思うと…やっぱりたまらなく寂しくなるよ。

あんなに一生懸命この世で真面目に生きていてくれたのに傍で守ってあげられなくて今でもやっぱり後悔の日々です。
本当にごめんなさい…ひろちゃんお母さん。