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最近、趣味のマンガとか描いて遊んでますw
真剣に遊んでますwww
いやぁ、この心境に戻れるなんて、本当に一年前からすれば
ウソのような幸せです。 大学生の頃に戻ったみたい。
デザイン事務所やめてから、本当に絵が描けなくなっていきました。
デザイン事務所をちょうどやめるころでしたか、オリジナル創作同人誌即売会の
「コミティア」に大学の友人たちと合同誌を出しました。
そのとき8ページ足らずのお話を書いて以来、まともに描いていることがなかったです。
とはいえ、この短編も幸せな創作だったかというとそうではなく…
終わったときの疲労感ったらなかったです。
何を描きたいのか、自分の気持ちがわからないままとにかく描いて、
シチュエーションの寄せ集めのようなものが出来上がりました。
それが自分でもわかっていたので、より辛かった。
思えばあの頃は、数々の実力あるアマチュアが持つ、見栄えや雰囲気を
写そうと必死でした。 何かを見れば「ああいうのを描きたい」と思い
頭の中で何か想像するたび、その作家の絵柄で再生されてしまう。
他人の影響を受けやすく、自分を信じることができず。
そういう時間が数年も続きました。
今の会社に入っても同じことでした。 周囲になんのモデルも見出せず、
かといって自分の柱となるものが何もなく。とにかく自信がありませんでした。
この1、2年で、自分が、ただジッする時間を過ごすこと、大事にする
べきことを学んで、少しずつ自分の時間が戻ってきました。
今までは、一人でも悪い意味で一人ではなく、他人の言葉が頭に鳴り響いて
いるような状態だったと思います。 それが自分の手を止めていました。
絵も、描けば楽しいんですけど、動かすことで過去の楽しかった記憶を手が
反芻するだけのような感じで、いま、描いている内容への集中力もなければ、
愛情もなかったと思います。
いま、批判も恐れず、描きたい内容があって描ける喜びに浸っています。
自分を、自分で自由にしてあげられることがこんなに嬉しいとは。
こんなに幸せだとは。
やっと、自分を解放できる準備が整いました。
いずれ、紙の上だけでなく、人の前でも心を解放して、自分のままで
いられるようになるでしょう。
もう少し素直に、皮肉や批判でなく、理想と愛で自分や他人を語れる
ようになると思います。
マンガを描いていて思ったのですが。
自分のための仕事を手放さずにいるのは、とても大事だと思いました。
仕事というと重いですが、趣味とか、楽しみとか、やめられないものです。
これは他人にやらされたり、他人がいないとできないものではなく、
大体一人で出来るものです。
それが歌の人もいるでしょうし、料理の人もいるでしょう。
あるいは踊ることかもしれません。
大抵はお金につながらないから、これを皆趣味と読んでいるわけですが、
本当は、これこそ自分のための仕事であり、魂への奉仕なのだと思います。
私はマンガを描いていて思いました。 コレは自分のための仕事だと。
他人や社会のためにまわす仕事がある一方で、自分を喜ばせ、深い満足を
与える仕事があるのです。
これを手放してはいけません。 むしろこれが続けられないなら、
何かが自分の中で既に死に掛けているのです。
時間があっても、環境が許してもできない場合は、そうなのだと思います。
この2,3年色々試してきました。
このブログにも色々書いてきました。
モーニングページ、ゆる体操、自力整体、部屋の片付け(断捨離)、
瞑想、菜食、わびさび、きもの、ハンググライダー…まあ、色々やりました。
やっと、自分に戻ることができつつあります。
以前は、自分の小ささに自分を捨ててしまいそうになりましたが、いまは
その小ささに広がりを感じています。
内側から自分を見ると、空の高さを感じるものです。
自分を外側から見て、何かと比較したり、誰かの視点をかりて自分を見るのも
ときには大切ですが、それだけでは、自分を見失います。
自分の内側が見えていないからです。
人間は内面性があります。 魂と心があって人間になります。
精神と虚栄で外面だけ整えて見せても、それは所詮、人間ではないのです。
「他人にとって人間に見えればいい」ならそれでかまいませんが、それでは
いつまでも自分が自分を人間だと信じることはできないでしょう。
ここまで書いてきて思いましたが、私は自分を人間味のある存在として
感じてこれなかったのでしょうね。 あまりに他人のまなざしの中で
生きてきたし、それに耐えるほどの自分を育ててこなかったことも
原因です。
これからは、自分のための仕事を増やしていきたいと思います。
そして、私を通して、私の中の善なるものが、社会へつながる仕事をして
いけるように、いつまでも自分を育てていきたいと思います。
そうしたら、今度はどんな自分に会えるでしょうか。
もっと、違う自分になっているのかもしれません。
とりあえず、今は小さい自分を幸せにしてあげましょう。
今日、ここから。
真剣に遊んでますwww
いやぁ、この心境に戻れるなんて、本当に一年前からすれば
ウソのような幸せです。 大学生の頃に戻ったみたい。
デザイン事務所やめてから、本当に絵が描けなくなっていきました。
デザイン事務所をちょうどやめるころでしたか、オリジナル創作同人誌即売会の
「コミティア」に大学の友人たちと合同誌を出しました。
そのとき8ページ足らずのお話を書いて以来、まともに描いていることがなかったです。
とはいえ、この短編も幸せな創作だったかというとそうではなく…
終わったときの疲労感ったらなかったです。
何を描きたいのか、自分の気持ちがわからないままとにかく描いて、
シチュエーションの寄せ集めのようなものが出来上がりました。
それが自分でもわかっていたので、より辛かった。
思えばあの頃は、数々の実力あるアマチュアが持つ、見栄えや雰囲気を
写そうと必死でした。 何かを見れば「ああいうのを描きたい」と思い
頭の中で何か想像するたび、その作家の絵柄で再生されてしまう。
他人の影響を受けやすく、自分を信じることができず。
そういう時間が数年も続きました。
今の会社に入っても同じことでした。 周囲になんのモデルも見出せず、
かといって自分の柱となるものが何もなく。とにかく自信がありませんでした。
この1、2年で、自分が、ただジッする時間を過ごすこと、大事にする
べきことを学んで、少しずつ自分の時間が戻ってきました。
今までは、一人でも悪い意味で一人ではなく、他人の言葉が頭に鳴り響いて
いるような状態だったと思います。 それが自分の手を止めていました。
絵も、描けば楽しいんですけど、動かすことで過去の楽しかった記憶を手が
反芻するだけのような感じで、いま、描いている内容への集中力もなければ、
愛情もなかったと思います。
いま、批判も恐れず、描きたい内容があって描ける喜びに浸っています。
自分を、自分で自由にしてあげられることがこんなに嬉しいとは。
こんなに幸せだとは。
やっと、自分を解放できる準備が整いました。
いずれ、紙の上だけでなく、人の前でも心を解放して、自分のままで
いられるようになるでしょう。
もう少し素直に、皮肉や批判でなく、理想と愛で自分や他人を語れる
ようになると思います。
マンガを描いていて思ったのですが。
自分のための仕事を手放さずにいるのは、とても大事だと思いました。
仕事というと重いですが、趣味とか、楽しみとか、やめられないものです。
これは他人にやらされたり、他人がいないとできないものではなく、
大体一人で出来るものです。
それが歌の人もいるでしょうし、料理の人もいるでしょう。
あるいは踊ることかもしれません。
大抵はお金につながらないから、これを皆趣味と読んでいるわけですが、
本当は、これこそ自分のための仕事であり、魂への奉仕なのだと思います。
私はマンガを描いていて思いました。 コレは自分のための仕事だと。
他人や社会のためにまわす仕事がある一方で、自分を喜ばせ、深い満足を
与える仕事があるのです。
これを手放してはいけません。 むしろこれが続けられないなら、
何かが自分の中で既に死に掛けているのです。
時間があっても、環境が許してもできない場合は、そうなのだと思います。
この2,3年色々試してきました。
このブログにも色々書いてきました。
モーニングページ、ゆる体操、自力整体、部屋の片付け(断捨離)、
瞑想、菜食、わびさび、きもの、ハンググライダー…まあ、色々やりました。
やっと、自分に戻ることができつつあります。
以前は、自分の小ささに自分を捨ててしまいそうになりましたが、いまは
その小ささに広がりを感じています。
内側から自分を見ると、空の高さを感じるものです。
自分を外側から見て、何かと比較したり、誰かの視点をかりて自分を見るのも
ときには大切ですが、それだけでは、自分を見失います。
自分の内側が見えていないからです。
人間は内面性があります。 魂と心があって人間になります。
精神と虚栄で外面だけ整えて見せても、それは所詮、人間ではないのです。
「他人にとって人間に見えればいい」ならそれでかまいませんが、それでは
いつまでも自分が自分を人間だと信じることはできないでしょう。
ここまで書いてきて思いましたが、私は自分を人間味のある存在として
感じてこれなかったのでしょうね。 あまりに他人のまなざしの中で
生きてきたし、それに耐えるほどの自分を育ててこなかったことも
原因です。
これからは、自分のための仕事を増やしていきたいと思います。
そして、私を通して、私の中の善なるものが、社会へつながる仕事をして
いけるように、いつまでも自分を育てていきたいと思います。
そうしたら、今度はどんな自分に会えるでしょうか。
もっと、違う自分になっているのかもしれません。
とりあえず、今は小さい自分を幸せにしてあげましょう。
今日、ここから。
うらうらした日和の中、近所の電気屋さんの軒先に、スズメが入った鳥かごを見つけました。
この電気屋さんは「鳥好きされる」とでもいいましょうか、小鳥を育てるのがとても上手な
おじさんで、台風のあとなどしょっちゅう巣から落ちたスズメをサルベージしている人です。
私も小鳥を飼ったことはありますが、スズメの世話は成功したことがない(野鳥の飼育は難しい)ので
「このおじさんはすごいなあ」といつも思っていました。
なので、鳥かごを見た瞬間思わず「羨ましいなあ」と独り言を言いました。
言ってから、ふと考えが止まらなくなったのでその内容を今日は書きます。
・羨ましいこと
人から見て羨ましいと思われること、それは当人にとって得意なことや、美点、何らかの強みだと思います。
なぜなら、他人に「私もできればそうなりたいなあ」と思わせることだからです。
・自分から見ると別に羨ましくないこと
しかし、人から見て羨ましいと思われることも、自分から見ると別にどうってことがない気がします。
少なくとも私はそうですし、私の周囲にも、誉めても謙遜するタイプの人が多いです。
つまり人が羨む美点や強みをもっていても、それを受け入れられないということです。
もちろん、強度はあります。
同じような他人と比較してどの程度すごいのか、あんまり凄くないなと感じると強みも強みといいづらいものです。
しかしそれ以外にも原因があるのではないでしょうか。
・なぜ強みを強みと受け取れないのか
おそらく、
①他人と比較して、特に秀でているとは思えない
②その強みが結果に結びついていない
③自分の強みが好きになれない
こんなところが原因じゃないでしょうか。
じゃあ、どうしたら強みを強みとしてとらえ、キャリアや生活に活かしていくことができるのでしょうか。
少し考えてみました。
①他人と比較して、特に秀でているとは思えないなら…
羨ましい、と言ってくれる人は具体的にどういうことがどんな風にすごいと感じているのか、
聞いてみるといいかもしれないです。
少なくとも一人は羨ましいといっているので、仮に見せ掛けでも他人を騙す程度のオーラはあるということ。
そこから「強み」を商売や私生活の充実につなげていけるかもしれないですよね。
②その強みが結果に結びついていない場合…
どういう結果が欲しいのか、そのやり方は正しいのか、本当に欲しいのはその結果なのか。
結果を得るために邪魔なものは何か。障害を排除しているか。努力する環境は整っているか。
…そういった、周辺から再検討してみると、まだまだ努力の余地があるかもしれないし、
やっていて、なおかつ結果に達していないならば、今後も努力を続けるかどうかという選択をすることになるでしょう。
続けるのであれば、できるだけ自信を失わず、へこたれずに努力できる要素は何か、探してみるといいのかもしれないですね。
③自分の強みが好きになれない場合
自分の強みが身についた過程、始めた動機に、肯定的になれない理由があるのかもしれません。
例えば「しっかりもの」と言われることを嫌う「長女」の方っていますよね。 本当は甘えたいのに、環境が許さないからやむをえずしっかりしただけだ!と思っている人は多いみたいです。
でも、それはそれ。これはこれ。
「しっかりデキ」るところは技術と割り切れば、「できるけどやらない」ポジションにすらなれるかも?
もちろん他人が頑張ってる状況で自分だけ怠けるのは、周囲との軋轢をうむ可能性がありますが、やみくもに「駄目な人の面倒は見なきゃ」とか「場を取り仕切らなきゃ」と思い込んで自分をすり減らすより、割り切って自分の「しっかり力」を活かす方が、自分に優しく余裕のある仕事ができる気がします。
などと、つれづれ考えたのですが、③って意外と大きいなと思いました。
強みが肯定できないってことは、モチベーションがあがらないわけで、自己実現にとって
一番足を引っ張るもののであるといえるんじゃないでしょうか。
それが所与のもので努力して得た成果じゃないことだとか、やっかまれて嫌な思いをしたとか
そういうことがあると、せっかくの強みを遠ざけて、活かさないままになってしまうことでしょう。
私が思うに、人から見て明確に強みだと思われることこそ、周囲の目を引くと同時に、やっかみや、
その能力に便乗しようという輩からやる気をそがれるものが多いと思います。
特に上の者が下のものを都合のいいように利用したいという風潮の強い日本社会だから
そうなるのかもしれませんが、中には善意の「教育的指導」もあるからタチが悪い。
人がその持っているパワーをきちんと出せるようになったら、どれだけの成果を残せるのか。
モチベーションをあげることで、どれだけ希望が生まれ、幸せになれるのか。
今後は、そんなことを考えていきたいなぁと思う今日この頃です。
この電気屋さんは「鳥好きされる」とでもいいましょうか、小鳥を育てるのがとても上手な
おじさんで、台風のあとなどしょっちゅう巣から落ちたスズメをサルベージしている人です。
私も小鳥を飼ったことはありますが、スズメの世話は成功したことがない(野鳥の飼育は難しい)ので
「このおじさんはすごいなあ」といつも思っていました。
なので、鳥かごを見た瞬間思わず「羨ましいなあ」と独り言を言いました。
言ってから、ふと考えが止まらなくなったのでその内容を今日は書きます。
・羨ましいこと
人から見て羨ましいと思われること、それは当人にとって得意なことや、美点、何らかの強みだと思います。
なぜなら、他人に「私もできればそうなりたいなあ」と思わせることだからです。
・自分から見ると別に羨ましくないこと
しかし、人から見て羨ましいと思われることも、自分から見ると別にどうってことがない気がします。
少なくとも私はそうですし、私の周囲にも、誉めても謙遜するタイプの人が多いです。
つまり人が羨む美点や強みをもっていても、それを受け入れられないということです。
もちろん、強度はあります。
同じような他人と比較してどの程度すごいのか、あんまり凄くないなと感じると強みも強みといいづらいものです。
しかしそれ以外にも原因があるのではないでしょうか。
・なぜ強みを強みと受け取れないのか
おそらく、
①他人と比較して、特に秀でているとは思えない
②その強みが結果に結びついていない
③自分の強みが好きになれない
こんなところが原因じゃないでしょうか。
じゃあ、どうしたら強みを強みとしてとらえ、キャリアや生活に活かしていくことができるのでしょうか。
少し考えてみました。
①他人と比較して、特に秀でているとは思えないなら…
羨ましい、と言ってくれる人は具体的にどういうことがどんな風にすごいと感じているのか、
聞いてみるといいかもしれないです。
少なくとも一人は羨ましいといっているので、仮に見せ掛けでも他人を騙す程度のオーラはあるということ。
そこから「強み」を商売や私生活の充実につなげていけるかもしれないですよね。
②その強みが結果に結びついていない場合…
どういう結果が欲しいのか、そのやり方は正しいのか、本当に欲しいのはその結果なのか。
結果を得るために邪魔なものは何か。障害を排除しているか。努力する環境は整っているか。
…そういった、周辺から再検討してみると、まだまだ努力の余地があるかもしれないし、
やっていて、なおかつ結果に達していないならば、今後も努力を続けるかどうかという選択をすることになるでしょう。
続けるのであれば、できるだけ自信を失わず、へこたれずに努力できる要素は何か、探してみるといいのかもしれないですね。
③自分の強みが好きになれない場合
自分の強みが身についた過程、始めた動機に、肯定的になれない理由があるのかもしれません。
例えば「しっかりもの」と言われることを嫌う「長女」の方っていますよね。 本当は甘えたいのに、環境が許さないからやむをえずしっかりしただけだ!と思っている人は多いみたいです。
でも、それはそれ。これはこれ。
「しっかりデキ」るところは技術と割り切れば、「できるけどやらない」ポジションにすらなれるかも?
もちろん他人が頑張ってる状況で自分だけ怠けるのは、周囲との軋轢をうむ可能性がありますが、やみくもに「駄目な人の面倒は見なきゃ」とか「場を取り仕切らなきゃ」と思い込んで自分をすり減らすより、割り切って自分の「しっかり力」を活かす方が、自分に優しく余裕のある仕事ができる気がします。
などと、つれづれ考えたのですが、③って意外と大きいなと思いました。
強みが肯定できないってことは、モチベーションがあがらないわけで、自己実現にとって
一番足を引っ張るもののであるといえるんじゃないでしょうか。
それが所与のもので努力して得た成果じゃないことだとか、やっかまれて嫌な思いをしたとか
そういうことがあると、せっかくの強みを遠ざけて、活かさないままになってしまうことでしょう。
私が思うに、人から見て明確に強みだと思われることこそ、周囲の目を引くと同時に、やっかみや、
その能力に便乗しようという輩からやる気をそがれるものが多いと思います。
特に上の者が下のものを都合のいいように利用したいという風潮の強い日本社会だから
そうなるのかもしれませんが、中には善意の「教育的指導」もあるからタチが悪い。
人がその持っているパワーをきちんと出せるようになったら、どれだけの成果を残せるのか。
モチベーションをあげることで、どれだけ希望が生まれ、幸せになれるのか。
今後は、そんなことを考えていきたいなぁと思う今日この頃です。
あけましておめでとうございます。
…紙の年賀状は本日出しました。
つねづね不義理で怠惰な私に、変らずお年賀をお送りくださった皆様、本当に申し訳ない!
もうこんな私に年賀状など来ないだろう、そんな投げやりな昨年の自分にビンタしたい気持ちです。
しかし、今回の年末年始は、生まれて初めて、魂燃えるアツイ時間を過ごすことが出来ました。
人の心と絆を信じられる人間になり、世界が少しでも良い方向になる力の一端になるべく精進していきたい。
いま、特撮ヒーローのように真剣に誓っています。
この後、初心を忘れるようであれば、皆様には遠慮なくまろやか大将を叱咤激励し、愛の鞭を浴びせていただきたい。
それを糧に、今年こそは龍のように飛翔する一年にしていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。
■振り返る熱い年末年始
1)28日 大学の文芸部の先輩が、講師として働くイギリスより帰還
・異国で日本語と文化を教える苦労と望郷の叫びを「異国の丘」にこめるカラオケで熱傷する先輩に感動
・いつの間にかご結婚されていた別のM先輩のキャリアウーマンぶりと、変らないお茶目さに感動
・かつて未亡人だのメイドだのにうつつを抜かしていた後輩くんが、その理想通りのような彼女を作ったことに感動
ロスジェネといわれる世代の仲間たち。
でも、「失われた10年」を、努力と信念で取り戻していくみんなに感動した!
2)大晦日にやってくる彼を迎えるため、大掃除に精を出す
・体調の悪さも手伝って、なんかやる気が起きない(燃え尽き症候群)
・どうする…!→そうだ、自分プレゼントでやる気を注入するんだ!
→amazonでGロボのDVDボックスおポチる
→届くまでGガンダムを見ながら掃除する
→島本和彦が読みたくなる
→掃除が終わってから「吼えろペン」をeBookJapanで全巻購入する。
・熱い魂が注入される。
覚 悟 完 了 !
3)彼が来る
・お互いの将来設計(ビジネスに関する)話をする。
・とにかく励ましあう
・除夜の鐘をききながら、近所の寺で気持ちを入れ替える
・おめでとう新年! がんばろう一年!
シュプレヒコールをあげ、盛り上げる。 これが俺たちのロマンだ!
4)元旦。 彼の家にご挨拶
・モノポリーで破産する
・たくさんゴチソウになる(文字通り食い倒れる)
・趣味の話をさせてもらって漫画まで借りる
・可愛いマフラーと美味しいお菓子と、おみやげをいっぱいもらう
もらってばっかりの自分に全力で反省。
そして、自分が心から歓迎されることもあるんだと、初めて知りました。
今まで自分自身、人との付き合いの中で、気遣われ本当に大事にされる、そういう自分が
あるということを、一度も信じてこなかったんだということに気づいて驚愕する。
今年こそは愛情を返せる人間になります。
いや、何より自分を愛せる人間にならなくては。
5)創作する
新ビジネスを立ち上げる(予定)彼のWEBサイト制作に便乗して、一緒にWEB制作をする。
楽しい! 気の合う人とものを作るのって本当に楽しいし刺激になる。
これからは、信念をもって仕事に関わる人と出会い、真剣に仕事をしていきたいと強く願いました。
* * *
さて、かように熱い年末年始でしたが、色々と思いを新たにしても、それを行動に移さないと
しようがありません。
いろいろ新しい道は模索中ですが、とりあえず今決まっていることは、2月末の退職です。
年内に決めて、会社にも了解されているので、後は駆け抜けるだけ。
色々なことを勉強した環境であり、自分の力を注ぎ込んで育てた部分もある仕事もありましたが
次のステップへ進みたいと思うようになりました。
大学を卒業してから10年。
あのときも全く白紙の未来が広がる1年でした。
私自身の弱さもあって、その後は苦戦苦闘の連続でしたが、今年は、多少の経験とカンが
自分を支えてくれています。
わずかながら自分の力を有意義に使えるよう、気持ちを新たにする本日です。
でも、優しい人たちがいてくれるからこそ生きている甘ったれな私です。
もし!ここまで読んでくれている方がいるのなら、お願いです。
冒頭にも書きましたが、私の魂が淀み、歩みが乱れるときは、どうぞ!どうぞ叱咤激励・鞭をふるってください。
きっと立ち直ります。そして強くなります。
今年こそは!!!
…紙の年賀状は本日出しました。
つねづね不義理で怠惰な私に、変らずお年賀をお送りくださった皆様、本当に申し訳ない!
もうこんな私に年賀状など来ないだろう、そんな投げやりな昨年の自分にビンタしたい気持ちです。
しかし、今回の年末年始は、生まれて初めて、魂燃えるアツイ時間を過ごすことが出来ました。
人の心と絆を信じられる人間になり、世界が少しでも良い方向になる力の一端になるべく精進していきたい。
いま、特撮ヒーローのように真剣に誓っています。
この後、初心を忘れるようであれば、皆様には遠慮なくまろやか大将を叱咤激励し、愛の鞭を浴びせていただきたい。
それを糧に、今年こそは龍のように飛翔する一年にしていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。
■振り返る熱い年末年始
1)28日 大学の文芸部の先輩が、講師として働くイギリスより帰還
・異国で日本語と文化を教える苦労と望郷の叫びを「異国の丘」にこめるカラオケで熱傷する先輩に感動
・いつの間にかご結婚されていた別のM先輩のキャリアウーマンぶりと、変らないお茶目さに感動
・かつて未亡人だのメイドだのにうつつを抜かしていた後輩くんが、その理想通りのような彼女を作ったことに感動
ロスジェネといわれる世代の仲間たち。
でも、「失われた10年」を、努力と信念で取り戻していくみんなに感動した!
2)大晦日にやってくる彼を迎えるため、大掃除に精を出す
・体調の悪さも手伝って、なんかやる気が起きない(燃え尽き症候群)
・どうする…!→そうだ、自分プレゼントでやる気を注入するんだ!
→amazonでGロボのDVDボックスおポチる
→届くまでGガンダムを見ながら掃除する
→島本和彦が読みたくなる
→掃除が終わってから「吼えろペン」をeBookJapanで全巻購入する。
・熱い魂が注入される。
覚 悟 完 了 !
3)彼が来る
・お互いの将来設計(ビジネスに関する)話をする。
・とにかく励ましあう
・除夜の鐘をききながら、近所の寺で気持ちを入れ替える
・おめでとう新年! がんばろう一年!
シュプレヒコールをあげ、盛り上げる。 これが俺たちのロマンだ!
4)元旦。 彼の家にご挨拶
・モノポリーで破産する
・たくさんゴチソウになる(文字通り食い倒れる)
・趣味の話をさせてもらって漫画まで借りる
・可愛いマフラーと美味しいお菓子と、おみやげをいっぱいもらう
もらってばっかりの自分に全力で反省。
そして、自分が心から歓迎されることもあるんだと、初めて知りました。
今まで自分自身、人との付き合いの中で、気遣われ本当に大事にされる、そういう自分が
あるということを、一度も信じてこなかったんだということに気づいて驚愕する。
今年こそは愛情を返せる人間になります。
いや、何より自分を愛せる人間にならなくては。
5)創作する
新ビジネスを立ち上げる(予定)彼のWEBサイト制作に便乗して、一緒にWEB制作をする。
楽しい! 気の合う人とものを作るのって本当に楽しいし刺激になる。
これからは、信念をもって仕事に関わる人と出会い、真剣に仕事をしていきたいと強く願いました。
* * *
さて、かように熱い年末年始でしたが、色々と思いを新たにしても、それを行動に移さないと
しようがありません。
いろいろ新しい道は模索中ですが、とりあえず今決まっていることは、2月末の退職です。
年内に決めて、会社にも了解されているので、後は駆け抜けるだけ。
色々なことを勉強した環境であり、自分の力を注ぎ込んで育てた部分もある仕事もありましたが
次のステップへ進みたいと思うようになりました。
大学を卒業してから10年。
あのときも全く白紙の未来が広がる1年でした。
私自身の弱さもあって、その後は苦戦苦闘の連続でしたが、今年は、多少の経験とカンが
自分を支えてくれています。
わずかながら自分の力を有意義に使えるよう、気持ちを新たにする本日です。
でも、優しい人たちがいてくれるからこそ生きている甘ったれな私です。
もし!ここまで読んでくれている方がいるのなら、お願いです。
冒頭にも書きましたが、私の魂が淀み、歩みが乱れるときは、どうぞ!どうぞ叱咤激励・鞭をふるってください。
きっと立ち直ります。そして強くなります。
今年こそは!!!
【朝】九時半頃
ミネラル豆乳
リンゴ1/2
トマト中1
豆乳200ml
【間食】二時過ぎ
リンゴ3切れ さつまいもほぼ一本
【昼?】4時過ぎ
キャベツとえのきを入れたインスタントお吸い物
イワシ缶詰めを玉ねぎを合わせて卵とじにし、丼に。
炊きたてご飯ウマー
…しかし味が濃いのでいつもの三倍近いご飯を食べてしまったw
その後、クッキー4枚
枝豆スナック100キロカロリー
10時 実家で野菜インドカレー少々 ナン1/3
11時 皆既月食見ながらミルクティ(シュガーレス)
12時 クッキー6枚
…反省
ミネラル豆乳
リンゴ1/2
トマト中1
豆乳200ml
【間食】二時過ぎ
リンゴ3切れ さつまいもほぼ一本
【昼?】4時過ぎ
キャベツとえのきを入れたインスタントお吸い物
イワシ缶詰めを玉ねぎを合わせて卵とじにし、丼に。
炊きたてご飯ウマー
…しかし味が濃いのでいつもの三倍近いご飯を食べてしまったw
その後、クッキー4枚
枝豆スナック100キロカロリー
10時 実家で野菜インドカレー少々 ナン1/3
11時 皆既月食見ながらミルクティ(シュガーレス)
12時 クッキー6枚
…反省