4月6日。
吉野山をてくてく歩いて、吉水神社へ。









入ってすぐのところ、凄い人集り。
みんな乗り出してカメラを構えて、向こうに広がる桜の山景色を撮ろうとギュウギュウ。。。


でも、確かに、この景色は凄い。。

絶景ですね。
「一目千本」と書いてありました。



吉野の桜。










吉水神社と言えば、源義経がここで過ごしたと言われているのですね。

頼朝に追われて、この吉水神社に潜伏するも、更に追討の手が、、
静御前とここで別れて、弁慶らと吉野の山深くに落ちて行く、、



置き去りにされた静御前のものとされる歌、大学時代、頼山陽の「静御前」という漢詩に挟んでこの歌を朗詠する先輩方の声に魅了されたものです。

吉野山 峯の白雪 踏み分けて
入りにし人の 跡ぞ恋しき


「跡ぞ」のところで下からぐっとあがる女性吟の独特の声の色っぽさ、「跡」に恋しい義経の面影を重ねて、何とも言えない切なさを感じたものでした。
18歳で出会った歌、恋の切なさ愛の苦しみなんて、そんなに身にしみてわかるほどの人生経験はなかったですけれどもね。
(あ、今もかニコニコ)



吉水神社には、日本最古と言われる書院があります。
書院と言ったら、お寺ですよね。
ここ吉水神社も、お寺だったのです、吉水院という、ね。
明治の廃仏毀釈で神社ということになったのです。

この書院に、義経が逗留したということなのですね。




ここかぁ。




そして、この奥に、後醍醐天皇が吉野にいらしてから住まわれたとされるお部屋がありました。




人生を懸けてここに来た義経や後醍醐天皇に比べると、
権力誇示か、何だかなぁ、と感じる豊臣秀吉の花見。




ここからも、金峰山寺の蔵王堂が。




お庭に、北闕門がありました。



自分が天皇として戻ることが出来なかった京都に向かっている門。




北闕門の中から。




桜の花の儚さが、ここにやむなく逗留した人の無念の思いを増幅するように感じます。