英文法を土台にして、単語をひたすら覚え、さまざまな英文に接し(読み、聞き)、毎日英作文して慣らす。英語の勉強ってこうじゃないのか。なんで、こんな当たり前のことがあまり流通してないんだろう?
英文法か英単語の二択
読解力かそれ以外かの二択
で、ふらふらしてる予備校の先生ってほんと多いけど、なんで、こうなった。
語学を学ぶのにも、文法も、単語も、に決まってるじゃないか。読解力だけじゃなくて、発信力も大事に決まってるじゃないか。リスニングに異を唱える人は少ない気はする。
英文法を土台にして、単語をひたすら覚え、さまざまな英文に接し(読み、聞き)、毎日英作文して慣らす。英語の勉強ってこうじゃないのか。なんで、こんな当たり前のことがあまり流通してないんだろう?
英文法か英単語の二択
読解力かそれ以外かの二択
で、ふらふらしてる予備校の先生ってほんと多いけど、なんで、こうなった。
語学を学ぶのにも、文法も、単語も、に決まってるじゃないか。読解力だけじゃなくて、発信力も大事に決まってるじゃないか。リスニングに異を唱える人は少ない気はする。
いわゆる聖書も、それを説法する牧師さんなしでは、効果も薄いのではないだろうか。独学して、読破したところで効能は薄いようにも思える。漫画やアニメ、映画、音楽、建築など、聖書の世界を高めるものは実際の聖書よりも重要な役割を果たしているような場合も多い。
ひるがえって、受験参考書でもバイブルとされた英文解釈教室や、定番系の参考書、基礎英文問題精講やチャート式(数学)なども、指導者つきでないと、実際には使用しにくいというのが本当のところだ。なぜなら、誤訳があったり、解説が変なところがあるからである。バイブルにも間違いがたくさんあるのが面白いところなのだが、より間違いの少ない完璧な参考書のほうが売れるか、というとそうでもないところが面白い。