今朝7時過ぎの空。
雲が沸き上がるようで、いつも朝は撮る余裕ないのですが、今朝はパシャリ
雲よ、どこへ行く?
27年前のこの日の朝、阪神淡路大震災が起きました。
5時46分、朝ごはんの支度にキッチンにいました。(その頃は、早起きせざるを得ませんでしたから)
テレビは普通についていました、その時のテレビ局の混乱ぶりも覚えています。
犠牲になられた方々のご冥福を、今もその傷を抱えるみなさんの心の回復を、祈らずにはいられません。
その時から、この日、私は自分の誕生日とセットでこの震災のことを思い出さずにはいられない、ということになりました。
震災が起きて暫くの数年間は、ケーキを食べたりプレゼントをもらったりすることに罪悪感を覚えるほどでもありました。
この日の夜の7時頃、母は私をこの世に生んでくれました。
私が生まれた病院は、今もあって、時々診察を受けることもありますが、もう随分前に産科はなくなりました。
少子化の影響でしょうかしらね。
半世紀以上経つのですから、それはいろいろな変遷がありますよね。
その当時は、地方ではまだまだお産婆さんによる自宅出産も多かったと聞きますが、都市部では病院で出産するのが殆んどだったと思われます。
母は、兄を生んだあとですから、出産についてはそれほどの不安はなかったと思いますが、入院中家に置いていく兄のことは気掛かりでたまらなかったようです。
母の実家は、まだ結婚していない弟妹も3人?(だったと思う)、長兄の家族4人、兄姉数人が独立結婚していましたがまだまだ大家族でしたので、里帰りはせずに兄も私も生まれることとなりました。
入院中は母の母、祖母が兄の面倒を見に泊まりに来てくれていたようです。
勿論、私はその頃のことは覚えていませんよ(笑)
一番古い記憶は、幼稚園に行く兄と母に手を繋がれて、途中まで(その頃の登園は、先生たちが大通りをずっと歩いてくるところに一人二人と合流してみんなで行列、でした)歩いたシーンです。
お兄ちゃんが行ってしまうので、確か私は泣いていた。
まだ3つになる前、その一瞬だけ覚えているのです。
あとの記憶は3つ以降、断片的に時々出てきます。
あ~あ、「アラカン」というのにはもう最後の年になった、そんな感じでございます。
四捨五入して60は、この1年間が最後でござるゆえ。
願わくば、他人に迷惑かけることなく、日々エンジョイのおばあちゃんでありたいもの。
子どもたちが少年の頃は、
「可愛いお嫁さんつれておいで。」
「一緒にカラオケ行くんだから、歌が好きな、上手なお嫁さんじゃなきゃだめ。」
なんて言って、
「おかあさんがいたら、可愛いお嫁さん来ないじゃーん」
なんておちょくられていたものです。
それも、遠い夢となりました。
可愛いおばあちゃんになりたいと思っていましたが、性格上それも無理そう
まあまあ、レッツエンジョイで行きましょう。