3月25日。

大念佛寺のあとは、こちらの神社にお参りです。


日本武尊の像が建っています。



こちら、堺市、大鳥大社です。





やまとはくにのまほろば
たたなづくあおがき
やまごもれる やまとしうるはし

と詠って、懐かしい大和を偲びながら息絶えたとされる倭建命が、
白鳥となって飛び立って行き、
その羽根を休めた最後がこの土地であるとの由。
倭建命、日本武尊、どちらもあり、ですが、古事記では倭建命だったかと。





学生時代の日文概論だったか、
古事記の授業で教授がやたらと力説していた
「便所の殺人事件」、
倭建命と聞くとそのイメージがどうしても頭の中にぶぁっと広がるのでした。




高校までのエエカゲン学習しかして来なかった私にとって、ヤマトタケルは、
大和政権樹立の為の侵略の正当化として造られた
ただの英雄像でしたが、
父親と上手く行かず故郷を離れて彷徨う、
そしてついにそれを乗り越えられないまま果てるという悲劇的な運命には、
ただの歴史的な政権樹立物語以上のものを感じます。

父親の景行天皇は、本当のところ、
タケルのお兄さんのことをどう思っていたのでしょうか。
古事記の中での彼は、父に献上されるはずの女性を先に寝取った悪い息子、ということになってました。
そのお兄さんを、自分の言いつけのために殺してしまったタケルのことをどう思っていたのでしょうか。
粗暴な息子を追放するようにして蛮族討伐平定を命じた父親、
きっと自分も自分の中にそういう粗暴な血の滾りを感じる人だったからこそ、
息子のそういう部分を恐れたのではないですかね。

そんな旅立ち、そして報われない最期、
それが、
古事記の倭建命の物語を
とても人間臭い、父を超えたくて彷徨う少年の物語のように感じさせたのでした。

初めて古事記が文学なんだねー、と思った
「便所の殺人事件」だったのでした。
倭建命(その頃は小碓命ね)は、お兄さんを厠で手足をもぎり取って菰巻きにして棄てて殺しちゃったのでした。

立派なお社です。







大鳥大社にお参りして、ぼーっとそんなことを思い出してました。


古事記、どれも神話伝承の域を出ない、
そうではありますが、
日本書紀が天皇正統性のみを主張するのに対して、
人間のハートが中心の壮大なロマンが描き出されていますねーニコニコ

この頃既に文学とか芸術とかに迫る古代人の姿があるんだーと思ったことでした。





スンマセン、大鳥大社のことは今回ほぼ何も書かず、、、笑