北方謙三さんは、私が、17歳から18歳にかけて、熱心に読んだ先生だ。
ちょうど受験期に読んでいたことになる。
もしかしたら、受験参考書よりも熱心に読んでいるかもしれない。
受験直前期といえば、伊藤和夫と北方さんの本だった。
北方さんには、「受験勉強頑張っています」とお手紙を書いたら、「受験なんて、乗り越えろ」の一言で済ませられてしまった。受験期でストレスがたまっていた私は、一度、抗議(しかもかなり強烈なのを)の手紙を送ってしまったが、数年後、謝罪の手紙をお送りした。キチント読んでいただいたようなのだが。
最近、北方さんのインタビュー記事を読んだが、HDPの読者相談欄は、北方さんは、乗り気ではなく、ヤル気もなかったらしい。それが、あの発言につながっていたようなのだが・・・。
北方さんの場合、学生運動にのめりこんで、めちゃくちゃになって、その後、10年間ほどの作家修業期間がある。今でいえばフリーターの生活を十年やって、30歳になって、大ブレイクした。
「あれは幻の旗だったのか」に、そのエキスは凝縮されていたが、読者は限られていただろう。それの大幅な焼き直しが「水滸伝」で、私は、最初の方しか読んでいないが、ずいぶん売れている。
一番しっかり読んだのは、「黒龍の柩」だが、それ以外の本もそれなりには読んだ方で、百冊近く手は出していると思う。「黒龍の柩」の時代考証は、変だと思うし、「三国志」の孔明はなんか変だと思うので、ついつい食ってかかってしまいたくなるのが北方さんだ。
「資本論は読んだことあるか」とおっしゃられても、資本論ごとき、大した本であるまい、曹操や呂布が、三国志で主役級など当たり前だ、坂本龍馬殺人の黒幕が薩摩であるはずがない、とついつい、突っ込んでしまいたくはなる。土方が、戦場を振り返らないのはいいんだけど。
と、そうではなくて、青春時代に、無茶苦茶にやけくそになって、それで10年修行されて、その後作家としての成功された期間が20年近くあって、その学生運動の思いみたいなものもこめて、水滸伝を書かれて、成功された。
ただ夢があって、切り合いをして、梁山泊というものを中心に国家と対立、創国にまで至る話を書きあげられて大ヒットしている。やはりそういうことはあるんだなぁ、と思ってしまう。そういう意味では、人間力が豊富だから、読みたい、と思う読者が沢山出てくる、ということなのだろう。
ずいぶん、うらやましい生活をしているように見えても、私のようなダメ読者からのわけのわからん手紙も読まなければいけないし、抗議団体のようなものからの圧力もあるだろうし、絶えず、クビ、というか、売れなくなる不安(でも、もう印税生活でいけるかもしれないが)もおありだろう。
もう売れているから、書きたくない、という気持ちにならないのは、私としてはまだよくわからない。そういう意味では、サボりたがる、吉田拓郎さんなどの方が、分かるが、拓郎さんも、完全休止はされない。ビートたけしさんでも、仕事はされ続けている。
それにしても「さらば、荒野」や「逃がれの街」を書かれた頃の北方さんの年齢に自分がなるなどと思ったこともなかった。その歳になってみれば、大したことのない小説にも思えてもくるし、ただ、殴り合ってるだけの小説に、自分は何を読んでいたのだろう、とも思う。作品としてもっと素晴らしいものがあると思えても、読んでいこうとする気になったりならなかったりするのは、筆力の問題か。私の読解力の問題か。シェイクスピアがすごいと思っても、シェイクスピアの原文になかなか挑戦しないのは実力かもしれない。
ただ、ヘミングウェイでもすごいすごい、と思えていても、結局読んでなんなんだ、何が残ったんだ、というのが、ないわけでもない。
その点、受験参考書は素晴らしいと思うことも多い。15-18で読む受験参考書の質は、人生を決める。少なくとも3割くらいは、それで決まると思う。3歳までの親の育て方で決まるというやつは、今の私にはそれほど響かないが、それでも重大な部分においては、これも人生の3割くらいは、それで決まってしまう気がする。合わせれば、6割だ。それ以外の4割が自分で決められる部分と考えると確かにしっくりは来る。
私が小説を書いてみたら、それを読んでみたい、と言う人が果たしているだろうか、と思った。
北方さんは、外洋航路の船長の父を持ち、柔道も強く、イケメンで、中央大法学部だ。本も小さい頃から大量に読んでいる。
それに比べれば、私は普通のサラリーマンの親で、喧嘩が特に強いわけでもなく、イケメン(と言われたことはあるが)なのか分からず、地方国立大だ。
北方さんのようになりたいとは思わないが、自分の生き方がこれでいいのか、と思うことは多い。
最近は、特に人の役に立っているのか、が気になる。