12月6日。

三河湾を見て、お宿を出発。



車。。。



こちらにお参りです、可睡齋、秋葉総本殿。




元々は、萬松山東陽軒と言ったとか。
曹洞宗のお寺さんです。





十一世の和尚さんが、幼少期の徳川家康を救ったことがあるとかで、家康が浜松城主になった時に城に招かれたそうですが、その時居眠りをしてしまったのだそうです。
家康は、眠る和尚の姿から自分への信頼と親愛を感じ取って「和尚、睡る可し」と言ったのだそうです。
以後、和尚は可睡和尚と呼ばれ、お寺も東陽軒から可睡齋に改まったのですって。




明治の廃仏毀釈の折に、廃寺となった秋葉山秋葉寺から、秋葉三尺坊大権現をお迎えすることになり、現在に至っています。
秋葉さんは、天狗さんだと思っていたけれど、正しくは迦楼羅神のようですね。
火防の神です、天狗のうちわでひと煽ぎ〜、のイメージですね。




前日とは打って変わって、よく晴れました。




 
お月さま。






活人剣の碑がありました。

日清戦争の際に、交渉にやってきた李鴻章が暴漢に襲われ、その治療にあたったのは佐藤進という人ですが、その時のエピソードをたたえたもののようです。
佐藤進が帯刀していたことを「医術に剣は不要ではないか」と言った李鴻章に、「人を殺す剣ではなく人を生かす(活かす)剣だ」と可睡齋で修行していた佐藤進は応えたそうです。
李鴻章はそのことに感激して親交が続いたとのこと。
可睡齋では高村光雲に依頼して活人剣の碑を建立しますが、大戦の金属供出で無くなってしまいました。
私どもが拝見したのは戦後改めて建立されたものです。
後で見た宝物館の中に、李鴻章の手紙だったか、筆跡がありましたが、李鴻章という人はおそろしく美しい字を書く人ですね〜無気力
顔真卿の字などよりずっとスッキリ、バランスのとれた温かみのある筆致で、私は好きです。



さて、大きなお寺さんで、中もかなり広いのですが、廊下の隅などにお雛様が。



御殿の設えのお雛様ですね。




あ、東司、こちらは特に有名です、烏芻沙摩明王の像がいらっしゃるモダンな造りのお手洗いです。



禅宗の寺院の東司には、烏芻沙摩明王がお祀りされていることが多いようですが、こちらは日本一の大きなお像だそうですよ。


更に、進んで行く先々に、、、



寄進されたお雛様を、場所さえあれば飾るといった感じです。



花頭窓の向こうに、チラリと見える広間には。




その広間に入る前に、沢山の部屋を通りますが、今まだ飾り付けの最中です、と言った感じのお部屋も。




箱から取り出したばかり、箱が並んでいたり、というお部屋もありました。




こちらの段飾りも凄いですね。




まあ、広間の天井も綺麗。



こちらの広間、国の有形文化財瑞龍閣です。


きゃあ!



記事の冒頭に日付を記してありますが、12月6日のことです。
この時から飾り始めないと、1月から3月迄のひな祭りに間に合わないのですって。
可睡齋の雛人形は有名らしいです。


この瑞龍閣には、32段、1200体ですって!


扇の様子を見ると、こちらは割と最近のお雛様でしょうかね。




襲の色合わせが美しいラブラブ



檜扇、我が家もこんな感じのお雛様だったかなぁ。









圧倒されました。。

修行の寺の禅宗寺院にきらびやかなお雛様、全て寄進されたもの、寺院内に3000体だそうです。

たまたまその時期に行かれたということなのですが、見られて良かったです。