昨日から立春に入りました。
いよいよ今年の寒さも折り返し点を過ぎましたが、まだまだ寒い季節は続くのでしょう。
テーマが尽きないと思って毎月綴ってきた母を弔うためのこのブログですが、今回実を言うと母との思い出があまり思い浮かびませんでした。
…が、今回この文章を綴っているのは、まだまだ母が普通に自宅で生活していた頃に私が毎晩通っていたコーヒーショップ。
あの頃がよみがえりました・・・
仕事帰りにそのコーヒーショップに寄って、のんびりとスマホをいじったり、本を読んだりするのがその頃の私の毎夜の日課でした。
そして、店を出た夜9時頃には、毎夜の日課として実家に住む母に必ず電話をいれていました。
その電話の際の私の第一声はいつも…
「なんかある?」
でした。
すると母はだいたい、
「ないよ」
その電話の目的は毎日車で外出していた母の無事の確認と、母の声を聞ける安心感と、そしてそんな些細な事でも親孝行している…と思いたい私の思い込みからでした。
また、私のスマホが当時「だれとでも定額」の契約であり、そのメリットを生かせるという思惑もありました。
週に一、二回程度しか実家に立ち寄らず、一人暮らしの母を思い案じてのこの毎夜の電話…
しかし、重度の肺病から自宅に復帰した後からは、私の電話にも出られなくなるほどに母の体は徐々に弱っていきました。
その頃の私は既に、言葉には言い表せない不安が…
そして、その数か月後には入退院を繰り返すようになり、遂には施設に入所しなければならなくなるほどに母の体は衰えていたのでした。
母が他界した直後も、このコーヒーショップに通った時期があります。
あの頃、コーヒーショップを出た後…例えるならば、太陽の全く昇らなくなった極寒極地をさ迷う、魂の抜けた私という生き物が華やかな街を歩いていました。
それでも、どうにかすれば母を守ってあげられたのではなかったのかという後悔の念も未だにあります。
ただ、車を運転している高齢になった母の安全運転を願う事だけで精一杯だった私が、重い肺病に罹ってしまっていた母の病状にはほとんど気づけていませんでした…

今晩は久しぶりに、あなたに毎夜電話する前によく通ったコーヒーショップで、あの頃の事を思い出しているよ。
あれからもうかなりの時が経ったような気もするけれど、まだ10年ほど前の事。
電話に出てくれて私の話を聴いてくれるだけで、生きる勇気が湧いていたあの頃が本当に懐かしくまた、私の人生の現状を思うと本当に寂しく思うよ。
今はただ、生き物の性として無気力に生きているだけです。
生きるって本当に大変なんだね…
ひろちゃんお母さん。