12月5日。

方広寺のあと、お昼をいただいてから、こちらに。





豊川稲荷です。
豊川稲荷と呼ばれており、そのままその呼称の方が有名ですが、正式には、
「豊川閣・円福山妙厳寺」
です。

 
寒巌義尹(かんがんぎいん)という順徳天皇の皇子、この方が、宇治の興聖寺で道元禅師から禅を受け継がれたそうです。
(道元さんは帰朝後、宇治に興聖寺を開いてそこで禅を広めていました。永平寺を開くのは、比叡山の僧たちに追われてやむなく宇治を捨てて福井の山奥に入ってからです。)

寒巌義尹、この方は、2度の入宋経験、そして架橋や干拓など衆生済度を実践された方のようです。
2度目の宋からの帰途、船に出現したのが、稲束を負い宝珠を持って白狐に跨った神様だったというのです。
吒枳尼眞天と名乗ったその霊神は仏法を守る寒巌さんの船路を守護して下さった、それだから寒巌さんは、この神様をどこででも大切にお祀りなさっていたのだそうです。

寒巌さんの6代目の弟子の東海義易禅師という方が、ご当地豊川に妙嚴寺を開創する時に、御本尊の千手観音とともに、寒巌さんご自作と伝わる吒枳尼眞天をお祀りしたのだそうですよ。


ですから、豊川稲荷は、お稲荷さんではなく、曹洞宗の寺院です。

東京赤坂の別院は、以前お参りしました。


 




大きく、広いお寺さんです。



この豊川稲荷を中心に街が出来ているように感じました。



山門を潜ってからの参道も、長い。




この鳥居が、寺院と言えども稲荷と混同されたからなのか、明治以前の神仏習合そのものなのか、それはよく分かりませんけれども。



観音様にお参り、吒枳尼眞天さまにもお参り。

おんしらばったにりうんそわか。

東京別院にお参りした時は、このご真言は唱えなかった、、?
ような気がします。






おんばさらたらまきりく、
これは千手観音さまのご真言、千手観音さまはいろいろな所にいらっしゃるので、何度も唱えてはいます。
(なかなか憶えられないあんぽんたんではありますが)

吒枳尼眞天さまのご真言は新鮮な思いで唱えました。




この日は、移動車が長かったこともあり、これにて拝観見学は終了、お宿に向かいました。

車。。。