中学校教員のTOEIC平均点が560、高校が620だという。


   学校の先生は、英語を教えるのが仕事ではない(?)から、

   宿題を出したり、部活をやったりしていればいいわけで、

   英語の先生でも そのくらいの実力の人は一杯いるだろうと思う。


   平均が620ということは、500点台もいるし、中学校教員だと、400点台、300点台もいるかもしれない。


   そもそもTOEIC800点レベルあれば、教員を目指さない方が普通(?)なのかもしれない。


   800点くらいは、教員生活30年もあれば、楽に突破できそうな気もするのだが

   そうでもないらしい。


   だいたい、ヤル気のない(?)高校生相手に、給料が上がるわけでもないのに

   英語が頑張れるはずもない。他のことにずいぶん忙しいというのが実情だろう。


   たとえば、部活の顧問をやり、介護を抱え、子育てにも忙しければ、英語の勉強など

   満足にできないだろう。休日を返上して英語を勉強する時間もあるまいし、

   あまり熱心にやっていると、他の教師から、嫌われるかもしれない。


   それでも思うのだが、英語ができれば食っていける、というのもすごいことだ。

 

   ジョン万次郎などは、英語だけできたのではない。

   アメリカで、天文学やら、航海学やらもずいぶんやったのだ。


   幕末の武士崩れなら、武芸もずいぶんできた。


   アジアのタクシードライバーなどで英語ができる人もいるが(日本にもいる)、

   運転も、英語もだ。


   たかだか、TOEIC800点、900点、それだけで食っていけるというのは

   恵まれた状況としか思えない。   



  大変である。


  勉強ダイスキという子供もそうはいないのだが、

  勉強が嫌でしょうがない、と言うような子は、来ても成果が上がらないのだ。


  なんで、勉強が嫌なのか、これは、脳科学の研究でも非常に重要なことだろう。


  人間の痛みの感覚の研究も、まだ謎は多いのだと思うのだけれど、

  勉強するときに「やりたくないなぁ」というような気持ちが生まれるのは

  どういう人体のメカニズムなのかは、非常に興味がある。


  無理やり塾に入れられた子供は、なんとか、そこから逃げようとする。


  しかし、親の期待に沿わないことはしたくない。


  だから、「塾のセンコーが。。。」となるのだ。


  なんでもかんでも、学校の先生や、塾の先生や、親のせいにしている子は楽だね。


  その反動は、いつか必ず来るのだけれど。


  数学も大事だが、ともかく、英語は大学入試の目玉である。


  こういうことを生徒に言うと、いや、日本史だって、古典だって、と、目くじらをたてて言う。


  しかし、英語は大事だ。英語の参考書の数だけでも群を抜いて多い。


  そもそも私が学生時代一番、自分から勉強したのは倫理である。

 

  倫理の教科書も資料集もずいぶん読み込んだと思う。


   倫理といえば、地学と争って、大学入試では、マイナーな科目だ。


  なんだか、倫理政経になるらしいけれど。


  そんな私がなぜ英語が大事というのか。


   そもそも、日本の大学制度は輸入品である。


  そしてその多くは、アメリカ・イギリス文化によっている。


  開港当時の横浜の貿易相手が、8割イギリスだったり、日米安保があって、貿易相手国として

  アメリカが巨大であったり、それ以外にも学問的にも英米の成果が最も

  日本でも研究されているのだ。


  そもそも法律だって、日本土着のものと、アジア的なもの、西欧的なものが、ごっちゃになっている。


  ただ、日本のエリート層が留学する先は、たいていの場合欧米だ。


  ボアソナードだってフランス人だ。


  ともかく明治期にしろ、飛鳥奈良時代にしろ、諸外国の文化文明を通して、

  古代国家や近代国家が成立した。


  警察組織も同様であって、組織・制度としての警察は、明治時代以降にしか存在しない。


  学者にとっては、外国の文献を研究することが大事であって、

   それがメインなのだから、僕は、日本史が好きだから、日本史を得意にして、

  受験を突破したいと言っても無理なのだ。

 

  英語は大学受験には必須なのだ。将来使うかなんてどうだっていいのだ。

  東大だろうが、早稲田だろうが、なんだろうが、大して高3レベルで英語が使える人などいない。

  しかし、英語はしっかり勉強する。


  英語が勉強したくない=大学に向いていないでさえ、思うのだ。

   できるかどうかなんて、どうだっていいのだ。英語をヤル気があるかどうかで

   入試なんて決まるんじゃないだろうか。


   たとえば、日本史の偏差値80とか言ったって、だからどうした、で終わるんじゃないか。

  それは英語の偏差値80でも同じだけれど。


  できないやつらの中で、群を抜いてたってしょうがないじゃないか。