11月22日、京都弾丸旅行二日目。
 
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この旅は、一応紅葉をたずねて、というコンセプトでしたが。
今年の京都はあまり紅葉にはいい条件という訳でもなかったようです。
それでも、美しい風景には出会えましたので、ここに残しておきたいと思います。
 
前日、団栗橋近くのお店で鴨をたっぷりいただいて、ホテルでぐっすり休んで、この日は朝から東福寺方面へ向かいました。
奈良線に乗ってすぐです。
 
電車を降りて歩きだしたら、すぐにロケ隊に遭遇、まいう~の人が撮影かな?
この辺の、どこのお店でしょうね。
いしちゃ~ん!
 
 
 
さて、東福寺に向けて歩きます。
道すがら、沢山のお寺を目にします。
東福寺には塔頭が25あるのですって。
で、ここは入り口から可愛いお地蔵さんが見えたので、パシャリ。
 

 
こちらのお寺、よく虚無僧が黒地に白で「明暗」と書いたのを下げて尺八吹いているのを映画などで見ますが、あの、「明暗」はここが発祥はてなマーク
 
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東福寺は、物凄い混雑です。
人人人…。
臥雲橋という橋を渡っていくのですが、ここがもう大変。
左を見れば紅葉の谷と通天橋が望めるので、本来ならここはベストビューの所なのでしょうけれど…そんなことしてたら誰もお寺に入れないし、橋が落ちますよ。

 

 
塔頭の一つ、芬陀院というお寺にお参りしました。
 
 
雪舟は絵で有名ですが、こちらのお寺は雪舟の作庭とのこと、鶴亀の庭です。
左側の石の塊が鶴、右側のちょっと頭が出っ張ったようなのが亀だそうです。
それはね、雪舟が拵えた亀が命を持ったように動き出してしまうので、それをそこにとどめておくための重しとして、てっぺんに大きな石を載せてあるのですって。
雪舟の芸術性の高さの証、というエピソードですね。
 
 

さて、東福寺はこの行列です。
 
 
 
やっとこさで入場。
違った、お寺ですから入場ではありませんね、拝観。
 
 
 
実は一昨年、紅葉の時期に京都に来て、東福寺を一番に目指そうとしたのですが、その時乗り込んだタクシーの運転手さんに、
「東福寺?もうあきまへんわ。みな散ってしもうた」
と言われて行くのをやめたのでした。
(その時は、みてら、泉涌寺の雲龍院に行き、お写経をさせていただいたのでした)
 
 
 
散り敷く紅葉の絨毯。
 
 
拝観順路は、紅葉の谷に降りて行き、ぐるっと回遊しながら登ってきて通天橋を渡るというコース。
 
 
 
けっこうな歩きでがありますが、なにしろ凄い人なので、さくさく歩くという訳にもいかない。
では、ゆっくり紅葉を楽しみながら、といくかと言えば、大声の大陸の国のことばで思考や感覚が分断されます。
もうちょっと小さく、とは言わないから普通の声のボリュームで話してほしい。
隣の人との距離50センチ、みたいな環境で大人数のグループで大声で叫びあう話し方はやめてほしい。
(ご想像がつくとは思いますが、あちこちにそのグループが入り混じっているのです、たまらん)
おそらくは、物静かに鑑賞されている寡黙なかの国の方もいらっしゃるとは思うのですが、その方たちは私どもと同化してしまい異質とは感じません。
余計なものを抑えて鑑賞すれば、どこの人でもみな同じ、美に感動する同朋なのにね。
 
 
 
人のいないところを写真におさめたかったのですが、それは無理というもの。
私もこの群衆の一人である訳なので、それは我儘いえません笑
 
 
前日の快晴とは打って変わって、この日は曇天です。
今にも降り出しそう。
私は折り畳み傘を携行していましたが、夫は出発の日に降っていなければ傘を持たない派。
行く先々のコンビニでビニール傘を調達する人です。
この日も、予報では京都はときどき雨、でしたので、ホテルをチェックアウトする前に、目の前のコンビニで傘を購入してきました。
結果としては、この日雨は一滴も降らなかったのですが、まあ、足元が悪くなくてそれはそれで良かったです。
夫はせっかく買ったのに、というようなことを言っておりましたが、「買っておいたから降らなかったのよ」と慰めておきました。
 
もとい。
またまた話がそれてしまいました。
閑話休題です。
 
曇天でもこの赤と緑は綺麗です。
むしろ、晴天よりも瑞々しく感じているのかもしれません。
 
 
苔も良い感じではありませんか。
苔は晴天よりも、曇りや雨が似合います。
一般に植物は、とくに日本の樹木は、雨や曇りの時は晴れの時とは違った、とても際立った色を私たちの網膜に残します。
そういえば、小学校1年の時、初めて京都奈良に旅行した折、京都を案内してくれた大阪の大叔母が、にわか雨が降り出した途端、「苔寺やビックリマーク」とタクシーに乗り込んで西芳寺に乗り込んだ笑という思い出、懐かしい古い記憶です。
あの頃は、まだ苔寺は自由に拝観できたのです。
6歳児の幼い脳にも強烈な記憶となって残っているくらいですから、余程印象的な雨に濡れた苔のお庭、ということだったのでしょう。
その画像は私の頭のなかには神聖な一枚の絵として残されているのです、勿論成長してからの知識が記憶を上塗りしているのでしょうけれども。
 
あ、また脱線したあせる
 
で、この日の東福寺の紅葉と紅葉していない樹々と、そして常緑樹が、とても瑞々しく私の目には映ったのでした。
 
 
 
谷から通天橋を望む。
 
 
谷の下の方を見ればこんな感じです。
 
 
 
通天橋と下には川。
 
 
 
年によっては、もっと紅く、燃えるような紅葉であるとは聞いています。
 
 
 
でも、黄葉もいいじゃないはてなマーク
 
 
 
流れは、小さいですが、それなりに速さもあるようです。
落ち葉が川のヘリに寄って、なんともいえない色模様です。
 
 
 
こういう光景に惹かれます。
この世の者ではない誰かが、水面から木々の間から、ふっと……
その気配を感じます。
これは、写真のいいところですね。
現実のこの景色の時には、周りには言語の波が押し寄せてきていて、とても静寂という感覚を得ることは難しかったのですが、今、きりとったこの写真をみていると、あの時の空気の冷たさと、植物の匂いと、大気の粒子だけ、それだけが蘇ってきて、私に幻想を見せてくれます。
 
 
 
晴天ではなく曇天というのも、そうした別世界との繋がりを作り出す何かがあるのかもしれません。
 
 
ちょっとカメラの構え方を失敗すると、こんなに現実的な観光客いっぱいがみえてしまうのですけれども。
(だから、私もその一員ですってビックリマーク)
 
 
紅葉アップにトライ。
 
 
 
 
 
 
 
開山堂。
途端に人が少なくなります。
 
 
人工密度、疎。笑
 
国宝の三門です。
 
 
東福寺は、禅宗の臨済宗のお寺、京都五山の一寺です、日本史で習いました。
こんなに紅葉で有名な東福寺ですが、桜は一本もないそうです。
桜は修行の妨げになる、と、境内にあった桜はみな抜かれてしまったのだそうです。
確かに、私は桜の魔力にいつも幻惑される人間なので、それはわからんでもない。
修行がおろそかになるどころか、私など、桜の妖艶なオーラに操られそうになるくらいですから。
しかし、紅葉は修行の妨げにならなかったのでしょうか。
というか、自然の持つ、樹木の精の持つ魅力か魔力かわからないけれどそういうものを理解できない人が悟れるとは思えないのですが…
それは浅はかチョコの僭越な見解でござる。