英語で成功した東大系知識人にはいくつかの共通点がある。


 1.文脈主義


 単語の意味は文脈で決まる。文と文、文と単語の関係性の網が文章を作り出す。


 単語の意味は、辞書に載っているものに限定されないとする立場である。


 2.日本語訳出尊重主義


 英語を日本語に置き換えてみることに抵抗感がない。あくまで日本人として日本語に熟達したうえで、英語を眺める、使う立場である。


 日本語にしてみたうえで、英語が読めているかが判定できるとする立場である。これは、コミュニケーション主義の英語の使い手には見られない。東大に特有とさえ言いうる。


 日本語を介して英語を使うことに何ら、抵抗がない。もう少しいえば、日本語ができなければ、英語だけできてもしょうがないとする立場である。


 3.英文法主義


 母国語でない言語を身に着けるのにもっとも重要なのは英文法であるという立場。


 4.読解力主義


 英語力はさまざまに定義されるが、読解力をもっとも重要な要素とする立場である。 


 まとめると、文脈、母国語、英文法、読解力この4つの柱がどれだけ知っているかが、東大系英語力といえる。

 これは、つまり日本で最高度の知的活動を行うためには、文脈力、母国語力、英文法力、読解力が頂にまで達していなければいけないことを表している。


 よく言われる単語力、とスピーキング力が、ここでどのように絡むか、が私の興味である。


 東大でも、SVLをマスターしている(つまり1万語レベル以上)人はいるし、いわゆるペラペラの人もいる。

 しかし、上記の4つを最も重視したうえで、その上に、単語力、スピーキング力を築き上げているのは疑いない。

 

 國弘氏によれば、単語はどうにかなる。基礎となる英語回路作りが一番難行ということであるし、その要は音読である。また、単語は、コロケーションが要である。


 何か、書こうと思ったが、ブログに書くようなことがない。読んだ人が、「へぇー」と思えるようなものを書きたいものだ。


 大学入試の頃、英語も数学も世界史も化学も古文も、 謎の世界でしかなかった。わけがわからないものでしかなく、永遠に光は差さないように思えた。予備校で浪人しても状況はあまり変わらなかった。


 ある程度得意だった小論文と現代文、漢文、という、勉強がほとんど必要のない分野が少し得意だったので、地方の国立大に受かった。地方の国立大に受かったんだから、ほどほどの勉強できる組に入ったといえなくもない。就職率は、95%を超えているし、結構いい企業にも受かっている。公務員試験の結果も悪くない。


 つまりは、私が大学に入って、ストレスから受けたダメージで頭が狂ってしまわなければ、就職活動の努力次第で、ほどほどの企業か官庁には入ることができた、ということができる。


 私は、要領が悪い。試験で点を取るためには、そのために、最低限の努力と最低限の時間で、成し遂げなければならないが無駄な勉強をして、満足してしまう傾向がある。


 たとえば、読書は大事でも、読書が点数につながるわけではないから、点数につなげる勉強はそれはそれでしなければならない。読書だけで点が取れるようになる、というのなら、そういう読書をしなければならない。


 それができていない。


 大学受験生のときに比べたらはるかに、視野は広がったけれど、それでも、東大生などにはまだかなわない、と思うと、情けない気もする。


  彼らは数年の受験勉強できっちり、文Ⅰに受かり、国家1種などに受かる。


  効率と頭の良さを手に入れない限り、収入もままならない。


  私には地道な努力というやつしかできないから、それを続けようと思う。