英文解釈教室基礎編に「究極の一冊」という文章がある。


 ある国王が王位に就いたときに、自己管理、国の統治のために、すぐれた書物を集めてきなさい、と命令する。学者たちは、本を探しに出かける。そして30年後(!)、数千冊の本を集めてくるが、王は職務に忙しく、とても読むことができないから、本をもっと減らしてくれ、という。学者たちは、また、収集の旅に出る。そして15年後、10分の1、の数に減らすが、王にはこの量でさえ、多い。そして、より絞るように命じる。そして冊数を絞って戻ってくるのだが、まだ多い。一冊に絞れ、と国王は命じる。そして、とうとう一冊に絞ったが、王は年老いすぎていて、一冊の本すら読めない、という内容である。


 まず、この文章のおかしな(面白い)ところは、最初、各地に名著を探しに出かけるのは分かるが、その冊数を減らすために再度、各地へ旅に出ることである。最初の5000冊を減らすのには、その中から選りすぐりを探せばよいとも思うのだが、各地に散らばるのだ。


 この話は、学問の追及と、実務の間の隔たりを表しているのかもしれない。

 最初の5000冊を集めたあと、それを10分の1に絞るのに、なんと15年もかかっている。これは、その15年間に学問が発展して、より内容の詰まった書物が発刊されることになったということなのかもしれない。


 王の人生と、学問の追及が同時進行し、王は実務に忙しいから本は読めない。学問も進んでいって、とうとう一冊ですべてを学ぶほどにまで学問は発展したが、王はそれを読むことすらかなわず、とうとう、学者たちの名著探しの旅は、徒労と終わるのである。


 伊藤和夫先生はどこか自虐的なところがあった。僕は発音が悪いとか、英作はネイティブのようにはできないとか(当時の駿台には、ミズーリ号でアメリカとの講和で通訳を果たしたほどの英作の達人がいらっしゃったらし。しかし有名になったのは、奥井・伊藤の読解派なのも、歴史の妙だろう。)


 この章も、伊藤先生の英文解釈教室が「究極の一冊」だったとしても、英語を学ぶという意味で、本から学べることよりも、外人との不断の接触を上回るものではない、自虐が含まれているのではないか。学者の仕事を少し揶揄するところもあるのかもしれない。


 もともと、関ヶ原の戦いでさえ、なんで起こったのか、何度も考えるようなクチだから、争いごとは嫌いな方だと思う。

 塾に5年間勤めて、結局、塾や予備校は、講師の戦いの場なことを痛感した。

 個人的には、講師同士の連携ができている方がいいと思うのだが、理想論でしかないことを痛感した。

 講師にとっては、自分の人気がほぼすべてである。塾生の成績が上がろうが、志望校に合格しようが、そんなことどうでもよくて、自分を慕ってくれる生徒が一人でも多ければいい、というのが実情だったと思う。

 実際そうじゃない講師はほとんど見なかった。こういったところが、塾不信を生みだすのだと思うのだが、講師同士の争いという原則(それが波及して生徒同士の争いに発展)はどうやっても曲がらないことがよくわかった。

 ただ個人的にはそうじゃない塾があってほしいと思うし、自分が通ってた塾はそうではなかったと思っている。