ひろちさやの究極の人生論【ひろちさや】
本の紹介:
本書は、私が学んできた仏教の知恵を中心にして、現実の諸問題にぶつけてみた本です。その知恵が、読者の日常生活において役立つことになれば、著者としては嬉しいかぎりです。
目次:
まだ社会人なのですか?
……
感想:
たとえば九人乗りのエレベーターに十人乗ってもまだブザーは鳴らない。ところが十一人目に、太り気味のAさんが乗ったらブザーが鳴った。皆がAさんをにらむので、Aさんはエレベーターを降りた。ところがたいていは、まだブザーが鳴り止まない。そこでもう一人、Bさんもエレベーターを降りるはめになった。
さて、Aさんがブザーが鳴った原因だろうか?確かに、Aさんが引き金になってブザーは鳴った。でも、Aさんは原因ではないんだ。というよりも、Aさんも含めて、十一人全員が原因なんだ。だから、Aさんを降ろすというのは酷だ。
一頭の飢えたロバが、乾草の山をみつける。ところが幸か不幸か、二つの山を同時に見つけてしまう。二つの山は、左右に分かれていて、ロバの現在地からほぼ等距離だ。しかも、この二つの山はほとんど同じ大きさに見える。それでロバは、どちらの山の乾草を食べようかと迷ってしまう。右に行きかけると左の山のほうがよく見える。それで戻って左に行きかけると、今度は右の山が気にかかる。そうやって右往左往して、二つの山の真ん中で飢え死にしてしまうという話だ。
これを私たちはどう説くべきか。右も左も同質だ。重さも違わないとすれば、要するにどちらでもいいわけだ。どっちだっていいことは、無分別智なんだ。ところが科学はこういうとき、どちらでもいいとは言えない。とにかく悩む。量が多いほうがいいという前提で、重さを量る。同じ重さだ。しかし、科学は諦めない。秤の精度を上げて、コンマいくつで差を見極めて、こちらのほうがいいと判定しようとする。それが分別智、科学のやり方だ。ホーリスティックなものの考え方では、そこまで量っておいて、どちらでもいいと判定する。でも、無分別智では最初から量らない。どちらでもいいのだから、でたらめに決める。
人間はすべて仏様からのお預かりもので、すべての事象は仏様のお考えで動いている。私たちは、生きている間だけ、この身体をお預かりしているだけなんだ。
仏教の考え方は、日常問題の解決方法ばかりです。もっと勉強しなければ。。。
本の紹介:
本書は、私が学んできた仏教の知恵を中心にして、現実の諸問題にぶつけてみた本です。その知恵が、読者の日常生活において役立つことになれば、著者としては嬉しいかぎりです。
目次:
まだ社会人なのですか?
……
感想:
たとえば九人乗りのエレベーターに十人乗ってもまだブザーは鳴らない。ところが十一人目に、太り気味のAさんが乗ったらブザーが鳴った。皆がAさんをにらむので、Aさんはエレベーターを降りた。ところがたいていは、まだブザーが鳴り止まない。そこでもう一人、Bさんもエレベーターを降りるはめになった。
さて、Aさんがブザーが鳴った原因だろうか?確かに、Aさんが引き金になってブザーは鳴った。でも、Aさんは原因ではないんだ。というよりも、Aさんも含めて、十一人全員が原因なんだ。だから、Aさんを降ろすというのは酷だ。
一頭の飢えたロバが、乾草の山をみつける。ところが幸か不幸か、二つの山を同時に見つけてしまう。二つの山は、左右に分かれていて、ロバの現在地からほぼ等距離だ。しかも、この二つの山はほとんど同じ大きさに見える。それでロバは、どちらの山の乾草を食べようかと迷ってしまう。右に行きかけると左の山のほうがよく見える。それで戻って左に行きかけると、今度は右の山が気にかかる。そうやって右往左往して、二つの山の真ん中で飢え死にしてしまうという話だ。
これを私たちはどう説くべきか。右も左も同質だ。重さも違わないとすれば、要するにどちらでもいいわけだ。どっちだっていいことは、無分別智なんだ。ところが科学はこういうとき、どちらでもいいとは言えない。とにかく悩む。量が多いほうがいいという前提で、重さを量る。同じ重さだ。しかし、科学は諦めない。秤の精度を上げて、コンマいくつで差を見極めて、こちらのほうがいいと判定しようとする。それが分別智、科学のやり方だ。ホーリスティックなものの考え方では、そこまで量っておいて、どちらでもいいと判定する。でも、無分別智では最初から量らない。どちらでもいいのだから、でたらめに決める。
人間はすべて仏様からのお預かりもので、すべての事象は仏様のお考えで動いている。私たちは、生きている間だけ、この身体をお預かりしているだけなんだ。
仏教の考え方は、日常問題の解決方法ばかりです。もっと勉強しなければ。。。
